第五章5 『神の代理人』
「ありがとう、巫女様」
ひび割れた唇からこぼれる声は、かすれていた。
それでも、その奥にある感情だけははっきりと伝わってくる。
「あなたが来たおかげで……こんな世の中でも、生きる希望が持てるってもんだ」
その言葉に、私はただ静かに頷いた。
差し出された手を、両手で包む。
冷たい。
血の気が、もうほとんど残っていない。
それでも、その手は確かに“生きよう”としていた。
――魔王との戦争が始まって、およそ三年。
焼けた大地の匂いも、泣き声も、祈りも。
すべてが日常になってしまった。
私は、生まれた時から巫女となることを定められていた。
嫌だと思ったことはない。
それは誇りであり、役目であり――逃れられない“意味”だったから。
神の代理人。
そう呼ばれるだけで、人は頭を垂れ、道を開ける。
その視線の中にあるのは、敬意と――ほんの少しの恐れ。
けれど、その立場は同時に、境界でもある。
教会を信仰している街や村。
王都ですら、私は“歓迎される存在”ではない。
入ることはできる。
だがそれは、神の名を盾にした“侵入”に近い。
だから私は、選ぶ。
必要とされる場所へ。
手を伸ばせる場所へ。
それが人であろうと、魔族であろうと、魔獣であろうと関係ない。
――救いを求める声があるのなら。
それに応えることこそが、巫女の在り方だと信じている。
だが。
戦場を巡るたびに、その信念は削られていく。
焼け焦げた家屋。
折り重なる遺体。
乾ききらない血の匂い。
本来、流れるはずのなかった血が、あまりにも多すぎる。
「……どうして」
誰に向けたのかもわからない問いが、胸の奥で滲む。
敵は誰だ。
魔族と人は、かつて手を取り合っていたはずだ。
同じ空の下で、生きていたはずだ。
それなのに今は――
祈りは、呪いに変わりつつある。
「奪われたなら、奪い返せ」
「殺されたなら、殺し返せ」
その声は日を追うごとに強くなり、やがて“正義”の形をしていく。
夫を失った者。
妻を焼かれた者。
子を攫われた者。
その悲しみを、否定することはできない。
だが――
それが連鎖していく限り、この世界に終わりは来ない。
私は、祈る。
それでも祈る。
けれど。
その祈りが届く者は、確実に減っていた。
まるで――
神ですら、この世界から目を逸らしているかのように。
....
...
..
平原を駆ける二つの影は、まるで風に追われるように速度を上げていた。
背に巨大な斧を負う男と、場違いなほど重そうな学者服に身を包んだ少女。誰が見ても、長距離を走る格好ではない。だが、二人の足は止まらない。
背後――森の奥から、獣とも魔物ともつかぬ咆哮が重なり、空気を震わせていた。
やがて、茂みを掻き分ける音と共に現れたのは、異様な一団だった。
痩せこけた身体に粗末な装備。それでいて、不釣り合いなほど禍々しい紋章の腕章をつけたゴブリンたち。鋭い牙を剥くムーンウルフに跨っていた。
――ゴブリンライダー。
しかも、それが五体。
「奴らを捕えろ!!」
「魔王様万歳!!!」
「全部剥ぎ取れ!!女は孕み袋だァ!!」
耳障りな叫びが平原に響き渡る。
その中で最後に姿を現したのは、ひときわ異質な存在だった。
頭に赤い頭巾を被ったゴブリン――レッドキャップ。
跨るムーンウルフは、他の個体よりも一回り大きく、筋肉が盛り上がるように隆起している。
「そいつらは魔王軍の獲物だ!!勝手に手を出すなァ!!」
怒号と共に、一団が一斉に加速する。
迫る殺意。
地を蹴る音が、どんどん近づいてくる。
「斧使い……どうするのよ……あれ、どう考えてもマズいでしょ……!」
息を切らしながら、学者の少女が振り向く。
だが、男は答えない。
ただ、静かに――距離を測るように視線を後方へ向けていた。
「ちょっと!黙ってたら何も――」
焦燥に耐えきれず叫んだ瞬間、男が振り返る。
その目は、すでに戦場のそれだった。
「……お前、毒沼を展開する魔法は使えるか」
