黒へのお土産と、忍び寄る破滅の足音
演習場での自主特訓を終えた放課後。
僕と紺は、宿舎のある小高い丘を下り、賑やかな帝都の街へと繰り出していた。
「あかり様、蓮さんたち、すっごくびっくりしていたの!紺の短剣、本当にすごいんだね!」
「ふふ、そうだね。でも蓮が褒めてたのは紺自身のことだよ『紺の妖力は底が知れない』って感心してたよ」
隣を歩く紺が、嬉しそうに僕を見上げる。
今日も紺は、僕と同じくらいの年頃の少女の姿に化けていた。純白のフリルとリボンをあしらった着物に、頭には愛らしい狐耳を隠すための白いリボン。腰には、黒の妖力と影猫の加護が込められた短剣を、宝物のように大切に差している。
その可愛らしい姿は、街中でも注目の的だった。
すれ違う町人たちが、思わず振り返ってしまうほどだ。
「あかり様、人がいっぱいなの……。はぐれないように、ぎゅってしてていい?」
人混みに少し気後れしたのか、紺が不安そうに僕の手を握りしめた。
「うん。迷子になったら大変だからね」
僕が優しく握り返すと、紺の顔がぱあっと明るくなる。
そして、嬉しそうに僕の隣へぴったりと体を寄せてきた。
今日の目的は、いつも宿舎でお留守番をしてくれている黒へのお土産選びだ。
『目立つから面倒だ』などと言って、黒は宿舎から出たがらなかった。
僕たちが授業の間いつも何をしているんだろう。ずっと寝ているのかな…
黒は美味しいものに目がない。特に帝都名物の香ばしい炙り肉や、甘いお団子を好んでたべているようだった。本当はお酒も大好きだけど、今日はやめておこうかな。
「あかり様、黒兄様には何を買っていくの?」
「そうだね。黒は甘いものも好きだけど、やっぱり香ばしく焼いたお肉が一番喜ぶかな」
「それなら、あそこの大通りにある串焼き屋さんがいいの!いつも、すご〜くいい匂いがしているの!」
「ふふっ、じゃあ、そこにしようか」
僕が紺の頭を優しく撫でると、紺は満足そうに目を細めた。
着物の裾をぱたぱたと揺らしながら、僕にぴったりと寄り添って歩く。
そんな微笑ましい道中だった。
——ふと
僕は足を止め、街の暗い路地裏へと視線を向けた。
(……変だな)
帝都の街は、相変わらず活気に満ちていた。
威勢のいい商人の呼び声。楽しそうに駆け回る子供たちの笑い声。あちこちから聞こえる人々の話し声。
いつもと変わらない、賑やかな街並み。
それなのに、その喧騒の裏側に、何かがねっとりとへばりついているような不快感があった。
風が吹くたび、肌にまとわりついてくる、どろりとした嫌な霊気。
まるで、目に見えない無数の羽虫が街の影に潜み、じっと機会をうかがっているかのようだった。
数日前、あやかしの女性から聞いた不吉な名前が、脳裏をよぎる。
——常闇の会。
(まさか……本当に、何か大きな動きが始まろうとしているんじゃ……)
僕が険しい顔で路地裏を見つめていると、手を握っていた紺の指にも、ぎゅっと力がこもった。
紺はそっと僕の手を離すと、腰に差した短剣へ手を伸ばした。
「あかり様……?紺も、なんだか変な匂いがすると思うの。モヤモヤした、嫌な匂い……」
どうやら、感覚の鋭い紺も何かを察知したらしい。
不安そうに僕を見つめる紺に、僕はそっと微笑みかけた。
「大丈夫だよ、紺」
「紺が!この短剣で、あかり様を守るの!」
不安を吹き飛ばすように胸を張る紺。
その姿が頼もしくて、僕は思わずくすっと笑ってしまった。
「うん。頼りにしてるよ」
「えへへ……なの!」
紺は嬉しそうに笑った。
けれど、その手は短剣の柄から離れなかった。
気を取り直して大通りへ向かうと、炭火の煙と香ばしい匂いが僕たちを迎えた。
目当ての串焼き屋では、威勢のいい店主のおじさんが、焼き台の向こうから声を張り上げていた。
「へい、いらっしゃい!おやおや、お似合いのお二人さんだねえ。今日は何にする?」
「帝都名物の、秘伝のタレを使った串焼きを三十本ください!黒の……ううん、お家でお留守番してる兄へのお土産なんです」
「あいよ!お兄ちゃん思いの優しい子だねえ。よし、おまけに一本サービスしとくよ!」
「わあ、ありがとうございます!」
店主のおじさんは満面の笑みを浮かべ、焼きたての串焼きを竹皮で丁寧に包んでくれた。
商品を手渡してくれるとき、おじさんはふと周囲を気にするように声を潜めた。
