34.
餃子の乗った皿にラップをかけ、フィリアは呆れたように溜息を吐いた。
モイラの話では、明日からまた出勤らしいが、すでに夕飯時も過ぎている。一体いつになったら、あの父親は帰って来るのか。休みだった3日間、どこへ行っていたのか。聞きたい事が山程ある。
(あ、忘れてた。宿題についても。)
リビングのソファに座ってドラマを見ているブレンにシャワーを浴びる事を伝え、脱衣所のドアを閉め上の服を脱ぎ始めた。
ドタッ ドタドタドタッ バタッ
いけない。脱衣所の鍵を閉め忘れた。部屋の外から慌ただしい足音が聞こえる。父だろうか。帰って来たならシャワーの後に話を聞こう。寝ていたら、そろそろ叩き起こしてでも。宿題の期限だってある。
っぎゃあああああ!ル、ルドヴィクさん何…アーッ!!
次はブレンの悲鳴が耳に入り、フィリアは慌てて上半身肌着姿のまま脱衣所を飛び出した。
リビングに入ったフィリアの目に映ったのは、押し倒されたブレンとそのブレンに馬乗りになり、腹を捲り上げている自身の父親の姿。
「や、やめっ、ルドヴィクさんやめっ、あ、ひっ、あ…あはははは!、そこ押さないでー!!」
「ちょ、暴れるな」
上に乗っているルドヴィクは、両手の親指でブレンの腹部を押したり、手でペタペタと触っている。次にズボンにまで手をかけた瞬間
フィリアの飛び蹴りがルドヴィクにクリーンヒットした。
「うぐっ」
「な……何してんのマジで!?正気!!?」
怯んだルドヴィクの下からブレンを引っ張り出し、フィリアの後ろに下がらせる。
「痛……フィリ、父親に飛び蹴りとか、夜なのに元気良すぎだろ……って、何だよそのカッコ!上半身肌着だろ!」
「パパ!良い加減にしないと通報するよ!?」
「何でだよ!」
なんでだよ????
長年一緒にいるが、最近父親の挙動がおかしすぎる。正直不安だが、今は保護しているブレンをフィリアが守らなければいけない。
ルドヴィクは蹴られた箇所を痛そうにさすりながら、フィリアとブレンの方を見た。
「ブレン、最後に1つだけ」
「何!?まだ何かあるの!!?」
フィリアが吠えると、ルドヴィクは「何でお前が怒ってんだよ」と言いたそうな顔をした。
「身体で不調な部分とか無いか?」
「今ルドヴィクさんが押したところがめちゃくちゃこそばゆくてムズムズしますやめてください」
一息だ。ブレンが真顔で、一息で言い切った。
(いや、まあ、そりゃそうだよね……)
「そうか……」
少し安心した顔をしたルドヴィクは個人端末に目を落とすと、書いてある履歴を見て「うげぇ、めっちゃ連絡来てる」と声を漏らしソファから立ち上がった。
「フィリ、ブレン、遅くなるから今日はもう寝てろ」
そう言ってルドヴィクは、ピリピリとしたフィリアと呆然としたままのブレンを残し、またバタバタと慌ただしく家を出て行った。
「………いや、むしろ今日は帰って来んな」
「フィ、フィリ…?」
「モイラは?」
気付かない間に個人端末にダリウスから鬼のように連絡が入っていたようだ。彼の家に着き、リビングに上がったルドヴィクは、部屋の中をキョロキョロと見回す。
「友達の家に泊まりに行った」
ダリウスが飲み物を用意してくれている間に、ダイニングの椅子に座る。先程フィリアに蹴られた所の痛みが思いの外長引いていて、ルドヴィクの口から「痛っ」と声が漏れた。
「何?そんなに大きな負傷してた?」
「いや……フィリに蹴られた」
「何で?」
「わかんね。ブレンの身体確認してたら蹴られた」
「何で??いや、理由絶対それじゃん」
何でだよ、と顔を歪ませると、ダリウスは目の前で頭を抱えていた。
