31.
「ただいま」
放課後、いつもの帰宅時間にエイン家の玄関のドアが開いた。フィリアがまっすぐリビングに向かうと、エプロン姿のブレンがにっこりして「おかえり」と言ってくれる。そのまま「今日はおやつ何〜?」と、手も洗わずにキッチンに直行して、ブレンに「も〜」と言われているのがいつもの光景だったが、リビングに入って来たフィリアは、頬をむぅと膨らませ、難しい顔をしていた。
「フィリア、何かあったの?」
「んー………手洗って制服脱いでくる……」
これは絶対何かあったやつ。
ブレンは作っておいたパウンドケーキとホットミルクをダイニングに用意して、フィリアが自室から出てくるのを待った。
「あ、パウンドケーキだ。ホットミルクもありがとう。ブレンの優しさが沁みるよ〜」
「今日はバナナとココアパウダー入れてみたんだ」
「美味しいやつじゃん。最初にその組み合わせ考えた人は勲章モノだね」
それを聞いて、ブレンはふふふと笑う。
「バナナに溶かしたチョコレートをかけても美味しいんだよ。クリーム付け合わせたり…」
「チョコレート!お高いお菓子じゃん!!」
「そう……なんだ…?えっと、それで、何かあったの?」
フォークでケーキを一口大に切っていたフィリアは、向かい側に座っていたブレンの顔を見た。
帰って来てから初めて顔を見た気がする。ブレンは少し心配そうな表情だった。
「あー……別に大した事じゃないんだけど。面倒な宿題が出てー…親の仕事、どんな事やってるかって具体的に聞いて調べて提出しなさいって」
フィリア達の学年は、2年後には学校を卒業し、正規軍人になる。この国は軍人と言っても実戦的な軍務以外、様々な職種に就ける。社会人を大雑把に軍人と呼ぶ。2年後にはどんな職に就いていたいかを具体的に考えるため、身近な大人に仕事の具体的な話を聞く、というものだ。
「ルドヴィクさんの仕事なら、フィリアもある程度わかるなら楽じゃない?」
「うーん、そこは良いんだけど………」
何を引っ掛かることがあるのか、フィリアは腕を組みながらうんうん唸って考えている。そしてブレンも、何か少しだけ引っ掛かりを覚えた。何か……この家庭内で何か忘れているような………
「………あ。フィリアのお母さんって……え、これ聞いちゃマズい?」
「いや、そこなんだよ」
ブレンが思いついたように人差し指を差し、それに呼応するようにフィリアも人差し指を差した。
「いないならいないで死んでますって提出すれば良いじゃん?」
「フィリア、言い方が………」
「言い方?」
男女共に殉職が珍しいわけでは無い連邦で育っているフィリアは、親が亡くなっているという事を率直に言うのは当たり前。ブレンのように、言いにくい事だから少し配慮しようというような感覚は薄い。
「でもさー、前にパパに、ママって死んでんの?って聞いたら怒られちゃって」
「言い方。え……って事は、ルドヴィクさん……可哀想っ!」
両手で口を覆い、目に涙を浮かべるブレン。
「何想像してんの?」
「だって!それってルドヴィクさん、現実を受け入れられてないって事でしょ!?愛が深すぎるやつでしょ!?可哀想だよ!」
「ブレン私達がいない間、変なドラマでも観てた?うーん…パパはもっとシンプルだと思うよ。多分、ママって生きてるんだと思う」
サクッ
また一口の大きさにケーキを切る。それを口に運ぶわけではなく、気付けば
一切れのパウンドケーキは、全て角砂糖のように四角く切り分けられていた。
「でも、ママの事聞くと、パパ、悲しそうな顔するんだよね。本人、顔に出てる事気付いてないんだろうけど」
その表情を見て、「やっぱ死んでんじゃん!」と言ったらおもいっきり頬をつねられたのは、ブレンには内緒だ。
「うーん……どうしよう……」
「………適当に書いたら…?」
「個人データでバレるでしょ」
仕方ない。教官に追及されたら、全部パパのせいにしよう。ちゃんと言ってくれない人が悪い。仕方ない仕方ない。
無理矢理自分を納得させ、フィリアはやっと小さく切ったパウンドケーキを口に運び、ホットミルクを飲んだ。
ホットミルクはぬるくなっていた。
既に辺りも暗くなり、ブレンとフィリア2人だけで夕飯を食べ終わった後、使った食器を片付けているとルドヴィクが家に帰って来た。
「パパおかえりー」
「………あぁ」
リビングに入って来たルドヴィクは、目に見えてテンションが低い。いつもなら、2人と一言二言くらいは言葉を交わしているのに。
ルドヴィクの様子を見て、あぁ、これはダメな日だなぁとフィリアは思った。ブレンには言っていなかったが、今日は妙に学校の教官達がざわざわしていた。多分海で大きな戦闘があったのだろう。そして、同じ部隊の中に殉職者が出たのだろう。そういう日のルドヴィクは、きまって機嫌が悪かった。
(宿題のこと、今日はやめておいた方が良いなぁ)
触らぬなんたらに祟り無し。こういう時のルドヴィクは放っておくに限るのだが、それを知らないブレンは、着替えのために自室に戻ろうとするルドヴィクに声をかけてしまった。
「ルドヴィクさん、ご飯食べますよね?」
「………いい」
「ブレン、ちょっと今日は……」
「え、でもお腹空いて……」
「いいって言ってんだろ!!!」
止めに入ろうとしたが、どうやら遅かったようだ。
フィリアの目に、驚いて声が出ないブレンと、人の顔も見ようとしない父親の姿が入る。
これは、ダメでしょ。
「パパ」
フィリアはブレンとルドヴィクの間に立ち、冷静な目でルドヴィクを見た。
「パパさ、それはダメじゃん?やっちゃいけない事だよ」
怒っているわけではない。だがこれは、父親の前に立ってでも言わなければいけないと、フィリアは思った。
「何があったか知らないけどさ、ブレンに当たるのは違くない?」
そう言うと、やっとルドヴィクと目が合った。
顔が見える。傷付いたような、泣きそうな顔だった。
本当に何があったんだろう。聞かないけれど。
「……ごめん、ブレン」
「あ、いえ……大丈夫です」
ルドヴィクはブレンの姿を確認した後、フラフラと自室へ入って行った。
「………何あれ」
「フィリア、言い方……あ、そうだ。ありがとう、庇ってくれて」
ブレンの手を見ると、少し震えている。
「いや、むしろうちのパパが本当にごめん。戦闘で同じ部隊の人が死ぬと、あんな感じになるから、もしかしたら……大丈夫?あんまりこう言いたくないけど、ブレンがうち嫌だったら、アリエリアナ様に相談しようか?」
フィリアとしては情けなくて寂しくて悲しい話だが、何らかの影響で記憶が無いブレンに負担をかけるくらいなら、そうした方が最良かもしれない。
「え、何で?ちょっとびっくりしただけだよ。僕に対してそういう感情向ける人って初めてだったから」
……………うん?
「え、そうなの?」
経験の話?ここ最近の?
「うん…………あれ?そう……だった気がする」
自発的に言っている事なのに、ブレン自身も首を傾げた。
「というか、ルドヴィクさんお腹空いてないのかな?」
「え、すご。ブレンめげないね」
「フィリアは心配じゃないの?」
機嫌の悪い父親など慣れてはいるが、心配じゃないわけではない。
あんな顔をされては、たまったものではない。
「うーん……あんな状態で1人にするのも…ね」
連邦に輸入されるバナナは、多分冷凍のやつ。主に焼き菓子に使われるので、生食はめちゃくちゃ嗜好品かな…。




