もふもふの同級生と、圧倒的な演習無双
休日の帝都で聞いた、忘れられない言葉があった。
――常闇の会が、動き始めている。
華やかな街並みの裏で、あやかしたちを従わせ、帝都を脅かそうとする者たち。しかも、僕の通う帝都陰陽学校にも、彼らに通じる内通者がいるかもしれないという。
あの黒髪の女性の警告は、今も胸の奥に引っかかっていた。
けれど、翌朝の宿舎に響き渡っていたのは、そんな不安を吹き飛ばすような元気いっぱいの声だった。
「あかり様!黒兄様!見てなの!紺、今日からあかり様と『同い年』の姿で学校に通うの!」
鏡の前で、くるりと回ってみせるのは、人間の姿に化けた紺だった。
これまでは子狐や、狐耳を生やした少女の姿で過ごすことが多かった紺。けれど今日からは、僕と同じ十三歳の少女の姿で授業に出ることにしたらしい。
水色を基調とした学園の制服を、紺は見事に着こなしていた。
男子生徒の制服とは異なり、袴はスカートのようにふんわりと広がり、可憐な印象を与えている。頭には、いつもの狐耳を隠すための白いリボン。
……ただし、隠しているはずの耳は、嬉しさを抑えきれないのか、リボンの下でぴこぴこと動いていた。
「わあ、紺……!すごく似合ってるよ!すごくかわいいよ!」
「えへへ、あかり様に褒めてもらえたの!嬉しいの!」
僕が笑顔で褒めると、紺の顔がぱあっと明るくなった。
制服の裾からは、ふわふわの尻尾が顔を出し、嬉しそうに左右へ揺れている。
その愛くるしい姿を見ていると、さっきまで胸の奥に引っかかっていた不安も、ほんの少しだけ薄らいだ。
「……あかり様?どうしたの?紺のお顔、どこか変なの?」
紺が不思議そうに首を傾げる。
「ううん、なんでもないよ。今日から一緒に頑張ろうね」
「はいなの!」
今は、この笑顔を曇らせたくなかった。
僕は紺に笑い返すと、そっと気持ちを切り替えた。
『……おいおい、朝から騒がしいねえ。せっかくの二度寝が台無しだぞ』
呆れたような声が、リビングの隅から響いた。
声の主は、日当たりのいい長椅子の上で寝そべる黒猫――黒だ。
学園が特待生である僕のために用意してくれた宿舎は、一人用とは思えないほど広い。豪華な絨毯が敷かれたリビングに、日差しが心地よく差し込む大きなバルコニーまで備わっている。
そんな立派な部屋の一等地を、黒はすっかり自分の昼寝場所にしていた。
黒猫の姿のまま、前脚を伸ばし、長い尻尾をゆらゆらと揺らしている。
「黒は一緒に行かないの?今日から紺も授業に出られるの!」
『俺が行ってみろ。学校中が大騒ぎになるだろ。ただでさえ目立つのは嫌いなんだよ。俺はここで宿舎の警備でもしてるさ』
黒は大きなあくびをひとつ。
『……まあ、二度寝とも言うがな。あかり、変な奴に絡まれたら容赦なく叩きのめしてこいよ』
「う……うん。いってきます、黒!」
『おう。気をつけてな』
黒は面倒くさそうに尻尾をひらりと振った。
僕と紺は顔を見合わせて笑い、宿舎を後にした。
丘の上に建つ宿舎からは、赤門の向こうに広がる帝都の街並みが一望できる。
朝日を浴びた赤煉瓦の建物や、行き交う人々。遠くから聞こえる車の音。
昨日までと何も変わらない、活気に満ちた帝都の朝だった。
僕たちは丘を下り、学園の敷地内に広がる小さな森を抜けて、校舎へと向かった。
すると、周囲の生徒たちの視線が一斉に僕たちへと集まった。
「特待生」として認められてからというもの、僕を見る生徒たちの目は変わっていた。
以前のような露骨な蔑みは減り、代わりに畏敬と恐怖が入り混じった、どこか距離を置くような視線が向けられる。