「で、何だよ」
「ルディは知ってたか?ブレンの年齢と成長速度」
「いや……今日医務官に聞いた」
「あー、だからか」
ルドヴィクが奇行に走った原因を察する。さすが、付き合いが長いだけある。
「最初はガリガリだったけど、家に来た時より順調に体重も増えてる。多分身長も。さっき見た感じ、素人目だけど異常そうな所は無かった」
しかし、16歳の少年と言われると、少し話が変わってくる。連邦人なら多少、帝国人ならそれよりももっと、身体が男性的に成長する頃だ。しかし、先程触診の真似事をした結果、明らかに骨が細い。
「末皇子だって結果は出てる。だから多分年齢もデータの内容で間違い無い。でも一番成長する時期にアレだとな……個人差で片付けて良いものかわからない」
声も、変わる途中の不安定な状態だ。14歳と言われれば納得できるが。
「一体どうなってんだよ……」
お手上げだと言いたそうに、片手で頭を抱えた。
帝国の中枢にいる人間達のように、皇族の事を知っているわけでなく、医務官のように人体に精通していうわけでもない。ルドヴィクにはこの違和感を突き止める術が無い。
ルドヴィクのグラスに飲み物…蒸留酒を入れながら、ダリウスは口を開いた。
「閣下に相談すれば?」
「あのジジイか?」
ブレンの件を握っている連邦軍中将の話題が出るだけで、ルドヴィクはいつも苦虫を潰したような顔をする。
「違う、そっちじゃない。帝国軍司令官閣下だよ。あの人、過去にブレンに会った事があるんだろ?自分の国のトップ家族だぜ?わかるんじゃね?」
「聞けない」
すぐさま、ルドヴィクが否定する。嫌いな爺さんの話ではないと言っているのに、まだ機嫌が悪い。
「何でだよ。ルディ会ってんだろ?ブレンの面談とかで」
「だから、聞けないんだって」
「何苛ついてんだよ。倒れたらしいけどさ、その後問題無かったんだろ?他の奴らみたいに、一時帰国してんの?」
合同本部の一般軍人の間ではそうなっているのか。
正確には「聞ける状態では無い」、なのだが、その事実は伏せられているため、口を噤むしかない。
少し冷静になったルドヴィクは、深く息を吐きダリウスに向き直った。
「もし閣下に聞けたとしても、多分アイツもわからないかもしれない。皇族の身体は玉体だ。生体情報だって、いくら皇帝のお気に入りとはいえ、自由に知ることなんてできないだろ」
「玉体って……ただの人間だろ?」
冗談を聞いたように、ダリウスは薄く笑う。宗教観も薄く、何かを崇めるという気持ちも持ち合わせない連邦人だと、帝国人達の持つこの感覚はわからないだろう。ルドヴィクだって、聞き齧った程度であり、実際の彼らの感覚などわからない。しかし、あの知識欲の塊であり、ブレンの年齢だって知っていたであろうアリエリアナ・ククルスカが、違和感も何も口に出さず過ごしていたのだ。追求できない、または本能的に追求しないかのどちらかなのだろう。
人外を開いてみようぜ!と言い出した人間が。
「………さすが、調整官任されただけあるな。どこから得てんだよ、その知識。なあ、」
目の前の友人から目を外し、ダリウスは自分の前に置いていた自分のグラスを両手で握った。
「前に、1人で帝国軍司令官閣下に呼び出されたんだよ」
「あ?」
「何で威嚇してくんの?睨むな!俺をゴミを見るような目で見るな!」
言われるまで全く意識していなかったようで、ルドヴィクは慌てて両手で表情筋を揉んだ。
「ごめん、つい。で、何話したんだよ?あ?」
「つい、で出るような顔じゃなくね!?何でそんな圧強いの!?閣下にコールドスリープの事聞かれたんだよ!」
