第五章6 『拠点を作る者達』
三人は、村から少し離れた場所にある一本杉の下へと辿り着いていた。
灰の匂いも、焦げた空気も、ここまでは届かない。
ただ風だけが、静かに枝葉を揺らしている。
「……それで、これからどうするの?」
沈黙を破ったのは、学者の少女だった。
どこか落ち着かない様子で、村の方角を振り返る。
「あの場所……いずれ、なくなっていくの?」
問いかけに、斧使いの冒険者は首を横に振る。
「いや――消えはしない」
短く、断言する。
「おそらく、あそこは拠点になる。盗賊か、魔王軍……あるいは、その両方のな」
「両方……?」
少女の眉が寄る。
「ああ。早ければ今日、遅くても明日には動きがあるだろう。……もしかしたら、あと数時間もないかもしれない」
その言葉に、空気がわずかに張り詰めた。
「……何か、奪い返す方法はないの?」
少女は食い下がるように問いかける。
その目には、先ほどの光景が焼き付いて離れていないのがはっきりと見て取れた。
斧使いの冒険者は答えない。
ただ、静かに目を伏せる。
――思考していた。
拠点を築く者たち、“ベースビルダーズ”。
それを相手にするということが、どういう意味を持つのか。
単独の盗賊団か、単独の魔王軍か。
それだけでも対応は大きく変わる。
だが今回――
(……おそらく、混成だ)
脳裏に浮かぶのは、道中で遭遇したゴブリンライダーの一団。
あの腕章。あの装備。
間違いなく魔王軍のものだった。
だが――違和感があった。
(魔王軍の偵察に、ゴブリンは使わない)
本来であれば、前線の偵察を担うのは
暗殺者――アサシン。
あるいは、蛇の頭を持つ異形――スネイクヘッド。
音もなく、痕跡も残さず、情報だけを持ち帰る存在。
それが“セオリー”だ。
だが今回、前に出てきたのはゴブリンライダーだった。
あれは、本来――内に控える駒。
あるいは、拠点構築時に使い潰される兵だ。
(……前に出す理由がない)
にもかかわらず、出てきた。
ならば理由は一つ。
「……盗賊が混じってるな」
ぽつりと、冒険者は呟いた。
少女が顔を上げる。
「どうして分かるの?」
「相性が悪いんだよ。盗賊とゴブリンはな」
冒険者はゆっくりと続ける。
「気性も、戦い方も噛み合わない。下手に同じ場所に置けば、内輪揉めで統率が崩れる」
だから――
「指揮官は、あえて分けた。盗賊とゴブリンをな」
偵察にゴブリンを出したのは、その副作用。
本来の効率よりも、“統率の維持”を優先した結果。
少女は息を呑む。
「じゃあ……やっぱり両方いるってこと?」
「ああ」
短い肯定。
そして、その先。
「……相手は、およそ五十」
空気が、一段重くなる。
「統率者が一人。盗賊が十。ゴブリンが十五。アサシンが五、スネイクヘッドが五……オークが五に、下働きが十前後」
淡々と並べられる数。
それは、ただの情報ではない。
“現実”だった。
「それに加えて――」
わずかに間を置く。
「この手の隊には、ほぼ確実に“夜の騎士”がいる」
その一言で、少女の表情が強張る。
「……それって、強いの?」
「この隊の火力を底上げする存在だ」
つまり。
「そいつがいるだけで、難易度が一段上がる」
風が吹いた。
一本杉の葉がざわめく。
「……さっき、五体倒したばかりなのに」
少女が小さく呟く。
その声は、どこか現実を拒むようだった。
「残りは……四十五以上か」
その数字が、やけに重く響く。
沈黙。
誰もすぐには言葉を発しなかった。
だが――
その沈黙を破ったのは、意外にも少女だった。
「……それでも」
小さく、しかし確かに。
「見捨てるの?」
その問いに、風が止まる。
斧使いの冒険者は、ゆっくりと顔を上げた。
その目には――
迷いと、そしてわずかな“熱”が宿っていた。
三人の間に、重たい沈黙が落ちた。
こちらの戦力は、たった二人――いや、今は三人。
だがそれでも。
数で見れば、あまりにも絶望的だった。
「……正直なところだ」
斧使いの冒険者が、低く言う。
「俺とお前の二人で、あの規模をどうにかするのは現実的じゃない」
その言葉は冷酷なほどに正しかった。
