紺の決意と、絆の短剣
演習場でのあの一撃から、数週間が過ぎた。
僕の規格外すぎる実力に圧倒されたのか、周囲のエリート生徒も教師もその態度は劇的に変わっていた。
廊下ですれ違うたびに向けられていた蔑みや侮蔑の視線は、すっかり影を潜めている。今では、尊敬と、どこか怯えの混ざった眼差しを向けられ、丁寧にお辞儀をされることさえあった。
そんな慌ただしくも平穏な日々の中、僕は講義で陰陽道の基礎や理論をじっくりと学び直していた。
山で暮らしていた頃は、黒の教えと自分の感覚を頼りに、独学で力を磨いてきた。
けれど、学園で体系化された知識を学ぶのは、思っていた以上に面白かった。
陰陽師が扱う霊力や、あやかしたちが持つ妖力。それぞれの性質や術の組み立て方を知ることは、これからの僕にとって大きな糧になるはずだ。
自分の神代の力をどう扱うか、その理解も少しずつ深まっていく。さらに、紺や黒が持つ力についても、新たな発見があった。
「……あかり、お前、実戦であれだけの力を見せつけておいて、座学の理論まで一瞬で覚えるなんて……俺たちの立つ瀬がないな」
隣の席に座る明神蓮が、呆れたように苦笑した。
学園の首席である蓮は、以前、周囲の空気に流されて僕に冷たい視線を向けていたこともあった。
けれど、あの演習場での一件以来、僕の実力を素直に認め、こうして気さくに話しかけてくれるようになった。今では「蓮」「あかり」と呼び合う仲だ。
身近になった蓮には、隠す必要もないと感じて、僕は自分の力の正体について打ち明けていた。
「神代の力……?そんな伝説みたいなものが、お前の中に……」
蓮は驚きに目を見張ったが、すぐに納得したように深く頷いた。
「霊力がない僕は、家にいた頃は誰も何も教えてくれなかったし、山にいた頃も、術の組み方なんて教わらなかったから。ここでの授業はとても勉強になるよ」
僕は教科書に目を落としながら答えた。
「陰陽師の霊力も、僕の神代の力も、あやかしの妖力も。それぞれ違いはあるけど、力を生み出す根っこの部分には、どこか共通するものがあるんじゃないかなって思うんだ。だから、蓮たちの知識にもすごく助けられてるよ」
「そうか……謙虚な奴だな」
蓮は感心したように目を細めた。
「だが、お前が本気を出せば、理論なんて吹き飛ばせるだろうに。こうして真面目に学ぼうとする姿勢は……正直、尊敬するよ」
そう言って、蓮は僕の肩をぽんと叩いた。
その表情には、以前のようなわだかまりはもうない。
そこには、少しずつ育まれてきた信頼と、確かな友情があった。
そんな講義の最中、教室の前方から、ひそひそとした声が聞こえてきた。
「なあ……あの白い子、普通の人間じゃないよな?たまに狐の耳でてるもんな?」
「尻尾も見えてるんだから、そりゃそうだろ……。でも、あやかしが人間と一緒に授業を受けてるなんて、普通なのか?」
声の主たちは、僕の反対側の隣にちょこんと座っている紺を見ていた。
最初見た時は子狐の姿、次に見たのは耳としっぽのある半妖。護衛や愛玩の式神と勘違いされていたほどだ。
今の紺は白いリボンの下から狐耳をのぞかせ、二本の尻尾を揺らしながら、真剣に教科書を読んでいる。
最初は人間の姿でがんばっていたんだけど、気が緩んだり、意識が別へむいてしまうと、どうしても出てしまうらしい。
そして、今のこの状況。あやかしが学園で人間と一緒に学んでいることに、疑問を感じている生徒もいる。
その声を聞いた教官が、教科書を閉じて口を開いた。
「人型のあやかしについて、疑問がある者もいるようだな」
教官は教室を見渡し、落ち着いた声で続けた。
「人に近い姿を取るあやかしは、決して珍しい存在ではない。完全に人間と見分けのつかない姿に化ける者もいる」
