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世界の断頭(仮)  作者: でいおん
第五章 巫女
33/36

第五章3 『黒鬼鋼(クロキハガネ)』

朝を迎えた。


差し込む光は、街で見ていたものとはまるで違う。


濁りのない、まっすぐな朝日だった。


まぶたの裏に届いたその光で、自然と目が覚める。


一階からは、包丁の音と火の弾ける音。


農家の女性が、もう朝の支度を始めているらしい。


隣の部屋からも、小さな物音が聞こえる。


……起きたか。


ゆっくりと体を起こし、部屋の隅に置かれた鏡を見る。


薄く汚れた鏡に映る自分の顔。


疲れは残っている。


だが――


どこか、張り詰めたものが緩んでいる。


「……」


小さく息を吐く。


これは、あまり良くない。


気を抜けば、鈍る。


そのまま扉へ向かい、廊下に出る。


ちょうど同じタイミングで、隣の扉が軋んだ。


学者の少女が、そっと顔を出す。


目が合う。


一瞬だけ、空気が止まった。


「あっ……お、おはよう……ございます」


ぎこちない声。


まだどこか遠慮が残っている。


「もう、お身体……大丈夫、ですか?」


「あぁ……」


短く答える。


「ありがとう。お前も無事で何よりだ」


その言葉に、少女の表情がわずかに緩む。


「……ありがとうございます」


少しだけ、間が空く。


沈黙が続きそうになり――


先に口を開いた。


「よかったら、朝食までに薪を切ろうと思うんだが」


一拍置いて、


「……一緒に来るか?」


少女はきょとんとした顔をした。


意味を理解するまで、ほんの一瞬。


それから、ぱっと目を見開く。


驚きと、戸惑いと――


それ以上に、隠しきれない嬉しさが滲んだ。


「は、はい……!」


少しだけ前のめりに頷く。


その反応に、わずかに視線を外す。


「無理はするなよ」


ぶっきらぼうに言いながら、先に歩き出す。


その後ろを、小さな足音がついてくる。


廊下を抜け、朝の光の中へ出る。


冷たい空気が、肺に心地よく入ってくる。


薪を割る音が、これから始まる。


静かで、穏やかな一日の始まりだった。


農家の女性に薪割りの話をすると、少しだけ眉を寄せた。


「無理はしないでくださいね?」


そう念を押しながらも、最終的には穏やかに頷き、外の薪割り場まで案内してくれた。


家の裏手、朝露に濡れた土の匂いが漂う場所。


積まれた丸太と、使い込まれた斧が並んでいる。


手に取る。


重さ、重心、柄の感触。


いくつか確かめて、一番しっくりくるものを選ぶ。


大きすぎず、小さすぎない。


振り抜くのにちょうどいい斧。


丸太の前に立ち、足の位置を整える。


一呼吸。


――振り下ろす。


乾いた音が、朝の空気に響いた。


木が割れる感触が、腕に伝わる。


懐かしい。


ギフトを使えば一瞬で終わる。


だが、あえて使わない。


こうして一つずつ割ることで、忘れかけていた“自分の感覚”を引き戻していく。


もう一度、振り下ろす。


また一つ、割れる。


一定のリズム。


その後ろで、学者の少女がじっと見ていた。


興味深そうに、まばたきも少なく。


やがて、不意に口を開く。


「……そうやって見ると、木こりにも向いてそうなのね?」


思わず手が止まる。


「……あっ、ごめんなさい!」


慌てて手を振る。


「でも、その……あんまりにもフォームが完璧だったから……!」


その必死な言い訳に、ふっと息が漏れる。


小さく、笑いがこぼれた。


「いや、構わない」


斧を肩に担ぐ。


「俺は元々、木こりだったからな」


その言葉に、少女は一瞬きょとんとしたあと――


ぱっと、笑った。


「……やっぱり」


納得したように頷いたあと、


「でも……」


少しだけ目を細めて、


「あなた、笑うのね」


驚いたように言う。


「絶対に笑わない人だと思ってた」


その言葉に、少しだけ間が空く。


「……そうか」


短く返す。


だが、否定はしなかった。


再び斧を構え、振り下ろす。


乾いた音が、また響く。


朝の光の中で、


木が割れる音と、小さな笑い声が、ゆっくりと重なっていった。

.....

...

.