勝算は薄いどころか、ほとんど“無い”に等しい。
それでも――
「……だとしても」
学者の少女は、拳を握りしめる。
「感じるのよ」
風が、彼女の髪を揺らした。
「彼らの“灰”から……悲しみが。ここを守ってほしいって、そう言ってる気がするの」
その瞳は、もう迷っていなかった。
「ほんとに……二人で、何とかならない?」
真っ直ぐな問い。
斧使いの冒険者は、わずかに目を伏せる。
「いや、それは――」
否定しようとした、その瞬間だった。
「……あの」
小さな声。
二人の視線が、同時に向く。
黒の巫女が、遠慮がちに手を挙げていた。
「わたし……少しなら、神聖魔法が使えます」
一瞬、空気が変わる。
神聖魔法。
それは神に仕える者――聖騎士やシスター、大司教など、ごく限られた存在だけが扱う力。
攻撃、防御、回復、強化。
その用途は多岐にわたるが――
何よりの強みは、“神聖力”。
魔王軍や魔物に対して、絶対的な有効打となる力。
冒険者の目が、わずかに細まる。
「……使えるのか」
思考が、瞬時に切り替わる。
「ちなみに、どこまでだ?」
黒の巫女は、少しだけ考え、言葉を選ぶように答えた。
「基本的なものは……中級までなら、一通り」
その言葉に、少女が小さく息を呑む。
決して軽い水準ではない。
むしろ――十分すぎる。
「攻撃と防御に関しては、光の矢を複数放つ術と……鉄壁の防御魔法があります」
「回数は?」
「強い魔法は……二度が限界です。それと、詠唱には少し時間がかかります」
静かだが、正確な自己申告。
冒険者は頷いた。
「……なるほどな」
視線が地面へと落ちる。
思考が、加速する。
三人。
対して、敵は五十近い。
正面からぶつかれば、まず勝てない。
だが――
(……やりようはある)
完全な殲滅ではなく、“崩す”ことに意味を置くなら。
統率を断ち、恐怖を流し込み、機能を壊す。
その一点に絞れば――
「……わかった」
ぽつりと呟く。
そして顔を上げた時、その目にはすでに迷いはなかった。
「やるぞ」
短く、断言する。
少女の表情が、ぱっと明るくなる。
「ほんとに?!」
「ああ。ただし――正面からはやらない」
冷静な声。
「相手は“軍”だ。なら、戦い方もそれに合わせる」
黒の巫女が静かに頷く。
冒険者は、二人を順に見た。
「まず、奴らが拠点を築く前――準備段階を叩く」
それが、唯一の好機。
「混成部隊なら、統率は脆い。そこを崩す」
視線が、遠くの灰の村へと向く。
「核になるのは、指揮官か……もしくはダークナイトだ」
そこを落とせば、隊は瓦解する。
「そのために――」
わずかに間を置く。
「貴女の魔法と、学者の毒沼を使う」
学者の少女が、にやりと笑う。
「やっと私の出番ってわけね」
黒の巫女は、静かに胸の前で手を組む。
「……出来る限り、力を尽くします」
風が吹いた。
一本杉の葉が、大きく揺れる。
それはまるで――
戦いの始まりを告げる合図のようだった。
夕暮れが迫るころ、三人はさらに場所を移し、身を隠せる岩場の陰で向き合っていた。
西の空は赤く染まり、影が長く伸びていく。
その静けさの中で、斧使いの冒険者は淡々と口を開いた。
「奴らが来るまでに確認すべきは、陣形だ」
視線は遠く、まだ見えぬ敵の進路をなぞるように動く。
「セオリーなら、大名行列みたいに縦に伸びる。だが今回は盗賊が混じってる」
一拍。
「奴らは群れを信用しない。四方に散る可能性が高い」
学者の少女は腕を組み、唸る。
「でも、優秀な指揮官だったら、そのバラバラさを逆に活かしてくるってことよね?」
「ああ。だから――読み切るのは無理だ」
きっぱりと言い切る。
「この人数で偵察を出すのはリスクが高すぎる。だから遠距離から観察する」
村の方角へ顎をしゃくる。
「奴らが到着して、荷を解く瞬間――そこが一番隙が生まれる」
少女は眉をひそめた。
「……なんか、結構ざっくりした作戦に聞こえるんだけど」
否定はしなかった。
「その通りだ」
あっさりと肯定する。
「相手の情報が不確定な状態で詰めすぎると、現場で崩れる」
低く、しかし確信のある声。