生徒たちがざわめいた。
「ただし、姿を変えたからといって、その者が人間と同じ気配になるとは限らん。普通の人間には見分けられなくとも、霊力の強い我々のような陰陽師なら、相手から漂う妖気や、人間とは異なる気配を感じ取れることがある」
教官は、そこで一度言葉を切った。
「もちろん、妖気を巧みに隠すあやかしもいる。霊力が強ければ、必ず正体を見抜けるというわけでもない。相手を見極めるには、力だけでなく経験も必要だ」
なるほど……。
普通の人間には人間にしか見えなくても、陰陽師なら違和感を覚えたり、妖気から正体を見抜いたりできるんだ。
だから、あやかしが人間の町で暮らしていても、誰にも気づかれずに生活できることがあるのだろう。
「だが、忘れるな。あやかしだからという理由だけで、相手を敵と決めつけるのは早計だ。大切なのは、その者が何者で、何をしているか。陰陽師なら、そこを見極めろ」
教官の言葉に、教室が静まり返った。
納得したように頷く生徒もいれば、まだ警戒を解いていない生徒もいる。
けれど、少なくとも、紺があやかしであるというだけで、ここにいることを否定する声は止んだ。
紺は教官の言葉を聞くと、嬉しそうに耳をぴくりと動かした。
教官の言葉に、教室が静まり返った。
陰陽学校という場所は、古いしきたりや人間中心の価値観が根強く残っている。
教師の中にも、「あやかし=排除すべき悪・敵」と頑なに信じ込んでいる者がいれば、「あやかし=使い捨てるべき式神(道具)」としか見なさない者も多い。
授業の中で語られるあやかしの扱いは教官によって大きく異なり、それによって生徒たちが抱くイメージも偏ったものになりがちだった。
だからこそ、あやかしを偏見なく見極めようとする今日の教官の言葉は、僕たちにとって救いでもあった。
こうした教官たちの理解やさりげない口添えのおかげで、学園内での紺への風当たりは次第に和らいでいった。
あやかしを頭ごなしに否定するような空気は抑え込まれ、紺が人間と一緒に机を並べて学ぶための環境が、少しずつ、けれど確実に整えられていったのだ。
紺は教官の言葉を聞くと、嬉しそうに耳をぴくりと動かした。
陰陽学校の教官の中に、こんな風にあやかしに理解のある人がいることはうれしい。
「ふふん!紺は悪いあやかしじゃないなの!」
小声で胸を張る紺に、僕は思わず笑ってしまった。
「うん。みんなにも、少しずつ知ってもらえたらいいね」
「もちろん、あかり様のお役に立つの!」
紺は元気よく頷いた。
その姿を見て、僕はふと、あることに気づいた。
(……紺、すごく筋がいいな)
紺は狐のあやかしだ。もともと妖力を持っているけれど、以前は好んで使う術といえば、姿を変える『変化の術』くらいだった。
狐火も使えないわけではなかったが、せいぜい蝋燭に火を灯す程度。実戦で使うには、少し心もとない威力だった。
ところが、学園で人間の姿のまま講義を受けるようになってから、紺はめきめきと才能を開花させていた。
あやかしの狐は、修行や妖力の高まりによって尻尾が増え、それに伴って強い力を得ると言われている。
ある日の講義で、教官が陰陽師の霊力を循環させる方法について説明していたときのことだ。
隣で話を聞いていた紺は、その理論を一度聞いただけで理解したらしい。
小さな手を胸の前で動かし、教官の説明を参考にしながら、自分の妖力の流れを整え始めた。
(……あれ?紺の妖力が集まっていく……!)
陰陽師が扱う霊力と、紺が持つ妖力は同じものではない。
それでも、力を巡らせ、乱れを整えるという考え方には、紺にも応用できる部分があったのだろう。
次の瞬間。
紺の体から、澄み渡った妖気がふわりと立ち上った。
ポンッ!
