闇を斬る妖刀と、黒の本気
「バ、バカな……! あり得ん! 『常闇の会』が数年かけて呪詛を施し、少しずつ帝都の結界を破って送り込んだ精鋭のあやかしが陰陽師が……たった一人のガキに、一瞬で喰い尽くされるなど……不可能なはずだ!!」
男の絶叫が、静まり返った帝都に響き渡った。
この規模のあやかしが、正面から帝都に侵入できるはずがない。
……なるほど。
『常闇の会』は数年がかりで帝都の結界を密かに侵食し、ついに生じた穴から、あの大軍勢を一気に送り込んできたんだ。
帝都を、帝都の陰陽師たちを、一度に壊滅させるために。
長い時間をかけて仕込まれた、緻密で冷酷な計画。
そして、その切り札だったはずのあやかしの軍勢は――僕の影猫たちによって、跡形もなく喰い尽くされた。
紫色の霧が漂うなか、焼け焦げた石畳の向こうから、一人の男がゆっくりと姿を現した。
顔を覆うのは、禍々しい鬼の仮面。
身に纏うのは、夜闇に溶け込むような漆黒のマント。
男は、目の前の光景が信じられないとでもいうように身体を震わせていた。
やがて、その肩が小刻みに揺れ始める。
「……クク……ククク……」
低く、不気味な笑い声。
それは次第に大きくなり、狂気を帯びた哄笑へと変わっていった。
「ククク……見事な手際だな。だが、ここまでだ……!」
男は両腕を広げ、仮面の奥から僕を見据えた。
「我が名は『常闇の会』の――朧!」
名乗りを上げた朧は、信じられないものを見たというように全身を震わせながら、懐から禍々しい武器を引き抜いた。
漆黒の鎌。
その刃には、毒々しい緑色の炎がまとわりついている。
ただの武器じゃない。
見ているだけで背筋が凍るような、強烈な呪いが込められていた。
「お前だ……お前さえ殺せば、この忌々しい影は消える! 死ね、規格外の化け物め!」
朧の全身から、凄まじい呪力が噴き上がった。
次の瞬間、足元の石畳が爆ぜる。
砕けた石片を置き去りにして、朧の巨体が弾丸のように飛び出した。
狙いは、僕の首。
一切の躊躇もない、命を懸けた奇襲だった。
けれど――。
僕が構えるよりも早く、白い影が目の前に飛び込んできた。
「あかり様には、指一本触れさせないのっ!」
鋭い声とともに、紺が僕をかばうように立ちはだかった。
普段の可愛らしい姿からは想像もできないほど、素早く、迷いのない動き。
紺は懐から一振りの短剣を抜き放った。
それは、僕たちが一緒に修行を重ねていた頃、黒の妖力と僕の『神代の力』を込めて、護身用にと贈った大切な短剣だった。
紺の手に、短剣がしっかりと収まる。
その切っ先が、迫り来る呪いの鎌へと向けられた。
「――狐火!」
紺が短剣を一閃させる。
瞬間、刃に込められた力が爆発的な光となって解き放たれた。
鋭い光の刃が、闇を切り裂く。
「なっ……ガハッ!?」
ガキィィィンッ!!
短剣と呪いの鎌が激突し、耳をつんざく金属音が響き渡った。
次の瞬間、凄まじい衝撃波が巻き起こる。
朧の巨体が、まるで砲弾のように後方へと吹き飛ばされた。
「ぐおおおおっ!?」
地面を削りながら飛ばされていく朧。
紺は短剣を構えたまま、ぴょこんと耳を立てた。
「ふんすっ! あかり様と一緒に修行した成果、舐めないでほしいの!」
胸を張るその姿は、いつもの紺そのものだった。
だけど、僕には分かる。
今の一撃には、紺が積み重ねてきた努力が詰まっていた。
僕から贈った力を、ただ持っているだけじゃない。
紺自身が修行を重ね、自分の力として使いこなせるようになったんだ。
……すごいな、紺。
だけど――。
「おのれ……小娘がぁぁッ!!」
朧は空中で体勢を立て直すと、狂気に目を血走らせ、再び鎌を構えた。
緑色の毒炎が、先ほどよりも激しく燃え上がる。
「死ねぇぇぇッ!!」
再び、紺へと襲いかかろうとした、その瞬間。
「――おい!!!」
鋭い声が、夜闇を切り裂いた。
次の瞬間、僕の目の前で漆黒の着物が美しく翻る。
キィィィィィンッ!!