「だからあえて余白を残す。状況に応じて動くためにな」
少女は小さく息を吐き、苦笑する。
「なるほどね……どんな天才でも、その場で動けなきゃ意味ないってやつか」
そのときだった。
視界の端で、黒の巫女がわずかに視線を揺らす。
何かを言いかけては、飲み込むような仕草。
「……どうした」
短く問う。
黒の巫女は一瞬だけ迷い、やがて意を決したように口を開いた。
「……お伝えしておきたいことが、あります」
その声は、わずかに硬い。
「わたしは……誰かを、殺めるつもりはありません」
静かな言葉。
だが、その場の空気を確かに変えるには十分だった。
「それは……意思であると同時に、誓約でもあります」
少女が目を瞬かせる。
「誓約……?」
黒の巫女はゆっくりと頷いた。
「わたしは、神の代理人としてこの世界にいます」
夕日の光が、その横顔を淡く照らす。
「神は本来、自らの手で下界を裁くことはありません。もし“間引き”が必要になったとしても……それは天災や疫病といった形で、間接的に行われます」
淡々とした説明。
だが、その内容は重い。
「わたしも同じです。私の魔法で、直接……人や魔物を殺めることは出来ません」
少女が思わず声を上げる。
「じゃあ、さっき言ってた光の矢って……攻撃魔法じゃないの?!」
「……本来は、そうです」
黒の巫女はわずかに目を伏せた。
「ですが、わたしが使う場合……殺めるのではなく、“拘束”へと変わります」
静かに続ける。
「命中した対象を、その場に縛り付ける術になります」
気まずそうに、視線を逸らす。
夕焼けの中、その表情はどこか申し訳なさを帯びていた。
だが――
「それでいい」
即答だった。
黒の巫女が顔を上げる。
「……え?」
「最初から期待してない」
淡々とした声音。
だが、そこに否定の色はなかった。
「神に仕える側が直接手を下せないのは、見ていれば分かる」
少女が小さく笑いを堪える。
「何その雑な理解……」
冒険者は構わず続けた。
「重要なのは役割だ。殺すかどうかじゃない」
その視線が、二人を順に捉える。
「足止めできるなら、それで十分だ」
短く、確かに。
「使えるものを、使える形で使えばいい」
黒の巫女は、ほんのわずかに目を見開き――
やがて、小さく頷いた。
「……ありがとうございます」
その声は、先ほどよりもわずかに柔らかかった。
夕日が沈みかける。
夜が、すぐそこまで来ていた。
.....
とある商人は、酒場の隅で声を潜めて語った。
――あの一団を見たら、荷をまとめて逃げろ。
あれはな、「村が一つ死んだ証」だ。
また別の村人は、震える声でこう言った。
――視界に入れただけで不吉を呼ぶ。
あれは「死の前触れ」だ、と。
拠点を作る者達――ベースビルダーズ。
その一団が動く時、それはすでに一つの村が滅びた後を意味する。
焼かれ、奪われ、蹂躙され、抵抗の痕跡すら灰へと変えられた場所。そこに彼らは現れ、まるで当然のように新たな拠点を築き始める。
それは“侵略”というよりも、もっと静かで、粘つくようなものだった。
寄生――。
一つ拠点が生まれれば、その周囲の村は時間をかけて削られていく。
略奪され、恐怖に縛られ、やがて誰もいなくなる。
そうして空いた土地は、また次の拠点へと変わる。
気づけば、魔王軍はじわじわと領土を広げている。
だが――王国は、それを止めない。
否、止められないのではない。
“止めない”のだ。
理由は単純で、そしてあまりにも冷酷だった。
ひとつは、ギルドへの依頼。
運良く生き延びた者が、王国より先に助けを求めるケース。
だがそれは、奇跡に近い。
もうひとつは、王国そのものの事情。
魔王との大戦に力を注ぎ、地方の被害に手を回す余裕がない。
――王都さえ守れればいい。
そんな理屈が、まかり通っていた。
地方の村がいくつ消えようと。
そこにどんな絶望が積み重なろうと。
王国にとっては、取るに足らない“誤差”でしかない。
だから今日も。
どこかの村が焼かれ、誰かの人生が踏みにじられ、
そしてまた一つ――
黒い行列が、静かに進んでいく。
新たな拠点を生み出すために。