可愛らしい音とともに、一本だった白くふさふさの尻尾の根元から、もう一本の尻尾が生え出した。
「わあっ……!」
思わず声を上げた僕に、紺が振り向く。
「あかり様、見て見て!しっぽが二本になったの!」
「すごいよ、紺!二尾になったんだね!」
紺は嬉しそうに二本の尻尾を揺らした。
教官の説明から自分に応用できる理論を見つけ、その場で妖力を制御してみせたのだ。
その驚異的な呑み込みの早さと、妖力を扱うしなやかさには、教官たちも思わず口をあんぐりと開けていた。
それ以来、紺の狐火も目に見えて威力を増していった。
今では、自分の妖力を自在に操り、狐火を狙った場所へ飛ばすことさえできるようになっていた。
けれど、ひとつだけ大きな問題があった。
紺は、紙でできた『呪符』を使うのを極端に嫌がったのだ。
無機質で、指先に触れるとカサカサと音を立てる紙。
一度力を込めれば、術を発動させるために燃やして使い捨てる。
そんな陰陽道の作法が、紺にはどうしても馴染まないらしい。
呪符を通せば、狐火の威力を何倍、何十倍にも引き上げられる。
それでも、本人が嫌がっている以上、無理強いするつもりはなかった。
それに、紺が呪符を目にするとき、その小さな手がわずかに震えることにも気づいていた。
僕を傷つけた、あの冷酷な陰陽師たち。
紺にとって、呪符は彼らのことを思い出させるものでもあるのだろう。
ある日、紺は呪符を手にしたまま、悲しそうに目を伏せた。
「あかり様……紺、この紙を使うのは嫌なの……。紺を閉じ込めたり……あかり様を傷つけたりした嫌な陰陽師たちの匂いがして、胸がキュッて痛くなるの……」
その声は、いつもの明るい調子とは違っていた。
僕はそっと紺の手に触れた。
「そっか……そうだよね。嫌な思いをさせてごめんね。自分に合わない道具を無理に使っても、いい術は使えないしね」
紺は小さく頷いた。
ならば、別の方法を考えればいい。
呪符を使わなくても、紺が自分の力を思い切り発揮できる方法を。
そう考えた僕は、宿舎に戻ると、さっそく黒に相談することにした。
『あぁ?紺用に武器を作りたいだぁ?』
特別室の長椅子で丸くなっていた黒が、片目を開けた。
今は黒猫の姿だ。どうやら、また昼寝をしていたらしい。
「うん。紺は呪符を使いたがらないから、僕の手元にあるこの短剣を使えないかなって。黒の妖力を分けてほしいんだ」
僕は、小ぶりな短剣を取り出して見せた。
『ちっ……手間をかけさせやがる』
黒は面倒くさそうに尻尾を揺らした。
『まあいい。あいつが戦えねえと、お前を守る手が減るからな』
「ありがとう、黒!」
『礼はいい。さっさと済ませるぞ』
そう言うと、黒は人型へと姿を変えた。
黒い着物に紫の羽織。鋭い眼差しを向けながら、黒は短剣を手に取った。
そして、自らの手首を鋭い爪で軽く切る。
刃に数滴の血が落ちた瞬間、漆黒の妖気が短剣へと流れ込んだ。
刃が、妖しく黒い光を帯びる。
そこには、黒の強大な妖力と、持ち主を守るための加護が宿っていた。
「よし……これなら大丈夫そうだね」
僕は短剣を受け取り、その内部に神代の力を使って術式を組み込んでいった。
呪符を使わなくても術が起動するように、短剣そのものを術の媒介にするのだ。
さらに、僕の影猫も一匹、その中に忍ばせておく。
これなら、短剣を通して紺の妖力を術へとつなぎ、狐火を強めることができるはずだ。いざというときには、短剣に潜ませた影猫が紺を守る盾にもなる。
最後に刃の状態を確かめ、僕は短剣を鞘へと納めた。
「できた……!」
『ふん。あとは、あいつが使いこなせるかどうかだな』
黒はそっけなく言ったが、その目には、どこか満足そうな光が浮かんでいた。
翌日の放課後。
僕たちは、演習場の片隅にある訓練広場へとやってきた。
緊張した面持ちの紺が、両手で短剣をしっかりと握っている。
少女の姿をした紺は、制服の裾を風になびかせながら、真剣な眼差しで刃を見つめていた。
頭の白いリボンの下では、狐耳がぴくぴくと動いている。
僕たちの特訓を聞きつけたのか、蓮や教官、他の生徒たちも集まってきていた。
「大丈夫なのか、あかり……?女の子に短剣を持たせて、怪我でもしなければいいが……」
蓮は紺の手元を見つめ、心配そうに眉をひそめた。
「ふふ、見ててよ、蓮」
僕は紺に向き直り、優しく微笑みかけた。
「紺、この短剣を使ってごらん。呪符は一枚もいらないよ。短剣をしっかり構えて、自分の心と『言葉』で妖力を込めるんだ」
「うん……!紺の心と、言葉……。あかり様と黒がくれた、この短剣に……!」
紺はぎゅっと短剣を握りしめ、胸の前で構えた。
愛くるしい瞳に、強い意志の光が宿る。
そして、澄んだ声を訓練広場に響かせた。
「――狐火!」
紺が凛と言葉を紡いだ瞬間、短剣の刃が黒く輝いた。
紺自身の妖力が短剣に組み込まれた術式を通り、黒の妖力がそれを支える。さらに、内部に潜む影猫が力の流れを助けた。
三つの力が短剣の中で重なり合い、次の瞬間、刃から青い光とともに凄まじい力が溢れ出した。
紺は小さな体で空を切り裂くように、短剣を一閃させた。
刃から放たれた狐火が、鋭い一撃となって飛んでいく。
一直線に進んだその一撃は、十数メートル先に設置されていた巨大な訓練用の防護石を捉えた。
ドォォンッ!!
