25.
宿題を終え、端末から顔を上げぐぐっと腕を伸ばし伸びをしていたフィリアの自室にノックの音が聞こえた。腕に着けている個人端末で部屋のロックを解除すると、ドアを開け、ブレンが顔を覗かせた。
「ねえフィリア、今ニュースで言ってたけど“鯨予報”って何?」
「え?今日鯨飛ぶの?久々だなぁ〜」
当然のようにフィリアは話すが、ブレンの顔には明らかに疑問符がたくさん浮かんでいる。
「くじらとぶ?何言ってるの?鯨って泳ぐ物じゃないの?」
「泳ぐよ?でも飛ぶじゃん?」
「とぶじゃん????」
言葉は通じ合っているのに何も通じていない。どう言えば良いかわからず、フィリアも悩んでしまう。
「鯨は基本的に“泳いでいる”で正解。連邦ではコロニーの上を通っていくのを、鳥みたいに“飛ぶ”っていうんだよ」
丁度良く帰って来たルドヴィクがブレンに説明しながら洗面所の方へ歩いて行った。手を洗いに通ったのだろう。
「パパおかえりー」
「びっくりした…鯨に羽でも生えるのかと思った…」
「トビウオ的な?」
「え!羽生えた生き物が海中にいるの!?」
ややこしいから、あとでフィリアとブレンには資料を見せながら説明した方が早そうだ。アリエリアナが“仔犬が戯れ合っている”と言っていたのも、わからないでもない。手を洗っている最中でも、2人が戯れ合う声が聞こえてくる。
「………あ、そうだ」
ふと思いつき、ルドヴィクは2人に言った。
「夕飯食ったら、散歩でも行くか」
夕食後、以前ブレンと来たことのある公園にやって来た。夜時間ということで辺りは暗く、家から漏れ出る灯りや街灯で、海中コロニー内だが夜景が美しい。公園内も歩道には小さな灯りが設置してあり、夜に散歩をする人もいるのだろう。しかし今夜はここに来るまで人を誰も見なかった。
「わ、綺麗。けっこう遠くまで灯りついてる」
「一応、首都機能持ってるコロニーだから、一番大きいし人口も多いんだって。初等教育課程の時に他のコロニーに行った事あるけど、全然違ってびっくりしたもん。ここより狭いし、家少ないし。あ、でも辺り一面改良植物の芝ばかりのところがあって、牛?いて面白かったよ」
「海の中の牧場?」
「人口分の乳製品確保できはしないんだけどね。土壌とか作るのにも必要なんじゃない?」
腕の個人端末を見ながら立っているルドヴィクの近くで、フィリアとブレンの2人は芝生に座って話している。するとどこからか女性の声が聞こえて来た。
「お、来たか」
ルドヴィクが姿を確認し、呟く。
「遅ぇよ。また迷子かよ」
「ヴィーカ貴方ね、方向音痴になった事なんて一度も無いわよ!っていうか、どうなってるの!?出航不可って何なのよ!」
「やかまし……」
早口で文句を言うアリエリアナが現れた。
いつもは軍服で現れるが、今はワンピースにカーディガンを着ていて、その上から大判のストールを羽織っている。長い髪も緩く後ろで1本に編んだだけで、少し暗くてはっきりとはわからないが、いつもより顔も薄く見える。
「あれ?アリエリアナ様?」
「でんっ……ブレンとフィリ!?中佐、貴方、事前情報が無さすぎです!」
2人を確認したアリエリアナは、慌ててストールを頭から被り、ルドヴィクの後ろに隠れた。
「鯨予報出てるからな。今日はもう船出ねぇよ」
「もう少し噛み砕いて説明して」
連邦人的には一般的な話だろうが、帝国人のアリエリアナには、何のことかさっぱりだ。
「たまにコロニーの近くを大型哺乳類の群れが通過するんだよ。大体鯨なんだけど。定期船とか高速船とかぶつかる可能性もあるから、予報出ると欠航すんの」
「……それ、コロニーの外壁にぶつかってくる可能性とかは?その時ってどうするの?」
「無いわけじゃ無い。から、その時は頑張る。前線部隊が」
「貴方たちそんな仕事もしてるの?大変ねぇ」
2人の会話を聞いていたフィリアが怪訝な顔をした。
「……パパさ、アリエリアナ様に対して砕けすぎじゃない?フレンドリーに接してくれてるけど、要人なんだよ?」
