37.
「ふぉっ…ふぉっ…ふぉっふぉっふぉ…」
ソファに三角座りをしながら、タブレット端末を弄り変な声を発するフィリアを見て、ブレンはたらりと冷や汗を流した。
何だろう?機嫌は良いようだ。これは笑い声なのだろうか……
「な、何してるの…?」
「前にパパの部屋のキーロックシステムを弄ったじゃん?」
そういえば、そんな事もあった。
「直しとけって言われてたんだけど、弄るたびに手動で元に戻すのも面倒でリカバリーソフト作ってたの。例えばー…」
説明しながら、フィリアはブレンの手を引き廊下に連れて行き、トイレを指差す。
「ブレン、トイレのドア開けて来てもらえる?」
言われた通りドアを開け、フィリアの元へ戻る。
「家のシステムに入って、トイレの…水が……延々と流れるように設定するでしょ」
じゃああああああーーーーーーーーー……
「めちゃくちゃ資源の無駄だね」
「そう?……で、さっき完成したソフトを入れる、と」
たたたっ
端末に入力すると、無駄に水を流し続ける指示が虫に食われたように欠けていき、元のコードが復活した。その瞬間、水の流れる音が小さくなっていく。
「何日か前の状態に設定したら、わざわざ入力し直さなくても戻してくれるの」
「え、すごい」
「そう。私はすごい!ふぉっふぉっふぉ!!」
ということは、今までルドヴィクは施錠することができずにいたということか。
ブレンは気付いてしまったが、あえて口には出さなかった。
「ところで、この間言ってた宿題だけど、ルドヴィクさんに話したの?」
上機嫌だったフィリアの表情が固まる。
「もう、面倒だから“海の藻屑になりました”で良いような気がして来た。そう書けば教官だって、それ以上何も言わないんじゃない?ここのところ奇行に走ってる人が悪い」
暴論寄りじゃなかろうか。
「そんな事より」
リビングに戻り、お茶を用意しながら明るい声でブレンに話しかける。
「今日、学校に軍の偉い人?が視察に来たんだ。体術の訓練場の、上階のガラスの奥だったから見えにくかったけど、多分あれアリエリアナ様だよ」
訓練場は2階部分が吹き抜けになっており、上階には訓練を見下ろすことのできるガラス窓の付いた部屋がある。教官たちが、たまにそこから訓練生たちを観察するために使われる。
「ちょっと細くなった気がするけど、気のせいかな?」
「そこまで見えるもの?」
コンロにかけていたやかんがシュンシュンと音を立て始めたため、電源を切り、ブレンが話をしながら用意してくれた2人分のマグカップにお湯を注いだ。
「うーーーん……多分?何となく」
「今日、女子の中等教育課程校?に視察に行って来たのよ」
倒れていた間、溜まりに溜まった仕事を処理するため、宿泊していた客室に戻っても仕事漬けになっていたアリエリアナは、不在だった間の軽い報告…に託けて会いに来ていたルドヴィクに、にっこりと笑って話しかけた。
既に軍服を脱ぎ、化粧を落とし髪も解いた彼女は、部屋着の白いワンピースに大きなストールを羽織った姿で端末を叩いている。
ルドヴィクは自分の端末で読書をしていたらしく、声をかけられてやっと顔を上げた。
「もうそんなに動いて平気なのか?」
「まあ……でも、平気だと思ってもらえないと、どこで見られているかわからないでしょう?貴方はもう退勤したの?」
「んー………」
曖昧な返事。これはきっとサボりだろう。
「良いのかしら?連邦軍中佐殿がこんな所でのんびりしていて」
「んー………」
どうやら、都合の悪い事は聞こえないらしい。今は同じ仕事をしているが、他国の所属であるアリエリアナはルドヴィクに対し強制力のある事は言いにくい。そして書類仕事をしているとはいえアリエリアナ自身、今は軍服も脱ぎ捨てたオフ状態である。
この男、それをわかっててダラダラしてるのね。
「……わたくしは言いましたからね、中佐」
「で、学校見学はいかがでしたか?閣下」
やっと端末から上げた顔がアリエリアナを見た。
「そうね。ご存知の通り、わたくし義務教育学校を見学するのは初めてでしたから、とても有意義な時間でした」
事務的な笑顔で事務的な返事をする。が、他にも言いたい事があるらしく、アリエリアナはソワソワとしている。心なしか、目も爛々と輝いている気がする。
「………何?」
「あのね、フィリを見たのよっ」
事務的な返事よりも言葉のスピードが速い。
「丁度、体術の訓練をしていたようなの。私達がいるのは伏せられていたのだけど、学校側が訓練生と教官の模擬戦を見せてくれてね、そこでフィリが訓練生代表で呼ばれてね!すごかったのよ!シュッて!バーン!!って」
「置いてってやるなよ、ボキャブラリーを」
手を伸ばしてフィリアのかけた技の真似をしているようだが、どこからどう見ても無造作にバタバタしているようにしか見えない。
「アリエラ、お前本当にセンス無いよな……刺されそうになったら対応できないだろソレ」
「何のために私が6人も側近従えてると思ってるのよ」
運動に関しては一切やる気も無く、護身術を教えようにも逃げてしまう。15年も前の記憶だが、あまり変化は無いようだ。
「話戻して良いかしら?相手の教官は体格が少し小さかったわ。フィリって、連邦では身長大きな方なのね?あの女性教官の実力はかなり高いように見えたわ。でもあの子ったら、素早くかわしてそのまま教官を背負い投げてしまうんだもの。びっくりしちゃった!」
先程のバタバタは背負い投げだったようだ。
ルドヴィクが何とも言えない生暖かい目で見ていると、アリエリアナの興奮は治ったようだ。
「貴方が教えたのね。身のこなし方が似ていたわ」
「まあ、優秀な軍人になれば、政治的価値以上に扱われるようになるだろ」
「そうね……」
空気が重くなる。
フィリアの存在は連邦側にとって帝国への牽制になり得る。しかしフィリアが多くの人間が認めるような優秀な軍人になれば、彼女は帝国との政治的な切り札としてではなく、一人の連邦軍人としてこの国でしがらみもなく生きていくことができる。
ギィ、と椅子の軋む音がする。
アリエリアナが椅子の背もたれを反り、天井を見上げたのだ。
「あーあ、嫌だわもう。こんな国、ちょっと罷り間違ってぶっ潰れてくれないかしら」
軽口なのは分かっているが、突然の失言にルドヴィクはヒヤリとした。
「おい、盗聴されてたらどうすんだよお前」
「だから、そういうところがダメなのよこの国」
「アリエラ」
真正面から否定できないところを突いてくるのも小狡い。一応、聞かれていた時の事を考え「はー恐ろしい恐ろしい」と面白おかしく言うアリエリアナの頬を、ルドヴィクはむにっとつねった。
「いひゃいいひゃい!」
「お前はもう………あっ、そういえばエイレーネーから聞いてるか?」
思い出したのと同時に、頬から手を離す。解放されたアリエリアナは、少し赤くなった頬を揉みながら涙目でルドヴィクを見上げた。
「何を?」
「勲章授与のために一旦帝国帰るだろ?その後すぐになるけど、こっちで戦闘後の慰労会やるってよ」
一瞬固まり、すぐに未処理の書類の量を確認する。
「……私、もう一回倒れても良いかしら?」
「勘弁してくれ」