短く、的確な問い。
一瞬の沈黙のあと、少女の表情が変わる。
疲労の色は消え、代わりに――自信に満ちた笑みが浮かんだ。
「当たり前でしょ。私を誰だと思ってるの?」
その声音には、先ほどまでの弱さはない。
「いいか。奴らを引きつける」
男は足を止めずに続ける。
「十分に距離を詰めさせたところで発動しろ。範囲は広く――逃げ場を残すな」
「了解」
即答。
呼吸が荒いはずなのに、その声は妙に落ち着いていた。
「それと――」
男の視線が、最後尾の存在へと向けられる。
赤い頭巾。
異様な圧を放つ個体。
「あの赤いのは、俺がやる」
低く、断定する声。
そこには一切の迷いがなかった。
背後から迫る咆哮が、さらに近づく。
地面が震える。
風が荒れる。
だが二人は止まらない。
むしろ――その速度は、わずかに落ちた。
「……引きつけるってことは、あえて追いつかせるのね」
少女が小さく呟く。
「ああ」
短い返答。
その瞬間、二人の間に戦意が満ちた。
逃げるためではない。
――狩るための減速。
平原に、見えない火蓋が切って落とされようとしていた。
じり、じりと――距離が詰まっていく。
背後から迫る気配は、もはや音ではなく“圧”となって二人の背を叩いていた。
学者の少女は震える手で魔導書を握り締める。指先は汗で滑り、今にも落としそうになる。
「まだだ、俺の合図を待て」
低く抑えた声。
その一言だけが、辛うじて心を繋ぎ止める。
一歩。
また一歩。
汚らしい罵声と、獣の唸り声が混ざり合い、耳の奥を侵してくる。
その光景を見た瞬間――
少女の脳裏に、過去がよぎった。
無力だった記憶。
抗えなかった恐怖。
「っ……」
喉が詰まり、冷や汗が頬を伝う。
「大丈夫だ」
前を走る男の声が届く。
「こいつらは盗賊ほど賢くない」
短いが、確信に満ちた言葉。
それだけで、崩れかけた意識がわずかに持ち直す。
「……うん」
小さく息を吐き、視線を前へ戻す。
――そして。
近い。
もう、すぐそこまで来ている。
(まだ……? もういいでしょ……?)
(お願い……早く……!)
「――いまだ!!」
鋭い号令が響いた。
少女の目が見開かれる。
思考を飛ばし、反射で詠唱へ入る。
「あぁ沼よ――かの者たちを貶める罪よ……!」
声が震える。それでも止めない。
「汚物に塗れ、なお災いを与えたまえ――!」
魔力が地へと流れ込む。
「――ポイズンマッド!!」
次の瞬間。
地面がぐずりと崩れた。
紫に濁った毒沼が広がり、ゴブリンライダー四体をまとめて飲み込む。
「ギャァァァッ!?」
「ナンダ……コレハ……ッ!?」
もがく。
だが、沈む。
足は抜けず、身体は絡め取られ、毒が内側から侵していく。
目から、口から血を垂らしながら、断末魔を上げて沈んでいった。
――だが、一体。
範囲の外にいた一体が、勢いそのままに飛び出した。
「ギィッ!!」
少女へ一直線に迫り、薄汚れたカトラスを振り上げる。
「っ――!」
反応が遅れる。
その瞬間――
男の影が割り込んだ。
甲高い金属音。
ハンドアクスで刃を受け止め、そのまま弾き飛ばす。
「なっ……!?」
ゴブリンの動きが止まる。
理解が追いつかない、ほんの一瞬。
それで十分だった。
男の斧が振るわれる。
ただそれだけで――
ゴブリンとムーンウルフは、何の抵抗もなく両断された。
血が舞い、遅れて肉体が崩れ落ちる。
静寂が訪れる。
先ほどまでの喧騒は消え、残るのは毒沼に沈む音と、風の流れる音だけ。
少女は荒い呼吸のまま、その場に立ち尽くした。
だが、終わったわけではない。
――あと一体。
まだ、“本命”が残っている。
毒沼に沈んでいく仲間たち。
断末魔が、じわじわと途切れていく中――
ただ一体。
レッドキャップだけが、その場に留まっていた。
やがて、跨っていたムーンウルフの足が止まる。
ぴたりと。
まるで、空気ごと凍りついたかのように。
赤い頭巾の奥から、じっとこちらを見据えている。