そんな穏やかな日常が、二、三日続いた。


気がつけば、身体は戦える程度には戻っていた。

傷の痛みも、もはや邪魔にはならない。


頃合いだ。


農家の女性に声をかける。


「すまないが、二、三日中にここを出たい。現在地がわかるようなマップはあるか?」


言葉にすると、彼女は一瞬だけ表情を曇らせた。

だがすぐに小さく頷き、本棚へと向かう。


差し出された地図は、使い込まれているが丁寧に保管されていた。


「ただ……これは持ち出せないの。この場所は、ギルドでも秘匿されている地域だから。信頼できる人と、限られた聖騎士しか知らない場所で……」


「構わない。見られれば十分だ」


広げた地図に目を落とす。


地形、川の流れ、森の切れ目――一度見れば忘れない。

頭の中で経路をなぞる。


(鬼子の住処……そこまで遠くはない)


歩きで一日。問題ない距離だ。


地図を閉じ、彼女に返す。


「ありがとう。貴重な情報だ」


そう言うと、彼女はほっとしたように微笑んだ。


「……出発は、いつ頃ですか?」


「できれば、すぐにでも」


一瞬、間が空く。


「……では、少しだけ待ってもらえますか?三十分……いえ、二十分で準備します」


「あぁ、構わない」


その言葉を聞くと、彼女は急ぐようにキッチンへ消えていった。


――その背を見送り、自室へ戻る。


支度、と言っても大したものはない。


武器はすべて壊れた。

残っているのは、いくつかのポーションと指輪。

それを身につけ、二の腕まで覆う手袋をはめる。


それだけで、十分だった。


――準備は終わりだ。


ふと、扉を軽く叩く音。


「……入るぞ」


返事を待たずに扉が開く。


学者の少女だった。


「どうしたの?急に準備なんて……どこか行くの?」


少しだけ言葉を選び、


「あぁ。用事を済ませてくる」


「……そっか」


小さく落ちた声。

視線もわずかに揺れている。


沈黙が流れる。


そのまま背を向けようとした時――


「……あの!」


呼び止められる。


振り返ると、彼女は一歩だけ近づいてきた。


「帰ってきたら……話、聞いてもらってもいい?」


視線を合わせてくる。逃げない目だ。


少しだけ目を細める。


「あぁ、構わない」


その返事に、彼女の表情がわずかに緩んだ。


「……ありがとう」


ポーチから、二つのスクロールを取り出す。


差し出されたそれを受け取る。


「炎と水の攻撃魔法。開けば誰でも使えるから……ピンチの時に」


紙越しに、微かに魔力の気配が伝わる。


「……助かる」


短く礼を返す。


それ以上の言葉はなかった。


農家の女性は、約束の時間ぴったりに戻ってきた。

手には簡素な布袋。干し肉と固いパン、小さな水筒が詰められている。


「大したものじゃないけど、道中で困らないようにね」


差し出されたそれを受け取り、軽く頷く。


「あぁ、助かる」


「気をつけてくださいね。無理は、しないで」


その言葉に、ほんの一瞬だけ返す言葉を迷う。

口を開きかけて、結局、短く吐き出す。


「……善処する」


曖昧な返事。それでも彼女は満足そうに笑った。


「あっ、それと……」


言い淀んだあと、彼女はもう一つ差し出してきた。

つい今朝まで使っていた、薪割り用の斧だった。


使い込まれた柄。手に馴染む重さ。

無骨だが、嘘のない道具だと一目でわかる。


「これは木を切ることにしか使ってないけれど……元々は冒険者さんのものなの。旅のお守りには丁度いいかなって」


一瞬だけ、手を止める。


武器を失った今、その価値は言うまでもない。

だがそれ以上に――


誰かが使い、誰かが守ってきたものを渡される重みがあった。


「……ありがとう。助かる」


そう言って受け取ると、掌にしっくりと収まった。


外に出る。


空気は澄んでいた。

数日前まで血と死の匂いに満ちていた場所と、同じ世界とは思えないほどに静かだ。


肺に入る空気が、やけに軽い。


その静けさを背に、扉が開く音。


振り返るまでもない。


「……見送りか?」


学者の少女は、小さく息を整えてから頷いた。


「はい。ちゃんと……行ってらっしゃいって言いたくて」


少しだけ視線を逸らす。

その仕草は、戦場で見せたそれとは違う。年相応の、どこか不器用なものだった。


「無茶、しないでください」


「お前もな」


短いやり取り。だが、それで十分だった。


少女は何か言いかけて、言葉を飲み込む。

代わりに、ぎゅっと拳を握る。


「……帰ってきたら、ちゃんと話、聞いてくださいね」


「あぁ」


今度は迷わない。


その一言で、彼女の表情がほどけた。


「……ありがとうございます」


小さく、けれど確かな声だった。


――それ以上は、いらなかった。


背を向ける。


一歩、踏み出す。

土を踏む感触が、足の裏からじんわりと伝わる。


もう振り返らない。


振り返れば、この場所に足を止めてしまいそうだった。


風が吹く。


乾いた土と、かすかな草の匂い。

その奥に、微かに残る鉄の匂い。


まだ終わっていない。


斧の柄を握り直す。

手に馴染む重さが、現実を引き戻す。


一歩、また一歩と歩みを進める。


.....

...

..


