30.
連邦軍本部の医療棟。緊急で運ばれて来たアリエリアナは、たくさんの機械から伸びる線や管を体に付けられ、酸素マスクをしている顔色は良くない。
「身体の隅々まで検査しましたが、特に重大な損傷は見られませんでした。倒れた時の打撲くらいです。ですが過度な思考負荷と睡眠不足、置かれた環境の急激な変化、慢性的な精神的緊張状態により、脳が防御反応を起こしたのでしょう」
「というと?」
オルアンの問いに、医務官は困った顔をした。と言っても、顔の半分がマスクで隠れているため、出ている目でしか表情は読み取れない。
「脳が強制的に活動停止した、と言いますか……」
「恩人だ、死なせたくない」
「生きてはいます。ただ……医療目的でこの方の身に付けている個人端末から、生体データをある程度取らせていただきました。主にバイタルなどですが」
端末とオルアンを交互に見ながら説明する医務官は、眉間に皺を寄せた。
「常に脳に負荷がかかっている状態です。ノンストップで考え事をしていますね。常人の何倍ものスピードで」
話しながら、医務官は端末を操作する。
「脳が活発すぎるので鎮静剤で脳を休ませます。音や光からの刺激も与えない方が良いでしょう。3日程面会謝絶です」
「側近の者達は」
「ガラス越しに見る分には問題ありません。ただしお静かに」
オルアンからの説明を受けた最側近のエイレーネーは、少し思案するように目線を動かした後、深々とお辞儀をした。
「まだ混乱している中、閣下のためにご尽力くださり、誠に感謝いたします。閣下の状態なのですが、我々側近以外には伏せていただけないでしょうか」
特に、帝国軍人に対しては。
帝国の厄介な政争に関わる事だ。「アリエリアナ・ククルスカが動ける状態ではない」と分かれば、彼女を敵視している帝国人の息のかかった軍人が、勝手な行動を起こすだろう。彼女は他の意見を聞かず強行する悪い癖があるが、そこに至るだけの経験がある。
(自国民ですら手放しで信用できないとは…)
同情にも近い言葉を飲み込み、オルアンは頷いた。
「わかった。担当する医務官にも伝えよう」
「オルカニア連邦軍司令官閣下のご配慮、痛み入ります」
ちょうどその時、アリエリアナの治療を担当する医務官が、2人が話している横を慌てた様子で通り過ぎて行った。自動ドアが開いて閉まるまでの短い時間だけだが、外が何やら騒がしい。聞いた事のある声が言い争っていうるようだ。オルアンの前に立つ、連邦人から見れば妙齢の意志の強そうな女性は、ドアの方を一瞥した後深いため息を吐いて向き直った。
「ところでオルカニア連邦軍司令官閣下は、我々の閣下の事をどこまでご存知ですか?」
「…………連邦軍上層部でも一部の者にしか伝わっていないが、彼を部下にする者には必ず告知されている」
連邦国内でも最重要機密の1つだ。その厄介な動く最重要機密がドアの外で問題を起こしているのだろう。
「……オルカニア連邦軍司令官閣下、先に謝罪しておきます。貴国の軍人に私的な感情で手を上げるかもしれませんので。申し訳ございません。失礼致します」
頭を下げると、ヒールを鳴らして自動ドアを出て行った。
エイレーネーは終始冷静な様子だったが、正面から顔を合わせていたオルアンには、目に怒りの色が宿っていたのがわかったのだろう。これから何が起こるのかはわからないが、あの眼で睨まれるであろう人物を案じて彼の口からため息が漏れた。
「ここに運ばれてんだろ!通せって言ってんだよ!」
「何度も言いますが、できません!お引き取りください中佐!!」
エイレーネーが医療棟の自動ドアを出ると、帰還してすぐに来たらしい拭き取りの甘い長い銀髪で軍服の肩を濡らしたルドヴィクが、3人の男性看護官達に取り押さえられながら、アリエリアナの担当医務官と言い争っていた。
はあ、もう頭が痛い。
目をグッと瞑ると、眉間に深い皺が刻まれる。
寿命が長い連邦人だから?そんなこと関係無い。良い加減に大人になれ。
今にも医務官に噛みつきそうなルドヴィクを睨みながら、エイレーネーは一歩踏み出した。
「良い加減になさい!ルドヴィク・エイン」
呼ばれるまで気付かなかったのか、ルドヴィクはハッとしてエイレーネーを見る。
「エイレーネー…アリエラは…アイツどうなってる?」
動きを封じているはずの男性3人をそのままズルズルと引っ下げながら、ルドヴィクはエイレーネーの前にやって来た。最悪の想像までしているのか、表情に悲壮感が出ている。