その視線は、怒りでも狂気でもない。
――観察。
値踏みするような、嫌に冷えた視線だった。
「あれ……逃げる気なの?」
少女が、戸惑いを滲ませて呟く。
「いや……」
男はわずかに目を細める。
「見てるだけだ。……だが、下手をすれば一度退くかもしれないな」
その言葉に、少女の表情が歪んだ。
「はぁ!?それってズルくない!?私たち、こんなに必死で戦ったのに!」
声には、怒りと焦りが混じっている。
だが――
男は一歩、前に出た。
風が揺れる。
そのまま、まっすぐレッドキャップを見据え――
口を開く。
「おい」
低く、はっきりとした声。
「レッドキャップのくせに腰抜けか?」
空気が、張り詰める。
「たかが人間二人に背を向けるって?……その赤い帽子、飾りか?」
さらに一歩、踏み込む。
口元に、わずかな嘲りが浮かんだ。
「それともパンツか何かか?クソゴブリン」
「……え」
少女が、間の抜けた声を漏らす。
思わず男の横顔を見る。
「あなた……そんなこと言うの?ちょっとびっくりなんだけど……」
だが男は視線を逸らさないまま、短く答えた。
「これも作戦だ」
一切の迷いはない。
「倒せる可能性があるなら、何だって使う」
その言葉が落ちた瞬間――
空気が変わった。
レッドキャップの肩が、ぴくりと震える。
次の瞬間。
「ギ……ィィィィ……!!」
低く、喉を裂くような唸り。
怒り。
純粋で、濁りきった殺意が溢れ出す。
ムーンウルフの脚が地面を抉る。
――来る。
「下がってろ」
短い指示。
直後。
地面が爆ぜた。
レッドキャップが、怒りに任せて一直線に突っ込んでくる。
その速度は、先ほどのゴブリンたちとは比べ物にならない。
空気を裂き、一直線に二人へと迫る。
挑発は、成功した。
だが同時に――
最も危険な敵が、牙を剥いた瞬間でもあった。
――その瞬間。
空気が裂けた。
斧使いの冒険者は、迷いなく手にしていたハンドアクスを地面へと落とす。
乾いた音が、やけに遠く響いた。
代わりに背中へと手を回し、もう一つの得物を掴む。
引き抜かれたそれは、鈍く重い気配を纏っていた。
バトルアクス――断頭斧・吽
両手で握り締めると同時に、地を踏み込む。
間合いに入る。
レッドキャップが迫る。
その赤い頭巾の奥で、確かな殺意が燃えている。
――だが。
その距離に踏み込んだ時点で、すでに終わっていた。
振り上げる。
ただ、それだけ。
振り下ろす。
ただ、それだけ。
余計な動きは一切ない。
だがその一撃は――
“間”そのものを断ち切るように、振り抜かれた。
次の瞬間。
レッドキャップは、理解できないまま――
その身体を、綺麗に両断されていた。
抵抗も、防御も、意味をなさない。
ただ結果だけが、そこに残る。
血が、遅れて噴き出す。
上下に分かれた身体が、地に崩れ落ちる。
――一瞬。
本当に、一瞬の出来事だった。
静寂が訪れる。
風が草を揺らし、何事もなかったかのように流れていく。
その光景を前にして、ふと脳裏に蘇る言葉があった。
――鬼子の少女の言葉。
“本物の業物を握った時、瞬間に放てる一撃がある”
黒鬼鋼で鍛えられた武器。
そこには血と呪い、そして戦の魂が宿る。
だからこそ――
その一瞬を、引き寄せることができる。
“誰にでもできるわけじゃない”
“でも、もし掴んだなら――絶対に忘れるな”
“それは、お前の最速になる”
男は無言で斧を下ろす。
今の一撃。
あれは技でも、力でもない。
ただ――
“掴んだ”だけだった。
最速の、一閃を。
「えっ……今、何が起こったの……!?」
学者の少女は、ただ呆然と立ち尽くしていた。
目の前で起きた出来事が、どうしても現実として結びつかない。
「……まぐれだ」
男は短く言い捨てる。
「期待はするな」
「いやいやいや、無理でしょ!?今の一閃、見えなかったんだけど!?」
少女は一歩詰め寄る。
「ねえ、そういうギフト持ってるの?瞬間加速とか、時間操作とか!」
「ない」