凄まじい衝撃音が広場に轟き、砂煙が豪快に舞い上がった。
やがて煙が晴れると、そこには粉々になった防護石と、えぐれた地面が残されていた。
「できたの……!あかり様、できたのーっ!」
紺は短剣を胸に抱き、ぴょんぴょんと飛び跳ねた。
「すごいよ、紺!完璧だ!」
僕は駆け寄ってきた紺をしっかりと受け止め、その頭を優しく撫でてあげた。
紺は嬉しそうに目を細め、二本の尻尾をぶんぶんと振る。
今回の短剣は、ただの武器ではない。
言葉によって術を導く陰陽道の理論を応用し、あやかしの妖力を短剣に通して放つためのものだ。
僕の神代の力で組み込んだ術式と、黒の妖力、そして影猫の助け。それらを紺自身の妖力につなげることで、呪符に頼らず術を使えるようにしたのだ。
紺の力を活かしながら、彼女自身のやり方で戦えるようにした、紺だけの新しい戦い方だった。
「すごいな、紺ちゃん!呪符を使わずに、これほどの術を扱えるなんて。本当に大したものだ」
様子を見守っていた蓮が、穏やかな笑みを浮かべながら歩み寄ってきた。
「紺、この短剣であかり様を守るの!誰にもあかり様を傷つけさせないの!」
紺は短剣をぎゅっと抱きしめ、力強く宣言した。
その言葉に、僕は思わず微笑んだ。
「ふふ、頼りにしてるよ、紺」
「ああ。君ならきっと、あかりを守る盾にも、剣にもなれるだろう」
蓮はそう言ってから、紺の勢いに少し困ったような笑みを浮かべた。
「……ただ、あまり無茶はするなよ。あかりを守りたい気持ちはわかるが、自分のことも大切にしてくれ」
「わかったなの!でも、あかり様は絶対に守るの!」
紺は元気よく答え、誇らしそうに胸を張った。
蓮に温かく褒められ、紺はますます嬉しそうに目を細めた。
自分だけの武器を手に入れたことが、よほど嬉しいらしい。
紺は短剣を腰の鞘に納めると、ふさふさの二本の尻尾を揺らして大はしゃぎした。
その一方で、短剣の威力を目の当たりにした教官や生徒たちは、開いた口が塞がらない様子で立ち尽くしていた。
「……呪符も使わずに、短剣ひとつであんな術を発動させるだと……!?」
「しかも、あの威力……。あやかしの力をここまで引き出す術式を組み込むなんて、一体どれほどの知識があるんだ……」
周囲から驚きの声が漏れる中、蓮は苦笑しながら僕たちを見た。
「お前たちがそんなに強くなるなら、俺も負けていられないな」
その目には、仲間としての誇らしさと、次は自分も成長してみせるという意欲が輝いていた。
周囲の驚愕と称賛の視線をよそに、紺は満足そうに短剣の柄を確かめた。
そして、驚いている教官や生徒たちに向かって、「えっへん!」とばかりに可愛らしく胸を張る。
最後には、僕の隣にちょこんと並び、得意げな顔で二本の尻尾を揺らした。
その姿を見て、僕は思わず笑ってしまった。
紺にぴったりの武器ができて、本当によかった。
これからも、黒と紺と一緒に、もっと強くなっていこう。
そしていつか、僕の大切な家族を、誰にも傷つけさせないように――。
最後までお読みいただきありがとうございます。
今回は講義を通して霊力の扱いを学び、見事に尾を増やして「2尾」へと成長した紺の話でした。
教官や生徒たちが呆然とする中での、紺のドヤ顔「えっへん!」を楽しんでいただけていたら幸いです。
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