夜明けが、ゆっくりと森の輪郭を浮かび上がらせていく。


闇に沈んでいた景色は、薄い光を受けて少しずつ色を取り戻し、やがて見慣れた地形へと変わっていく。


――懐かしい。


自然と足が止まる。


ここは、鬼子の少女と共に過ごした場所。

盗賊への復讐のため、ただ強さだけを求めて剣を振るい続けた場所。


血を流し、骨が軋み、何度も意識を失った。

その度に叩き起こされ、立たされ、また倒された。


死にかけたことなど、一度や二度ではない。


それでも――


またこうして、この場所に立っている。


理由は二つ。


一つは、鬼仁化の制御。

あの力を、このまま放置するわけにはいかない。


そしてもう一つ――


「……獣を一匹、狩ったらしいな」


森の奥から、気配が滲む。


「それでノコノコ戻ってきたのか?」


聞き慣れた声。

人を値踏みするような、乾いた声音。


視線を向けると、木々の隙間から姿を現す。


鬼子の少女だった。


相変わらずの佇まい。

小柄な身体に似合わない圧が、周囲の空気を歪ませている。


「あぁ」


短く答える。


「だが、“一匹でも狩ったら戻れ”と言ったのは、お前だろう」


少女は一瞬だけ眉を動かし、すぐに鼻で笑った。


「……確かに、そんなことも言ったかもしれないな」


一歩、こちらへ近づく。


足音はない。だが距離だけが確実に詰まる。


「だがその後はどうだ?」


視線が鋭く突き刺さる。


「たかが一人の盗賊に術中にハマって、無様に叩きのめされて――」


間を置き、わざとらしく肩をすくめる。


「挙げ句の果てに、私が最後に渡した銀の斧まで粉々、か」


言葉の一つ一つが、容赦なく抉ってくる。


「それで“一人前”だとでも言うつもりか?」


沈黙。


否定も、言い訳も、出てこない。


ただ、事実だけがそこにある。


少女はつまらなそうに息を吐く。


「……期待外れもいいところだな」


だが、その目は――わずかに細められていた。


完全な失望ではない。


何かを測るような、そんな視線。



「まぁ皮肉を言うのはこれまでだ」


そう言うと、鬼子の少女は空間に手をかざす。

歪むように影が裂け、穴のようなものが空中に開いた。


そこへ腕を差し入れ、何かを掴み――引き抜く。


現れたのは、二振りの斧。

一つは重厚なバトルアクス。もう一つは、手に収まるハンドアクス。


朝の光を受け、刃が鈍く光る。


「これは鬼子に伝わる武器だ」


淡々とした声。


「ドラゴンや魔物、獣の特殊個体――そういった“大物”を一人で狩った者にだけ贈られる。一人前の証だ」


わずかに持ち上げ、刃の重みを確かめるように揺らす。


「形状は様々だ。私のようにハルバードを使う者もいれば、刀や槍を渡される者もいる」


そして、こちらへ差し出す。


「――お前には、これだ」


バトルアクスとハンドアクス。


「片方だけでは物足りんと思ってな。これは私が鍛冶師に頼んで打たせた」


一拍置く。


「名は――『断頭斧 阿・吽』」


静かに名を告げる。


「武骨だろう?だが、お前には似合っている」


軽く鼻で笑いながらも、視線は外さない。


「受け取れ」


差し出された斧は、ただの武器ではない。


「これはお前が死ぬまで握るものだ。相棒だと思え」


言葉に重みがある。


「だからこそ、強度も精度も妥協はしていない。そう簡単には壊れん」


ふと、視線がわずかに遠くを見る。


「……お前、“黒鬼大戦”という言葉は知っているか?」


こちらが口を開く前に、続ける。


「まぁいい。知らんだろうな」


僅かに口元を歪める。


「今から話してやる」


「黒鬼大戦とは――およそ百年前に起きた戦争だ」


鬼子の少女は、斧を軽く揺らしながら語る。


「人間と、一本角の黒鬼が率いる軍勢との戦い」


淡々とした口調のまま、続ける。