「コールドスリープ?」
ルドヴィクが聞くと、ダリウスは一口だけ酒を口に含んだ。
「何で?アイツあんなガラクタに興味あんの?」
「知らねぇよ!そんな風には見えなかったけど…帝国にいる側近が耳にしてるって言ってたかな」
帝国の科学力を考えると、自前での開発は非現実的だ。そして連邦の未完成品であるコールドスリープの件が国外に漏れるなど、連邦人の国家への忠誠心を考えるとあり得ない。
「………なぁ、ルディ。食材を冷凍すると、劣化スピードが落ちるよな…?」
両手でグラスを持つダリウスの声が、少し震えている。
「まあ、そうだな………何考えてんだよ」
「いや……人間冷凍したら、どうなんのかなって」
言葉に詰まった。
まさか、普通あり得ないだろそんなの。
しかし、それがコールドスリープの目指したところだ。
「………理論も全て廃棄されたんだ。機体が途中までできていたとしても、他の物と一緒に軍が廃棄してんだろ」
「だよな」
安心したように息を吐き、ダリウスはまた酒を煽った。空になった友人のグラスに、ルドヴィクが酒を注ぐ。
「でも何でダリに聞いたんだよ。専門家でも無いのにな」
「んー、なんか、個人的な興味で俺に聞いてみたかったって」
「ハァー?」
先程からアリエリアナ・ククルスカの話になると、ルドヴィクの治安が悪い。今も、乱暴にテーブルに置かれた酒のボトルが割れてしまうのではないかとダリウスは思った。
「………あのさ、」
「今度は何だよ」
アリエリアナ・ククルスカに呼び出された日の事を思い出す。彼女の仕草、意味深な行動、そして友人のこの反応。
「閣下って、お前の何なの……?」
問われたルドヴィクは目を見開き、少し悲しそうに眉間に皺を寄せ、ダリウスから目を逸らす。
「………言えない」
「言えないって、今更!?そんなに俺の事信用できないかよ!」
「違う!!」
逃げるように逸らしていた目を合わせ、ダリウスの言葉を遮るように否定した。
「違うんだ」
「なら…!」
「わかるだろ?国家機密に抵触する。お前まで国に首輪つけられたら!?巻き込みたく無いんだよ」
田舎のコロニーにいた頃から、長年の友人だった。昔みたいに、子供の時のように、何でも言える仲で居続けたかった。
(でも、ルディの泣きそうなこの顔は知ってる。我慢してる時の顔だ)
この想像を、ダリウスは口に出す事はできない。ルドヴィクの言う通り、国家機密にあたる。つまり、おそらくこの想像は事実なのだろう。
同じ歳で、ずっと一緒に育ってきた友人が、少し遠く感じた。
2人の間に沈黙が流れる。その雰囲気に耐えられなくなり、先に口を開いたのはダリウスだった。
「………………で、何が良かったんだよ」
「……おもしれー生き物だなって」
「お前のツボがわからない」
「これ以上はやめとくわ」
ルドヴィクもやっと、自分のグラスのすでにぬるくなっていた酒を一口で飲み干した。
「国家機密だもんな」
「いや、そうじゃなくて……」
歯切れの悪い言い方をしながら、両手で顔を覆った。よく見ると耳が赤い。
「エグいくらい惚気そう」
「それはマジで勘弁して」
いつも女に興味など無さそうな表情しか見せないこの友人が、恋愛話で赤くなるなど初めてだ。
(マジかー)
決して誰とは言えないが、15年もずっと、ずっと惚れてるのだろう。初めて見る反応が面白いやら寂しいやらで、ダリウスはかなり時間差で吹き出して笑ってしまった。
「な、なんだよ…」
「ふ……いやぁ…ごめ。あはは!………ルディ、お前やっぱ面白いわ」
「何だよそれ」