澄み切った金属音が、夜空に響き渡った。
そこに立っていたのは、人間の姿へと変化した黒だった。
黒は腰から抜いた妖刀を片手で構え、朧の呪いの鎌を、たった一枚の刃で完璧に受け止めていた。
火花が激しく散る。
黒の身体から、紫色の妖気が爆発するように立ち上った。
長い黒髪が風に揺れ、頭の猫耳が不機嫌そうにぴくぴくと動いている。
「な、何だ、この男は……!?」
朧の声が震えた。
「人間ではない……! この、胸が潰れそうなほどの凄まじい妖気……まさか……神隠しの山の、猫又……!?」
仮面の奥に見える目が、恐怖で引きつる。
鎌を握る両手も、ガタガタと震え始めていた。
そんな朧を見下ろし、黒は不敵に八重歯を覗かせた。
「仮面野郎。誰の目の前で、誰に汚ねえ鎌を向けた?」
低く、凄みのある声。
黒は妖刀を、手首の力だけで軽く弾いた。
――たった、それだけ。
次の瞬間。
パキィィンッ!!
朧が何年もかけて呪詛を研ぎ澄ませたはずの、頑丈な呪いの鎌が。
まるでガラス細工のように、木っ端微塵に砕け散った。
漆黒の破片が夜空へ舞い、緑色の毒炎が音もなく消えていく。
「ひっ……あ、ああ……! なんで神隠しの山の猫又が帝都に……!」
朧は後ずさった。
つい先ほどまでの威勢は、もうどこにもない。
黒は妖刀を肩に担ぎ、鼻で笑った。
「俺はただの、あかりの保護者だよ」
その言葉に、僕の胸がほんの少し温かくなる。
だけど、黒の目は笑っていなかった。
「百年に一度集まった組織だか何だか知らねえが……あかりの才能に比べりゃ、お前も、お前の組織も、ただの消えかけの汚ねえゴミだ」
紫色の妖気が、さらに濃くなる。
「我が弟分の庭を荒らした罪、その身で購いな」
黒の身体が、陽炎のようにぶれた。
――次の瞬間。
僕の目では、抜刀の軌跡すら追えなかった。
黒が放ったのは、神代の剣術の最高峰――『影一文字』。
闇を裂く、たった一閃。
「――一閃」
黒の声が、静かに響いた。
「ゆ、幽玄様ぁぁッ……!」
朧の悲鳴が夜空を貫く。
その身体は斜めに両断され、直後、黒の妖刀から放たれた紫色の炎に包まれた。
炎は朧の身体を呑み込み、あっという間にその姿を塵へと変えていく。
やがて、炎も消えた。
そこにはもう、朧の姿も、禍々しい呪いの気配も残っていなかった。
黒は小さく息を吐く。
「ふぅ。これだからザコの相手は嫌なんだよ。刀が汚れちまったな」
そうぼやくと、黒はぱちんと指を鳴らした。
軽い煙が立ち上る。
次の瞬間には、いつもの普通の黒猫の姿へと戻り、僕の肩へちょこんと飛び乗ってきた。
『あかり、怪我はねえか? 怖くなかったか? ほら、俺の毛並みでももふもふして落ち着きな』
……いつもの黒だ。
さっきまで組織の幹部を圧倒していたとは思えないほど、僕を甘やかすことしか考えていない、過保護な黒。
僕は黒の頭をそっと撫でた。
「うん、大丈夫。ありがとう、黒」
『おう。ならいい』
黒は満足そうに目を細めた。
紺も短剣を大切そうに握りしめ、僕の隣へ戻ってくる。
「あかり様、紺、ちゃんと守れたの!」
「うん。すごく頼もしかったよ、紺」
「えへへ……なの!」
紺の耳と尻尾が、嬉しそうにぴこぴこと揺れる。
組織の幹部を相手にしても、僕たちは誰一人欠けることなく立っている。
……だけど。
僕の心には、ひとつだけ、引っかかる言葉が残っていた。
朧が消える直前、最後に叫んだ名前。
――『幽玄様』。
朧ほどの幹部が、あれほど恐ろしい力を持っていた男が、最後に助けを求めた相手。
いったい、何者なんだろう。
僕は黒の背中を撫でながら、そっと問いかけた。
「ねえ、黒。さっき朧が最後に叫んでいた『幽玄様』って……一体誰のことなんだろう?」
その瞬間。
黒の耳が、ぴくりと動いた。
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