新たな出会いと、不穏な噂り(第2章 帝都編・1話)
実家の土御門家を完全に退けてから、さらに三年の月日が流れた。
隠れ里で過ごした日々は、驚くほど賑やかで、温かいものだった。
陰陽師たちを撃退してすぐの頃、助け出して逃がした元式神のあやかしたちが、少しずつ僕のもとを訪ねてくれるようになった。
「あかり様ー!遊びに来ました!」
「噂を聞いて、ご挨拶に参りました!」
『あかり様にお会いしたくて参りました!』
そんな声が聞こえるたび、僕は笑顔で彼らを迎えた。
「いつでもおいでね。僕たちはもう友達だから」
そう伝えると、あやかしたちは本当に嬉しそうに顔をほころばせた。
僕に助けられたあやかしたちが、口づてに噂を広めてくれたおかげだろう。隠れ里には、日を追うごとに新しい友達が増えていった。
一緒に剣や術の修行をしたり、人間の街や帝都で流れている怪しい噂を教えてもらったり。
みんなが訪ねてきてくれるおかげで、僕の日常はいつも賑やかだった。
もちろん、黒も変わらずみんなの中心にいた。
ある日、日向ぼっこから目を覚ました大きな黒猫の姿を見て、遊びに来ていたあやかしたちが一斉に平伏したことがあった。
『その紫の刀と二本の尻尾……まさか、この山を統べる伝説の『猫又』黒曜様……あなた様でしたか……!』
あやかしたちの声には、驚きと畏敬の念が入り混じっていた。
対する黒は、そんな彼らを見ても気負う様子すらない。
「気楽にしな。あかりの友達なら俺の友達だ」
ただそれだけ。
けれど、その言葉を聞いたあやかしたちは、まるでこの世で最もありがたい言葉を授かったかのように感動していた。
……黒って、やっぱりすごいんだな。
影猫たちだけでなく、山に暮らすあやかしたちからも慕われる黒。普段は僕に甘くて世話焼きな兄貴分だけど、みんなにとっては頼もしい猫又なんだ。
そんな日々の中、僕自身も大きく成長した。
黒から徹底的に叩き込まれた神代の剣術。そして、僕自身の固有能力である『影猫』。
今ではどちらも、身体の一部のように使いこなせるようになっていた。
そんなある日、遊びに来たあやかしたちから、僕たちは妙な噂を耳にした。
「最近、帝都のあたりで妙なあやかしを見かけるんです」
「普段なら山や森にいるようなあやかしたちが、なぜか帝都に集まっているみたいで……」
「それに、人間たちの間でも、何かよくないことが起きるんじゃないかって噂になっているそうですよ」
話を聞いた僕は、思わず黒と顔を見合わせた。
あやかしたちが、わざわざ住み慣れた場所を離れて帝都に集まっている。単なる偶然なのだろうか。
それとも、帝都で何かが起きようとしているのだろうか。
僕の頭に浮かんだのは、『常闇の会』と名乗る集団の存在だった。
今の段階では、今回の異変と常闇の会が関係しているという確証はない。
ただ、あやかしたちが「人間たちとつるんで何かよくないことを企んでいる集団」と噂していたのがこの『常闇の会』なのだ。本当に裏で動いているのだとしたら、放っておくわけにはいかなかった。
「……黒。これ、放っておけないよね」
「ああ。妙なあやかしたちが集まってるってのも気になる。何か企んでやがるなら、早いうちに探りを入れたほうがいいだろうな」
「でも、どうやって調べよう?」
僕が尋ねると、黒は少し考えるように目を細めた。
「帝都の陰陽師を統括してるのは陰陽寮だ。だが、いきなり乗り込んだところで、怪しいあやかしの噂や街の細かい事情まで簡単に教えてもらえるとは限らねえ」
「そっか……」
「俺たちが知りたいのは、表向きの報告だけじゃねえ。実際に帝都で何が起きてるのか、広く情報を集める必要がある」
黒の言葉に、僕は考え込んだ。
そこで思い出したのが、帝都にある陰陽師の養成機関――『帝都陰陽学校』だった。
これから陰陽師を目指す生徒たちが集まる場所。そこなら、街で起きている出来事や、陰陽師たちの間で広まっている噂にも触れられるかもしれない。
もちろん、学校に行けばすべてがわかるわけじゃない。それでも、陰陽寮に直接踏み込むよりも自然に帝都の様子を探れるはずだ。
「よし、まずは帝都陰陽学校に行ってみよう。そこで情報を集めて、それからどうするか考えればいいよね」
「ああ。何かあれば、俺が叩き潰してやる」
黒は不敵に笑った。
こうして僕たちは、住み慣れた隠れ里に別れを告げ、帝都へ向かうことにした。
飛べるあやかしたちの背に乗せてもらえば、一瞬で着く距離だった。けれど、僕たちはあえて数日かけて山を下り、長い時間列車に揺られる道を選んだ。
帝都に入るにあたって、目立つのは避けたかった。それに、何より「普通の人間」として自然に目的地へ向かいたかったからだ。
そして、長い列車の旅を終えた僕たちは、ついに帝都へと足を踏み入れた。
「おい、あかり。帯が緩んでるぞ。しゃきっとしねえか」
「あはは、ごめんね、黒。ちょっと緊張しちゃって」