「そうそう、お嬢ちゃんたち。夕方以降は、あんまり出歩かない方がいいよ」
「えっ?」
「最近、夜になると理由もなく体調を崩す住人が増えててねぇ。何だか妙なことが続いてるんだ」
その言葉に、僕の表情がわずかに曇った。
やっぱり、気のせいじゃない。
僕が感じていた不穏な気配に、街の人たちも何かしら異変を感じ始めているのかもしれない。
「あかり様、紺もお手伝いするの!」
おつりを受け取ろうと僕が手を差し出すと、紺がすかさず僕と店主の間に割って入った。
そして、おじさんからおつりを受け取ると、どこか得意げな顔で僕に手渡してくる。
「ふふっ、紺、ありがとう」
僕がそう言って頭を軽く撫でると、紺は急に頬をぷくーっと膨らませた。
「あかり様……おじさんに優しくしすぎなの!」
「えぇっ!?今のはただお礼を言っただけだよ……!?」
「だめなの!あかり様は、すぐ誰にでも優しくするから……!」
必死に訴える紺に、店主のおじさんは「はっはっは、愛されてるねぇ!」と大笑い。
僕は顔を真っ赤にしながら、照れ隠しに紺の背中をぽんぽんと撫でてなだめるのだった。
お土産の串焼きと甘いお団子を抱え、僕たちは夕暮れの丘を登って宿舎へと戻った。
特別室の扉を開けると、香ばしい肉の匂いに反応したのか、長椅子の上で丸くなっていた黒猫が、ぴんと耳を立てた。
『……遅かったじゃねえか。どこで油売ってたんだ』
黒は黒猫の姿のまま、あくびを噛み殺しながら、こちらへと歩み寄ってくる。
「ごめんごめん。黒へのお土産を選んでたんだよ。ほら、帝都で一番美味しいって評判の、秘伝のタレの串焼き!」
僕が竹皮の包みを開いて見せると、黒の黄金色の瞳が一瞬で輝いた。
『!!気が利くじゃねえか。どれ……』
黒は一瞬で漆黒の靄に包まれ、背の高い人間の姿へと変化した。
流れるような黒髪に鋭い眼光。腰には妖刀を差し、その姿には思わず目を奪われるほどの美しさと威圧感があった。
黒は串焼きを一本手に取ると、豪快に口へ運んだ。
『……ほう。なかなか深い味じゃねえか。肉の焼き加減も悪くねえ』
「でしょ?紺も、あかり様と一緒に選んだの!」
『へいへい、ご苦労さん』
口ではそっけないことを言いながらも、黒は嬉しそうに串焼きを頬張っている。
僕がその頭を撫でると、黒は嫌がる素振りも見せなかった。
「……調子に乗るなよ」
そう呟きながらも、黒は大きな手で僕の頭をぽんぽんと優しく撫で返してくれた。
広々とした特別室のリビングに、香ばしい匂いと穏やかな時間が満ちていく。
僕と紺、そして黒。
この温かい空間こそが、僕にとって何よりも守りたい、大切な居場所だった。
——だが。
「……ねえ、黒」
「あ?」
僕が少し声の調子を落として呼びかけると、黒は串焼きを噛みちぎりながら、視線だけをこちらへ向けた。
「今日、街に行って感じたんだ。……空気の裏側に、嫌な感じの……不快な霊気が溜まり始めてる。本当に、何かが起きるのかもしれない」
僕の言葉に、部屋の空気が一瞬で引き締まった。
紺の表情からも笑みが消え、黒の黄金色の瞳には冷徹な光が宿る。
『……そうか。俺も風の匂いが少し変わってきたのを感じてたところだ。町も。ここも。な』
黒は串焼きを置くと、冷たい笑みを浮かべた。
『ネズミどもが、コソコソと穴を掘り進めてるような……嫌な匂いがしやがる』
黒の手が、腰に差した妖刀の柄へそっと伸びる。
『だが、心配すんじゃねえよ、あかり。どんな雑魚が群れて来ようが、俺と紺がいれば一瞬で消し炭にしてやる。お前はどっしり構えてりゃいいんだ』
「……うん。ありがとう、黒」
黒の力強い言葉に、胸の奥を満たしていた嫌な予感が、少しだけ和らいだ。
その夜、僕たちは何事もない平和な時間を過ごし、温かい布団に入って眠りについた。
窓の外では、丘の下に広がる帝都の街並みが、夕暮れの名残を失い、静寂と漆黒の闇に包まれていた。
街灯の明かりが、石畳の道をぼんやりと照らしている。
人々の知らないところで、何かが静かに動き始めていた。
——この平穏が、嵐の前の静けさに過ぎないことを、僕たちはまだ知らない。
この静寂こそが、帝都と陰陽学校を未曽有の地獄へと突き落とす、破滅の嵐。その直前の静けさだったのだ。
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