33話:テロ組織との交渉と拉致被害者の奪還
しかし小泉さんは、5人を返さず、 そのため家族と離れ離れになってしまった5人の被害者も黙って耐えた。そして北は1年半後の2004年5月子供達を帰国させた。僕は「毅然とした日本外交」というものを初めて見た気がした。と言うより西側諸国が北朝鮮にだまされずに、まともな外交をした例は、過去にないし、その後もない。
「しかし、ターリバーン側は、証拠があれば引き渡す」。
「今の段階ではアルカーイダのやったこととは断定できない」と主張」。
そのため引き渡しを拒否。これに対してアメリカ軍はアフガニスタンのターリバーン政権に対して攻撃を開始。なおサウジアラビアなど湾岸協力会議を構成するアラブ諸国もテロ攻撃を批判し、アメリカによるアフガニスタン攻撃を支持する声明を出した。
アルカイダ幹部のハリド・シェイク・モハメドは2002年4月、自らが同時多発テロを計画した事を認めた。モハメドは逮捕された後の2007年にも犯行を自供した。アメリカ議会調査委員会による同時多発テロ事件の最終報告書は、モハメドを911テロの主たる企画者として紹介。彼のアメリカに対する敵意は「イスラエルに好意的なアメリカの外交政策との著しい意見の不一致」に起因すると結論づけた。
モハメドは1993年の世界貿易センター爆破事件にも関与しており、主犯ラムジ・ユセフの叔父でもあった。モハメドは2003年3月1日にパキスタンのラーワルピンディーで逮捕された。逮捕後、モハメドは複数のCIA秘密軍事施設とグアンタナモ湾収容キャンプに拘留され、尋問中にウォーターボーディングを含む拷問を受けた。
2007年3月にグアンタナモ湾で行われた聴聞会において、モハメドは自らには「9月11日の作戦について初めから終わりまで全ての責任があった」と証言した上で、この証言は強要の下でなされたものではないと述べ。一方、ビン・ラーディンは自らの直接的関与を認めた2004年の声明の中で、テロ攻撃を行った動機について以下のように述べた。
「1982年アメリカはイスラエルがレバノンを侵略する事を許可」。
「侵略を助けるためアメリカ第6艦隊を派遣」。
「レバノンの破壊されたタワーを目にし迫害者を同じ方法で罰するべきだと考えた」。
「我々はアメリカのタワーを破壊し、我々の体験の一端を迫害者にも体験させるべきと考えた」。
「そうする事で彼らが我々の女や子供を殺すのを思い留まる様にすべきだと考えた」。
2002年、日本の首相が自ら北朝鮮に乗り込んで拉致被害者5人とその家族を取り戻した。 さらに驚いたのは、日本が北朝鮮との約束を平然と破った事だった。しかし小泉さんは、5人を返さず、そのために家族と離れ離れになってしまった5人の被害者も黙って耐えた。そして北は1年半後の2004年5月、子供たちを帰国させた。その時「毅然とした日本外交」というものを初めて見た気がした。
と言うより 西側諸国が北朝鮮にだまされず、まともな外交をした例は、過去にはなかった。その後もないと思う。この時の小泉外交は見事。最初は外務省の田中均・アジア大洋州局長が、北朝鮮のミスターXと極秘に交渉を進めた。 田中氏は拉致被害者を取り戻すため現実的な交渉をしたので、 後に「北寄り」と批判される。5人の被害者が帰国した時、日朝両政府は、彼らをいったん北朝鮮に返し、改めて日本に帰国させるという約束をした。
しかしその約束を日本政府は破って5人を北に返さなかった。これには国内でも賛否両論があった。5人を返さなかったのは、安倍さんの小泉さんへの進言だったとされている。だが北との約束を破る事について外務省は否定的で福田官房長官も会見で外務省寄りの発言をしていた。