「息してる?生きてるのか?」
「縁起でもないこと言わないでください」
看護官3人に目配せをし、ルドヴィクから一旦離れてもらった。
「なあ、頼むエイレーネー。アリエラに合わせてくれ」
懇願する眼でエイレーネーを見下ろす。背の高さで言うならルドヴィクの方が大きく、平時であればエイレーネーが無駄に育った彼を見上げる状態なのだが、おかしい。目の前の男は昔のように寒さに震え小さくなった迷子の犬のように見える。
「何か……勘違いしていませんか?」
感情のない声で口を開くと、エイレーネーはルドヴィクと目を合わせた。
「閣下と貴方は他人です」
そう。法的に。
各国人の寿命差。国外では長く生きられない。その条件があるため、この世界には国を越えた家族関係を作る法が無い。つまり、アリエリアナとルドヴィクがどれだけ互いを想っていても、子がいたとしても、結局は他人にしかなり得ないのだった。
「貴方に、仕事外で閣下にお会いする権限なんて、最初から無いんですよ」
合わせていた目に絶望が宿る。言っていることは、至極真っ当な世界の常識だからだ。
「立場を弁えなさい、連邦軍戦闘部隊所属ルドヴィク・エイン中佐」
ルドヴィクは力無くその場に膝をついた。
「…………お願いだ。アリエラに何かあったら、生きていけない……」
段々と腹の底からムカムカしてきた。
情け無い男。こんな男に……
「……堂々と殴れる状況をありがとうございます」
人に聞こえるか聞こえないかくらいの声で低く呟くと、エイレーネーは膝をつくルドヴィクの胸ぐらを両手で引っ張り上げ、右拳で思い切り頬を殴り飛ばした。殴り飛ばされ、その場に倒れたルドヴィクがゆっくりと起き上がり、垂れた髪の間からエイレーネーを見上げている。それを見ると、何だか1発でスッキリしなかったエイレーネーは腹でも蹴り上げてやろうかと思ったが、両手の拳を握って何とか耐えた。
「貴方なんかのためにお嬢様はずっと無理をしていたのに!貴方達のために!!貴方が私の大切なエリお嬢様を孕ませた事、私は一生許さない!!貴方が憎いわ、ルドヴィク・エイン。エリお嬢様を人間らしくした事、私には出来なかった!ずっとお側にいたのに……ポッと出の貴方なんかに!たった数ヶ月しかいなかった貴方なんかに!!悔しいわ!腹が立つ!お嬢様の全てを掻っ攫った貴方が、私の目の前でそんな情け無い姿を晒してんじゃないわよ!!!」
15年分の感情が爆発した。
この男のために、アリエリアナは国に全てを差し出した。泣いても吐いても負傷しても、多くの部下を失っても、決して歩みは止めなかった。命を賭けて産んだ娘を手放した後も、今度は2人のために身を粉にして。
敵だらけの場所で。
見ていられなかった。
でも目を離せば、アリエリアナの細い身体が、折れてしまうのではないかと思った。
そしてこの結果だ。生きているが、きっとこれ以上は限界だ。これ以上、もう耐えられない。
また胸ぐらを両手で掴む。殴られて切れたのか、ルドヴィクの口の端からは血が少し流れていた。
そんな事エイレーネーには関係無い。
「立ちなさい!しっかりしなさいよ!お嬢様の人生が勿体無い!情けない貴方なんか私が殺してやる!!ふざけんじゃ無いわよ!!そんなんじゃ、お嬢様の事任せられないわよ!!!馬鹿ルドヴィク!!!」
叫び過ぎて心臓がドクドクと音を立てる。はあはあと肩で息をしながら、ルドヴィクの服から手を離し、医療棟の奥へ指を差した。
「………奥の治療室です。誰も入る事はできませんが、ガラス越しに見る事は可能です」
「エイレーネー?」
「私の権限をさしあげます。その方が、お嬢様は喜びますから」
それを聞いた瞬間、それまで絶望でぐったりとしていたルドヴィクの体に力が戻り、体を起こして走り出した。エイレーネーを見向きもしなかったが、すれ違う瞬間、彼女の耳に小さく「ありがとう」と泣きそうな声で聞こえた。
泣きたいのはこちらだ。
その場に残されたエイレーネーは両手で顔を覆い、深く息を吐き、現場を大人しく見守ってくれていた担当医務官に説明するために向き直った。
「アリエラ、勝ったぞ」
薄暗い部屋で、体にたくさんの管を繋がれ眠っているアリエリアナを、ガラス越しに食い入るように見つめる。
聞こえるわけがない。それでも彼女がそこにいるかのように話しかけた。
「だから、早く目ぇ覚ませよ」
エイレー姐さん大爆発。