けれど、今日それ以上に注目を集めていたのは、僕の隣を歩く紺だった。
「ねえ、あの女の子……あかり様の連れているあやかしの子よね?」
「可愛い……!同い年くらいに見えるけど、制服がすごく似合ってる……!」
「あかり様の後ろに隠れてるぞ。……いや、尻尾が全然隠れてないけど」
女子生徒からは黄色い歓声が上がり、男子生徒たちからは羨望の眼差しが向けられる。
紺はその視線に気づくと、ぷくうっと頬を膨らませた。
「あかり様を、あんまり見つめないでほしいなの……!」
ぎゅっと僕の制服の袖を握りしめ、周囲を威嚇するように、リボンの下の狐耳をぴこぴこと動かす。
本人は必死に威嚇しているつもりなのだろう。
けれど、耳の動きに合わせて白いリボンまでぴこぴこと揺れるものだから、周囲の生徒たちはますます夢中になってしまった。
「可愛い……っ!」
「まるでおとぎ話からでてきた姫のようだ……!」
「な…なんだ?何かお気に召さないのか!?」
紺はますます頬を膨らませた。
どうやら、自分が一番注目を集めていることには、まったく気づいていないらしい。
「紺、みんな悪気があるわけじゃないと思うよ」
「むう……あかり様がそう言うなら、我慢するなの」
そう言いながらも、紺は僕の袖を離さなかった。
ふわふわの尻尾が、まだ少しだけ不満そうに揺れている。
そんな賑やかな朝を過ごし、午前中の符術理論の授業も無事に終わった。
そして午後。
僕たちは、広大な演習場へと集められていた。
本日の授業は――『対式神実戦演習』。
演習場の中央には、巨大な人型式神が鎮座している。
全身を岩のような装甲で覆われた、演習用の式神『岩鋼鬼』だ。
一歩動くだけで地面が揺れそうな巨体。その表面には、並の術では傷ひとつつけられないほど強固な術式が刻まれていた。
「いいか、貴様ら!」
大柄な教官の怒声が、演習場いっぱいに響き渡る。
「この岩鋼鬼は、並の霊符では傷ひとつつかん!班ごとに連携し、詠唱を重ねて結界を破るのだ!個人の力に頼るのではなく、陰陽師としての基本を徹底しろ!」
生徒たちは数人ずつ班を組み、次々と術を放った。
「符術、展開!」
「結界を重ねろ!今だ、撃て!」
呪符が舞い、術式が光り、岩鋼鬼の巨体に攻撃が叩き込まれる。
しかし――。
ガンッ!
重い音が響いただけで、岩鋼鬼は微動だにしなかった。
何度攻撃を重ねても、装甲には傷ひとつつかない。
「くそっ、まるで歯が立たない……!」
「これ、本当に倒せるのかよ……」
生徒たちが息を切らす中、腕を組んで様子を見ていた教官が、ふと列の端に立つ僕へと視線を向けた。
「……あかり」
一瞬、教官の口から別の呼び名が出かけた気がした。
けれど、教官はすぐに咳払いをして続けた。
「山育ちの貴様の実力は噂に聞いている。だが、陰陽師の基本は『正しい符術』と『正確な詠唱』、そして『緻密な術式の計算』だ。野生の勘だけで、この式神を倒せると思うなよ?」
試すような、どこか挑発的な言葉だった。
周囲の生徒たちだけでなく、離れた場所で見学していた明神蓮や、その取り巻きたちも、僕の様子をじっと見つめている。
「呪符を使わずにやってみろ、とは言わん。無謀な突撃は命取りになるからな」
教官の言葉に、僕は静かに頷いた。
「わかりました。……じゃあ、少しだけ失礼します」
(呪符を使わないんじゃなくて、使えないんだけどな……)
僕には、普通の陰陽師が使う霊力がない。
だから、呪符に力を込めて術を発動させることもできない。
けれど、僕には黒や影猫たちと一緒に鍛えてきた、神代の力がある。
僕は札を取り出すことなく、ただ一歩、前へと踏み出した。
その瞬間――。
ズンッ……!