「数で言えば話にならん。黒鬼側はおよそ千。対して人間は三万を超えていた」


一瞬、間を置く。


「だがな――」


わずかに目が細まる。


「戦いに特化した鬼にとって、その程度の差は意味を成さなかった」


静かに吐き捨てるように言う。


「特に黒鬼は別格だ。三十メートルを超える巨体。それでいて、目で追えないほどの俊敏さを持っていた」


手に持つ斧の柄を、指で軽く叩く。


「巨大な棍棒を振るい、近づく者、挑む者、立ち塞がる者――すべてを叩き潰した」


低く、重い声。


「誰一人として、勝てなかった」


森の空気が、わずかに張り詰める。


「人類がそのまま支配される――そう思われた時だ」


視線がこちらに戻る。


「異世界から転生してきた人間が現れた」


ほんのわずかに、口元が歪む。


「そいつは“ギフト”を使い、黒鬼を討った」


短く言い切る。


「――それが、黒鬼大戦の顛末だ」


そのまま、手に持つ二振りの斧へと視線を落とす。


「そして、こいつだが……」


バトルアクスの刃を指でなぞる。


「黒鬼が使っていた伝説の棍棒――“黒拳”」


言葉に、わずかな重みが乗る。


「それを鬼子が回収し、砕き、精錬して作られたのがこの武器だ」


視線が鋭くなる。


「素材は“黒鬼鋼”」


低く告げる。


「普通の鋼とはまるで違う。選ばれた者が、闘気を帯びた状態で触れた時――銀から黒へと変わる」


静かに、しかし確信を持って言う。


「黒に染まった時、刃は欠けない。砕けない」


一歩、踏み込む。


「その硬度は、アダマンティアすら上回るとされている」


わずかに目を細める。


「黒鬼の血と怨念を喰らっているからだ、なんて話もあるがな」


肩をすくめる。


「真偽はどうでもいい」


そのまま斧を差し出す。


「重要なのは――」


短く区切る。


「それを扱えるかどうかだ」


2つの差し出された斧を握りしめる。


掌に触れた瞬間、ひやりとした感触の奥に、脈打つような気配があった。

まるで、生き物の喉元に手をかけているかのような――そんな不気味さと、妙な親和。


不思議と武器から、狂気にも似た覇気が伝わってくる。


だがそれは、力を奪う類のものではない。

むしろ逆だ。こちらへと“寄ってくる”。

骨の隙間に入り込むように、意思の奥へと滲み込んでくる感覚。


「その武器は、生きていると思え」


静かに告げられる言葉。


「お前の力を吸いはしない。だが――取り込もうとはする」


握る手に、わずかに力がこもる。


「扱うために必要なのは、技術じゃない。己だ」


一歩、間を置いて。


「揺らぐな。折れるな。お前自身が“道”であれ」


視線がぶつかる。


「……その復讐に満ちた静けさ、嫌いじゃない。武器も、気に入るだろうさ」


風が抜ける。


「試すか?」


短い問い。


「お前の“闘志”が、どこまで通るか」


言葉と同時に、鬼子の少女は影から黒いハルバードを引き抜く。

空気がわずかに軋む。


臨戦態勢。


こちらもバトルアクスを一度地面に置き、ハンドアクスを握り直す。


「……そっちを選ぶか」


わずかに口元が歪む。


「もしバトルアクスを選んでいたら、その場で殴り倒していた」


次の瞬間、地面が爆ぜた。


踏み込み。


一息で間合いを詰め、振り下ろされるハルバード。


咄嗟にハンドアクスを合わせる。


――衝突。


それは金属音ではなかった。


乾いた、澄んだ音。

ガラス同士を打ち合わせたような、それでいて頭蓋の内側に直接響くような異質な音が、空気を震わせる。


鼓膜ではなく、脳に届く音。


骨が、軋む。


「……これが」


少女の声が、わずかに愉しげに滲む。


「黒鬼鋼だ」

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