即答だった。
「あるとすれば……武器だな」
その言葉に、少女は男の背にある大斧へと視線を向ける。
「その斧で、あんなの出せるの……?達人どころじゃないでしょ……」
だが男はそれ以上答えない。
ハンドアクスとバトルアクスを無造作に背へ収めると、そのまま歩き出した。
「……そろそろ行くぞ」
振り返らずに言う。
「もう少し進めば村が見える。今日はそこで宿を取る」
「ちょっと!まだ説明――って、待ちなさいよ!」
慌てて少女も後を追う。
先ほどまでの死闘が嘘のように、二人は静かに歩き出した。
風が草原を撫でる。
血の匂いも、叫びも、遠ざかっていく。
――だが。
しばらく進んだ先。
違和感が、空に浮かんでいた。
黒煙。
最初は雲かと思った。
だが、近づくにつれて、それが“地上から上がっているもの”だと理解する。
そして――
村があるはずの場所に辿り着いた時。
その正体が、はっきりと現れた。
「……なに、これ……」
少女の声が震える。
そこにあったのは――
村ではなかった。
焼け落ちた建物の残骸。
崩れた骨組み。
そして、風に舞う灰。
「どういうこと!?ここに村があるって聞いてきたのに!」
取り乱す少女の声を、男は聞き流す。
無言のまま、歩を進める。
かつて門があったであろう場所へ。
そこに――
一人の老人が、伏せるように座っていた。
「……この場所で、何があった」
問いは短い。
答えは、すでに予想している。
老人はゆっくりと顔を上げる。
「……あんた、冒険者かい」
乾いた声だった。
「見ての通りだよ。盗賊と……魔王軍だ」
その言葉に、空気が重く沈む。
「奴ら……手を組んで襲ってきた」
――やはりか。
男の目が細まる。
最近、増えている話。
盗賊と魔王軍の共闘。
村を襲い、拠点化する。
受付嬢から聞いていた情報が、現実として目の前に広がっていた。
――ならば。
ここに長居するのは危険だ。
「……歩けるか」
男が問う。
老人は、わずかに笑った。
「これが……歩けるように見えるかい」
ローブを開く。
そこにあったのは――
両足のない身体。
切断面は荒く、無理やり生き延びた痕跡が残っている。
少女が息を呑む。
「……すまない」
男は静かに言った。
「安全な場所へ運ぶ。他に生存者は?」
「……わからん」
老人は首を振る。
「魔王軍の武器でな……ほとんどが灰になった」
その言葉と同時に、少女の視線が地面へ落ちる。
そこかしこに――
人の形を保ったまま崩れた“灰”。
風が吹くたびに、形が崩れていく。
「わしも……両足に食らってな」
老人は続ける。
「切り落として……なんとか逃げた」
沈黙。
重く、冷たい現実だけがそこにあった。
やがて、少女が小さく口を開く。
「……灰毒ね」
震える声だった。
「文献で読んだことがある……」
ゆっくりと、言葉を紡ぐ。
「灰の中で育つ火山性の薔薇……その棘から抽出される毒」
「刺さったら……体が、灰みたいに崩れていくの」
目の前の光景と、知識が一致する。
「対処できるのは、魔法使いくらい……」
拳を握る。
「こんなの……あまりに酷すぎる……」
声が、怒りに震えた。
「戦争でも使用禁止のはずなのに……」
風が吹く。
灰が舞う。
それはまるで――
この村にいた人々の、最期の名残のようだった。
村の奥で蠢いていた“それ”は、近づくにつれて輪郭を持ち始めた。
焼け焦げた地面の上に膝をつき、何かを拾い集めるように、あるいは祈るように、黒い影はぶつぶつと呟き続けている。
不気味なほどに、こちらへ敵意を向ける気配はない。
それでも、斧使いの冒険者は一歩前に出たまま、警戒を解かない。
「……あなた、大丈夫?もしかして村の人?」
学者の少女が恐る恐る声をかける。
その瞬間だった。
黒いローブの塊が、ゆっくりと――まるで壊れた人形のように、不自然な動きで立ち上がる。
そして、こちらを向いた。
ローブの奥から覗いた顔に、少女は息を呑む。
灰に覆われた世界の中で、あまりにも異質な――