フィリアから見れば、確かにそうだ。普段ルールなどに厳しいルドヴィクが、アリエリアナに対しては率先して逸脱している。
「今更…この人今まで一回も私の前で畏まった事なんて無いわよ」
ため息混じりにアリエリアナは言う。いつもの事のように。
「前から知り合いなの?」
フィリアの問いに、ルドヴィクとアリエリアナは顔を見合わせた。
一瞬だけ、沈黙する。
「いえ、全然!」
「超初めまして」
「え、何今の。白々しくない?」
追及しようとしたフィリアの身体に、低い低い振動を感じた。
「あ、鯨」
「え?」
「低音の音とか振動無い?これ、鯨の鳴き声だよ」
言われてみれば、ブレンも大きく低い振動を感じる。
音や振動が大きくなってくると、コロニーの天井に何か動くものが見えた。
大きな大きな、鯨の群れだ。
低い音を出しながら、何十もの大きな鯨の群れがゆっくり、ゆっくりとコロニーの上を飛んでいく。
「な、なな、何あれ…」
「鯨」
「知ってるわよ!」
アリエリアナの声には若干恐怖が混ざっている。
ブレンの方は、とフィリアが見ると、彼は目をキラキラさせながら上を見上げていた。
「すごい……」
「……すごいよね」
少し、得意げに。
フィリアも鯨予報の日が好きだった。頭上を鯨が飛ぶ景色が。他の連邦人には当たり前のことすぎて、むしろ鯨の低周波がうるさいからと、予報が出た時間は誰も家から出たがらない。
幼い頃、ルドヴィクに連れて来てもらうのが大好きだったが、同じように感動してくれる友達は誰もいなかった。
「昼間はコロニー内って明るいから、海中の様子見えないんだけど、実は透けてるんだよね。コロニーの夜の明かりが鯨に反射して、こうやって見えるんだって」
以前ルドヴィクに教えてもらった事を、そのまま伝える。ブレンは感動したように息を漏らした。
「流星群を見た時みたいだ…」
「リューセイグン?」
ブレンを見ると夜景の灯りのせいだろうか、暗い灰色の瞳がキラキラと美しい石のように見えた。
「陸から上には空があって、夜になるとキラキラした星っていう粒が見えるんだ。たまに、その粒がシュッと流れて消えるの。流れ星って言って…それがたくさん見られるのが流星群」
「へえ!綺麗そう!」
光の粒がキラキラしている。フィリアは想像しただけでも胸が高鳴った。
「いつか、見れたら良いな……」
誰にも聞こえないくらいの声で、そっと呟いた。
フィリアとブレンから少し離れた場所で、ルドヴィクとアリエリアナも芝生の上に腰を下ろしていた。アリエリアナは怖いもの見たさで鯨の群れを見上げているが、ルドヴィクは見飽きているのかアリエリアナの長い髪を解いて編み直して遊んでいる。
「え、ヴィーカ何で呼んだの?」
連邦人なら珍しいものでは無いだろうが、呼んだ張本人がここまで興味無い様子だと、さすがに疑問に思ってしまう。
「ずっと家の中だと、ブレンも飽きるだろうし、あいつも鯨の群れ初めてだろうから」
「まあ、確かにアウレシアでは見る機会なんて無いわね」
海沿いの街では、たまに鯨やイルカを見る事はあるらしいが、ここまでの大迫力で鑑賞できる場は無いだろう。
「フィリがここに来たばかりの頃、あまりにもお前呼んで泣くもんだから、何度かこうやって連れて来てたんだよ」
少し大きくなって、一緒に行こうと言われなくなるまでは何度も、2人で夜の鯨の群れを見上げて過ごした。
「……そう」
静かに寂しそうに、アリエリアナが相槌を打つ。
「あと、いつかお前にも見せたいって思ってた。俺に花火見せてくれたから」
アリエリアナの頭をポンポンと撫でてやると、彼女の首筋から耳に至るまで、みるみるうちに紅くなっていった。
「……アリエラ?」
面白くて吹き出しそうになるのを抑え名前を呼ぶと、フルフルと体を振るわせアリエリアナは両手で顔を覆った。
「貴方のそういうところ、本当何なの?」
恥ずかしさと悔しさが混ざった、精一杯の文句なのだろう。ルドヴィクは満足そうな顔をして、先程自分で整えた彼女の髪をぐちゃぐちゃと撫で回した。