演習場の空気が、目に見えない何かに押し潰されたかのように震えた。
吹いていた風が止まる。
鳥のさえずりが途絶え、周囲のざわめきさえも遠のいていく。
地面が、ミシリと音を立てた。
「な……っ!?」
教官の顔色が変わる。
「この気配は……いったい何だ……!?」
生徒たちも息を呑み、身動きひとつ取れなくなっていた。
それは、彼らが普段扱っている霊力とはまったく異なる、神代の力の気配だった。
僕は右手を胸の前で軽く構えた。
本当は、こんな動作すら必要ない。
神代の力は、心の中で願うだけで応えてくれる。けれど、黒から教わった技を使うときは、こうして体を動かしたほうが気持ちも引き締まるのだ。
(よし……一撃で終わらせよう)
僕は右手を横一文字に振るった。
「――ハッ!」
その一閃に応えるように、黒い影が走った。
影猫だ。
目にも止まらぬ速さで飛び出した影猫は、岩鋼鬼へと一直線に迫る。
次の瞬間――。
ドゴォォォンッ!!
演習場を揺るがす轟音が炸裂した。
岩鋼鬼の巨体が、真っ二つに切り裂かれたのだ。
それだけではない。
背後にそびえていた巨大な防護壁までもが、衝撃に耐えきれず、轟音とともに崩れ落ちていく。
土煙が空高く舞い上がった。
やがて、煙がゆっくりと晴れていく。
そこに残されていたのは、無残に両断された岩鋼鬼と、崩壊した防護壁。
そして――完全に静まり返った演習場だった。
誰も言葉を発しない。
呼吸の音さえ憚られるほどの沈黙が、辺りを支配していた。
「……これで大丈夫ですか?」
僕が振り返って尋ねると、教官は口を半開きにしたまま、震える指で破壊された岩鋼鬼を指差した。
「そ、それは……何をした!?」
教官の声が裏返る。
「手刀だと!?呪符も、詠唱もなしで……あの巨大式神を一撃で破壊したというのか!?いったい、どんな小細工をした!」
「えっ……?」
小細工と言われても、心当たりはない。
僕はただ、教わった技を使っただけなのだけれど……。
どう説明すればいいのかわからず、思わず困り果ててしまった。
「……化け物すぎるだろ」
「俺たちが何人がかりで攻撃しても、傷ひとつつかなかったのに……」
周囲の生徒たちから、驚愕と畏怖の声が漏れる。
その中には、さっきまで僕を侮っていた生徒たちの姿もあった。
けれど、僕には彼らがどうしてそんなに驚いているのか、いまひとつわからなかった。
黒との修行では、もっと厳しい鍛錬を積んできたのだから。
「あかり様、すごいのーっ!」
沈黙を破ったのは、紺の明るい声だった。
紺はぴょんぴょんと跳ねながら駆け寄ってくると、僕の手に自分の手を合わせた。
パァン!
小気味よい音が演習場に響く。
「やったなの!あかり様、かっこよかったの!」
「ありがとう!紺の応援のおかげだよ」
「えへへへ!もっと褒めても…いいの!」
紺は嬉しそうに笑い、二本の尻尾をぶんぶんと振った。
その様子を見ていた蓮も、爽やかな笑みを浮かべながら歩み寄ってくる。
「本当に見事だったよ、あかり」
「明神くん!」
「まさか、あの岩鋼鬼を一撃で倒すとはな。俺でも見惚れてしまったよ」
明神くんは破壊された岩鋼鬼へと目を向け、それから教官のほうをちらりと見た。
「……それにしても、教官のあの顔、見たか?顎が外れそうになってたぞ」
「そんなに変だったかな…加減したつもりなんだけど……」
「あはは! 加減したんだろ?それであの威力だ。師官も気絶しかけるさ」
明神くんの言葉に、僕の緊張もようやく解けた。
紺も一緒になって笑い、僕たちは顔を見合わせる。
ほんの少し前まで、演習場を震わせるほどの一撃を放ったばかりだというのに、僕たちの間にはいつも通りの穏やかな空気が流れていた。
その光景を目の当たりにした生徒たちと教官は、いまだに呆然と立ち尽くしていたけれど。
僕はまだ知らなかった。
この学園で、僕の存在が少しずつ大きくなっていることを。
そして、帝都のどこかで動き始めた不穏な影が、いつかこの学園の日常にも忍び寄ってくることを――。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
演習場での一劇、そしてあかり・紺・蓮のいつもの和気あいあいとしたやり取りを楽しんでいただけていたら嬉しいです。
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