「えっ……女神……様?」
思わず零れた言葉。
それほどまでに、その女性は美しかった。
透き通るような白い肌。焼け跡の中でもなお輝きを失わない金色の髪。そして、どこか人間離れした静謐な瞳。
だが、その瞳の奥には――感情が、ほとんど存在していなかった。
数拍の沈黙の後、女は静かに口を開く。
「……私は、女神様ではありません」
澄んだ声が、灰の匂いに満ちた空気を震わせる。
「神の御許に仕え、“黒”の名を冠する巫女……ただ、それだけの存在です」
その言葉は、まるで自らの存在を否定するように淡々としていた。
少女は戸惑い、言葉を失う。
だが、斧使いの冒険者は違った。
一切の感情を乗せず、ただ事実を見極めるように、その女を見据える。
「……ここで何をしている」
短く、鋭い問い。
女は一瞬だけ視線を落とし、足元――灰の中へと目を向けた。
そこには、かつて人だった“何か”の残滓が、無数に散らばっている。
「弔い、です」
ぽつりと呟く。
「――私は神の代理人」
黒の巫女は、静かに語り始めた。
「神の代わりに地上へ降り立った存在。私の目で見て、耳で聞いて、肌で感じる……その五感すべては、神へと通じています」
灰の風が、彼女の黒いローブを揺らす。
「だからこそ私は、このような戦火の中へ赴きます。生きる者の営みを見届け、そして――理不尽に搾取された魂が、無事に天へ還れるよう祈るために」
その声は淡々としているはずなのに、どこか深い静けさを孕んでいた。
学者の少女は、一歩だけ前に出る。
「……黒の巫女様」
少しだけ遠慮がちな声。
「祈っていただけるのは、本当にありがたいことです。でも……ここはあまりにも、身体に悪い場所です」
灰に覆われた地面を見下ろし、唇を噛む。
「もしよろしければ、場所を変えませんか?」
黒の巫女はわずかに目を伏せた。
ほんの一瞬、迷いの色が過ぎる。
だがやがて、小さく頷いた。
「……わかりました」
三人は、崩れ落ちた村を後にするように、門の方へと歩き出す。
その途中、わずかな可能性に縋るように、生存者を探して村を巡った。
だが――
結果は、沈黙だけだった。
焼け跡と灰。
それ以外、何も残ってはいない。
やがて門へと辿り着いたとき――
そこにあったはずの“人影”は、消えていた。
残されていたのは、煤けたローブだけ。
風に揺れ、かすかに形を保っているそれは、つい先ほどまで“誰か”がそこにいた証だった。
「……灰毒はね」
ぽつりと、学者の少女が呟く。
「一度感染すれば、薬か魔法でしか助けられないの。切断しただけじゃ……どうにもならない」
拳を強く握りしめる。
「それでも、あの人は生きてたから……特別なんだって、自分に言い聞かせてた」
声が、かすかに震える。
「本当は……簡単な魔法で治せたのに。灰毒が使われるなんて思ってなかったから、準備もしてなかった……」
悔しさを押し殺すように、俯いた。
「……これは、私の甘さよ」
その言葉のあとに続くものは、なかった。
黒の巫女は何も言わず、ただ静かにローブへと歩み寄る。
そっと、それを持ち上げると――
ぱらり、と灰が舞った。
まるで、その人の最期をなぞるように。
彼女はそのローブを、胸に抱き寄せる。
そして、目を閉じた。
「――神よ」
静かな祈りが、世界に溶けていく。
「またひとつ、清らかな魂が貴方のもとへ向かいました」
風が止む。
「どうか……優しき抱擁で、彼をお救いください」
祈り終えると、黒の巫女はそっとローブを地面へと置いた。
その仕草は、あまりにも丁寧で――
まるで、まだそこに“人”がいるかのようだった。
気が付けば、学者の少女もまた、両手を胸の前で重ねていた。
ぎこちないながらも、必死に形を作る。
祈り方など知らないはずなのに。
それでも――
「……」
言葉にならない想いだけが、確かにそこにあった。
灰に覆われた村の門の前で。
三人は、しばし無言のまま立ち尽くしていた。




