36.
アリエリアナが目覚めても、ルドヴィクの仕事がオフになるわけでは無い。
医務官はすぐに最側近のエイレーネーに連絡を入れ、すぐに駆けつけたエイレーネーはルドヴィクに蹴りを入れながら医療棟から追い出した。
その後のルドヴィクは勤務時間が終わるまで、海中での警邏も報告書作成中もぼんやりしていまい、最終的に業を煮やしたダリウスにキレられてしまう有様だった。
「なっっっっさけな!!!」
退勤後、アリエリアナの病室に寄っていたルドヴィクは、一連の様子をどこからか聞き付けていた側近のファビオに鋭い一言をお見舞いされ、ショックを受けていた。
「こいつ、誰にでもこんな感じなの……?」
「ファビオ、もっと抉るぐらいの言葉を浴びせても良いのですよ?」
「外交問題になったら困りますよ」
もっと色々言葉は出てきますけどー、と言いながら、ファビオは上司であるアリエリアナをぎゅうううと抱きしめている。というより、縋り付いている。
「何これ」
「ファビオも大分我慢していたようで、ここに入って来てから閣下にくっついて離れないんです」
忠犬だ。と口には出さずにいるルドヴィクの目の前で、ファビオはずっと「閣下〜!閣下おはようございます〜!!」とアリエリアナに縋り付きながら泣きべそをかいている。
そしてされるがままのアリエリアナは何故かずっとニコニコしてファビオの頭を撫でている。
「貴方が馬鹿をしている間にわかった事ですが、閣下は順調に回復しています」
「馬鹿……」
「ただ、状態が不安定でして……時系列が元に戻るまでにはまだ少しかかるそうです。その間、負担にならない程度に話をして…」
「ヴィーカ!」
エイレーネーとの話の最中だが、アリエリアナが上機嫌でルドヴィクを呼ぶ。その表情は17歳の頃のアリエリアナを彷彿とさせた。
「念願の飼い犬が手に入ったの!」
「もう飼い犬でもなんでも良いです〜〜〜!」
縋り付きながら泣くファビオが少し鬱陶しい。が、この様子は……
「アリエラ、人間は犬じゃないだろ。お前の側近に失礼だ」
「…………そう、ね……ファビオに…眠いわ」
「あぁ、寝ろ。ファビオ、良い加減お前の閣下から離れろ」
ファビオを引き剥がし、ベッドに横になったアリエリアナに布団をかける。
「ヴィーカ、行かないで。殺されてしまう」
「大丈夫だから。ここにいる」
「………ありがとう」
目を瞑ってすぐ、アリエリアナの意識は深い眠りへと落ちた。
「エイレーネー、これは……」
「まだ不安定な状態だそうです。ですがいつまでもこの状態ではないですから」
「そうだけど………」
アリエリアナの状態は、もう大丈夫なのだろう。が、ブレンが連邦に来てから随分経つ。こちらの件も、そろそろ動かなければならない。
「困ったな…」
リビングのソファに座ったブレンが、1日の食事のメニューを個人端末に入力している。その横で、フィリアは図書館から借りてきた雑誌のデータをタブレット端末で読んでいた。
「ねえフィリア、そろそろルドヴィクさんの事許してあげたら?」
一番被害に遭っているブレンに言われてしまうと、複雑な気分だ。
「むしろ、ブレンは何で気にしてないの?」
こんなに気にしてしまっている自分が意地っ張りみたいじゃないか。
尋ねると、ブレンはうーんと少し考えてからフィリアの顔を見て笑った。
「だってやっぱり、面白かったんだ。皆僕に対して接し方が丁寧だったから。僕だって皆と同じ人間なのに、何歩分も線を引かれると寂しいんだ」
その感覚はフィリアにもわかる。同じ人間なのに線を引かれるのは寂しい。
しかし距離の詰め方として、あれはどうなんだろう。
「……でも次、パパに変な事されそうになったら、迷わず急所に入れて良いからね?」
そう言って、フィリアは急所である部分をいくつか指で指して場所を教えた。
「あはは!できるかな?」
「抵抗は大事だよ」
「そっかー」
笑って息が足りなくなり、ブレンは深呼吸しながらソファの背もたれに体を預けると、少し寂しそうな顔をして呟いた。
「まだ何処になのかよくわからないけど、きっと僕は帰らなきゃいけないんだよね」
「……そうだね」
そう。ブレンはマヌ…なんたらとかいうこーぞくのおーじさまだし、帝国人だから、いつまでも連邦にいては死んでしまう。
「家族ってよくわからないけど、今この状態がすごく楽しいんだ。ずっとここにいられたら良いのに……」
「いや……ブレンの家族なら、パパみたいなわけわかんない奇行に走ったり、怒られても正座させられたりゲンコツされたりとか無いでしょ?」
「それは無いけど、たまに会えても遠い存在だったから……」
フィリアは帝国がどういう国かも、ブレンがブレンじゃなかった時の事もわからない。わかるのは、フィリアが拾って来てから今日までのブレンの事だけだ。
それでも、これからの長い人生を考えても短い期間だが、ブレンがそのうちいなくなってしまうと思うと、フィリアも少し寂しさが込み上げて来た。
「ブレン……」
「何?フィリア」
「海ってさ、めちゃくちゃ広いんだ。どこまでもずっと…あーでもブレンになら何て言ったら良いんだろう」
思っている事を良い感じの言葉で表現できない。パパや友達が言うように、座学をもう少し頑張らなきゃダメかなぁ。
フィリアはもどかしそうに頭を抱える。
そういえば海上に出てしまった時、少しだけ外の景色を見た。海のようにどこまでも続く広い空……
「あ、空!空も広い!」
「う、うん。そうだね」
ブレンの顔を見なくても分かる。つまり何が言いたいんだろうと、多分とても困っている。
「えーっとね!知らない事だらけだし、一部の海域しか知らないし、もっと世界は広いんだと思うんだ!帝国だってアエリュシオンだってすごく遠いと思う。けど…」
そこで一度、フィリアは気持ちを切り替えるように息を吸った。
「どれだけ遠く離れても、私たちはずっと家族だよ」
「…………うん」
血の繋がりではない、自分達がそうありたいと思っているだけ。それでも、短い時間だけれど家族のように過ごしてきた。それを無かった事にしたくはなかった。
お互い合図したわけでは無い。気付けば自然と隣り合った手を取り、ぎゅっと握り締めていた。
「ありがとう………」
ソファに並んで座り、同じ方向を向いているが、きっと隣の子は少し寂しそうな顔をしているのだろう。そして、それは2人共きっと一緒だった。




