影の津波と、絶望の大人たち
「忌み子と野良猫め、塵に変わるがいい!――急々如律令!」
神楽坂の怒号が、庭に響き渡った。
その合図と同時に、実家のエリート陰陽師たちが一斉に呪符を掲げる。
十数枚のお札が、青白い光を放った。
バチバチッ!!
空気が激しく震え、肌を刺すような霊力が庭を満たしていく。足元の小石が跳ね、木々の枝葉がびりびりと揺れた。
そして――。
ゴオオオオオオッ!!
呪符から噴き上がった炎が、空中でひとつに集まった。
燃え盛る翼。鋭い嘴。天を覆うほど巨大な体躯。
現れたのは、土御門家が得意とする大規模な炎の術――『紅蓮鳳凰』。
十人以上の陰陽師が霊力を合わせて生み出した炎の鳳凰は、まるで本物の神鳥のように翼を広げた。
羽ばたくたび、周囲の空気が灼熱に変わる。
庭に立つ立派な木が、その熱にさらされた瞬間、葉を巻き上げながら黒く焦げた。幹までもが一瞬で真っ黒な炭へと変わり、パキパキと不気味な音を立てて崩れていく。
これほどの炎が直撃すれば、普通の人間は骨すら残らないだろう。
紅蓮の鳳凰は、空気を焼き尽くしながら、僕たちめがけて一直線に突っ込んできた。
「紺!僕の後ろにいて!」
「にゃ、にゃあぁぁ!焼き狐になっちゃうのー!」
紺が悲鳴を上げ、僕の背中にしがみつく。ふさふさの耳はぺたりと伏せられ、尻尾までぶるぶると震えていた。
それほどの熱と迫力だった。
けれど――。
隣に立つ黒は、少しも動じていなかった。
人間の姿のまま、妖刀の柄に手をかけ、迫り来る炎の鳳凰を見つめている。
その口元に、ニヤリと不敵な笑みが浮かんだ。
「あかり、お手本を見せてやれ」
「うん!」
僕は迷わず頷いた。
「みんな、あんな熱いの、食べちゃって」
その瞬間。
僕の足元に広がっていた影が、意思を持った生き物のように蠢いた。
ドロリ……。
黒い波が地面を這い、庭を覆い、屋敷の敷地全体へと広がっていく。
やがて、押し寄せる紅蓮の炎さえ呑み込まんとするほどの、巨大な『影の壁』が立ち上がった。
その表面に、ぽつり。
また、ぽつり。
金色の光が灯り始める。
ひとつ、十、百……。
数えきれないほどの金色の瞳が、漆黒の壁の中から一斉に開いた。
その正体は、数千匹もの影猫たち。
黒い身体に、きらりと輝く金色の目。
いつもなら愛らしいその姿が、今は無数の影の中で、獲物を狙う捕食者のように並んでいた。
そして――。
「にゃああぁぁぁぁぁぁ!!!」
数千の影猫が、一斉に鳴いた。
その大合唱が山の空気を震わせ、紅蓮の鳳凰の咆哮さえかき消す。
次の瞬間、影の壁が弾けた。
無数の影猫たちが、黒い弾丸のように飛び出していく。
迫り来るのは、すべてを焼き尽くす紅蓮の炎。
それに対して、影猫たちは一匹たりとも怯まなかった。
小さな身体を躍らせ、燃え盛る翼へ。炎の胴体へ。巨大な嘴へ。
数千匹の影猫が、紅蓮の鳳凰に一斉に飛びかかった。
そして――。
ガブッ。
ムシャッ。
ガツガツ、ムシャムシャ。
「……え?」
陰陽師のひとりが、間の抜けた声を漏らした。
影猫たちは、あろうことか、紅蓮の鳳凰を食べ始めていた。
鋭い牙で炎を噛みちぎり、黒い口を大きく開けて、灼熱の業火を次々と呑み込んでいく。
まるで、目の前に差し出されたオヤツでも食べているかのように。
炎の翼が消える。
巨大な胴体が削られる。
鋭い嘴が、あっという間に影猫たちの口の中へと消えていく。
あれほど凄まじかった紅蓮の炎が、数千匹の影猫にむしゃむしゃと食べられ、見る見るうちに小さくなっていった。
「な、何だと……っ!?」
神楽坂の顔が引きつった。
「バ、バカな!土御門の精鋭十人がかりの炎の術が、ただの猫の影に喰われているだと……!?」
陰陽師たちの表情から、余裕が消えた。
誰もが目の前の光景を信じられず、呪符を構えたまま立ち尽くしている。
自分たちが誇る大規模な術が、たった一人の少年が生み出した影猫たちに、あっさりと食べ尽くされているのだ。
最後の炎のひとかけらが消えた。
紅蓮の鳳凰は、跡形もなく消滅していた。
一方、影猫たちはというと――。
「ゲプッ」
満足そうに小さな煙を吐き出していた。
中には、ころんと地面に転がり、お腹をぽんぽんと叩いている子までいる。
そして、食事を終えた影猫たちは、ゆっくりと顔を上げた。
金色の瞳が、一斉に神楽坂たちを捉える。
ギロリ。
その視線には、もう遊びの気配などなかった。
数千匹の影猫と、たった十数人の陰陽師。
その圧倒的な数の差を前にして、もはや勝負になるはずもなかった。
僕は木刀を握り直し、神楽坂へと視線を向けた。
「さて、神楽坂さん。次は僕たちの番だよ」
一歩、前へ。
たったそれだけの動きだった。
なのに、神楽坂の顔から血の気が引いた。
「ひっ……!」
情けない悲鳴を上げた神楽坂は、腰から力が抜けたように、その場へへたり込んだ。
つい先ほどまで、僕を『忌み子』と嘲笑っていた男が。
土御門家の力を背負い、僕を塵に変えると豪語していた男が。
今はただ、目の前の少年と、その足元に広がる無数の影猫たちに怯えていた。
お読みいただきありがとうございます。
ガチガチにイキっていた大人たちが一瞬で血の気を引かせて腰を抜かす、スカッとする無双回でした
次回もお読みいただけると嬉しいです。
【更新は明日20:00時を予定しております】