駅舎を出た瞬間、僕は思わず息をのんだ。
目の前に広がっていたのは、隠れ里とはまるで違う、華やかで広大な世界だった。
レトロな木造の駅舎。その向こうには、どこまでも続く石畳の道路。
綺麗な着物を着た人々に交じって、最新の洋服を着こなした人たちが行き交っている。
優雅に走る馬車。その隣を、黒い煙を吐きながら力強く走る自動車。
高くそびえる木造建築に、洋風のレンガ造りの建物。色鮮やかな看板が並び、街のあちこちから人々の話し声が聞こえてくる。
ここが、日本の中心――『帝都』。
初めて見る景色に、僕の胸は期待と緊張でいっぱいになった。
そんな僕の隣では、人間の姿になった黒が、慣れた手つきで僕の着物の帯を結び直していた。
黒塗りの豪奢な着物を着こなした、黒髪長髪の超絶美形な青年。
その姿は、どう見ても普通の人間には見えないほど目を引く。
……いや、見た目だけなら、どこかの名家のお坊ちゃまと言われても納得してしまいそうだけど。
黒は、この日のために僕に特別な着物を仕立ててくれていた。
僕の髪の色と同じ、深い夜空を思わせる紺色。最高級の絹で作られたその着物は、肌触りもよく、身にまとうだけで背筋が伸びるような気がした。
隠れ里で過ごした三年間で、僕の背は驚くほど伸びた。幼かった顔立ちも、少しずつすっきりと凛々しくなっている。
もちろん、紺の着物も黒が新調してくれたものだ。
純白の生地に繊細なレースがあしらわれ、腰元には大きな赤いリボンが結ばれている。
そんな可愛らしい着物の裾を揺らしながら、紺は僕の後ろから帝都の街並みを覗き込んでいた。
「うにゃぁぁ……人がいっぱい、美味しそうな匂いもいっぱいなの……!」
きらきらと輝く紺の瞳。ふさふさの尻尾は、嬉しさを隠しきれないようにパタパタと揺れている。
紺もこの三年間で、少しだけお姉さんになった。
けれど、珍しいものを前にすると夢中になってしまうところは、昔と変わらないみたいだ。
「紺、しっぽ出てるよ!気をつけて。あと、迷子にならないように僕の手を握っててね」
「はいなの!あかり様の手、温かいの……!」
紺は嬉しそうに僕の手をぎゅっと握った。
僕はその様子に微笑みながらも、少しだけ真剣な声で言い聞かせる。
「いい?人前では、紺は普通の女の子なんだからね。帝都には、紺みたいに見た目が綺麗だったり、強い力を持っていたりするあやかしを捕まえようとする、悪い陰陽師もいるんだ。学校の結界に入るまでは、女の子の姿でいてね。学校に着いたら、狐の姿でも半妖の姿でも大丈夫だから」
「わかったなの!」
元気よく返事をする紺。
……でも。
「わぁ、あれは何なの?あっちからも美味しそうな匂いがするの!」
珍しい食べ物や建物が目に入るたび、紺の視線はあっちへこっちへ。
着物の裾や柔らかな髪のあいだから、狐耳やふさふさの尻尾がぴょこぴょこと顔を出していた。
「紺、隠して隠して!」
「は、はいなの!」
そんなやり取りをしながら、僕たちは帝都の街を進んでいった。
「よし、あかり。お前をゴミだと捨てた実家の連中が、どれだけちっぽけな世界で威張っていたか……この帝都のど真ん中で証明してやろうじゃねえか」
黒の口元が、不敵で頼もしい笑みに歪む。
彼とすれ違った人々は、その誰もが一度は足を止め、あるいは肩越しに、その超絶美形な青年の後ろ姿を振り返っていた。
「……あの綺麗な方は、一体どこのご子息かしら?」
感嘆と好奇心の入り混じった囁き声が、周囲から聞こえてくる。
「うん!黒に教わった僕たちの力、帝都の学校で見せてあげるんだ」
僕は元気よく答えた。けれど、ふと周囲を見回して苦笑する。
「でもその前に……黒、人間の姿だと目立ちすぎちゃってるよ。ほら、みんな見てる」
「……おっと。目立たないように、だったな」
黒はハッとしたように周囲を見回した。
次の瞬間、ポンと軽い煙が上がった。
そこにいた美青年の姿は消え、代わりに一匹の黒猫が現れる。
黒は軽やかな身のこなしで僕の肩へ飛び乗った。
二本のふさふさした尻尾が、僕の背中をパタパタと叩く。
まるで「任せたぞ」と言っているみたいだった。
その時、僕の手を握っていた紺が、勇気づけるようにぎゅっと力を込めてきた。
「大丈夫なの。あ、あかり様、こ、紺がついてるなの」
「うん。ありがとう、紺。それじゃあ、行こうか!」
最高の家族に守られながら、僕たちはついに目的地へとたどり着いた。
帝都で一番大きな陰陽師の養成機関――『帝都陰陽学校』。
見上げるほど巨大な赤レンガの正門。その向こうには、これから始まる新しい日々が待っている。
帝都に集まる怪しいあやかしたち。そして、その裏に潜んでいるかもしれない常闇の会。
一体、ここで何が起きているのだろう。
高鳴る胸を押さえながら、僕は静かに、そして堂々と正門をくぐり抜けた。
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