29話:株投資とデフレと大型金融機関が破綻
1995年4月に里見重道の息子の里見勝一39歳を「里見レストラン」の会長に奥さんの恒子さんを専務に里見明男35歳を社長に彼の奥さんの牧子を常務にした。その後、1997年1月に、里見重道が69歳と弟の里見明男が67歳が相談役となった。そして重道と弟の明男は、4千万円ずつの退職金をもらい資産が約1億円となった。
その後、日本株売買に興味を持ち証券会社で行われる株の勉強会に参加。そこで今後有望なのは、半導体とインターネット関連株だと教えられた。その後、証券投資口座を開設し1500万円を入金。半導体株の東京精密と言う会社の株に注目し証券会社の担当者に買い所を教える様に言われた。即座に里見重道と明男は千株、成り行き買いを指示1230万円で買え、残金が270万円。
その頃、里見重道と明男の奥さんは、昔から仲が良く旅行に行ったり中華街に食べに行ったり、元町、銀座、日本橋に買い物に出かけ始めた。しかし、世の中のバブル崩壊で、里見レストランに来る、お客さんの増減は、あまり影響がなかった。と言うのは、今まで高級店に通っていた富裕層が、庶民的な値段で、そこそこの料理を出す里見レストランに新規顧客として来るようになったのだ。
役所の近くの里見レストランの客数は、減らず、出前の注文も特に変わりはなかった。むしろデフレによる原材料の値下げで利益率は、逆に上がった。公定歩合0.5%。冗談じみた史上最低金利だがバブルととも弾け散った。そのため、どんな情報を聞いても「ふーん」としか言えなくなった。でもこれ、とんでもない低金利。
バブルのきっかけは公定歩合2.5%だった。そのとき銀行が「安い!」と騒いで日銀から金を借りまくったせいでカネ余りから日本がバブルに走った。それが5分の1という事は、今度は、これがきっかけで超バブルが発生するんじゃないのかと素朴な疑問が頭に浮かぶ。しかし、そうはいかった。銀行はカネ余りに浮かれるどころか 来る客来る客、みんな追い返す「貸し渋り」に走った。
銀行はこの頃、巨額の不良債権を抱えていて、その不良債権は、処理したくてもできない「パンドラの箱」だった。無理に開けたら何が飛び出てくるかわからない。出てくるものは損失だけなのか、それとも逮捕か解雇か廃業か。どっちにしろ、最後に残るのは絶望しかない。全ての銀行はこの意識を共有し組織ぐるみで不良債権から目を背けた。
そんな後ろ向きになってしまった銀行が、客にカネなんか貸す訳がない。この頃の銀行、来る客すべてが「不良債権の卵」にしか見えなかった。これ以上傷を広げないことだけを考えた。結局、彼らは、この時期、神さまであるはずのお客様に背にして全力でパンドラの箱を押さえ続けた。ついでに彼らは「貸しはがし」なんてムチャもやった。
せっかくバブルの荒波に耐えて生き残った中小企業から担保割れを理由になけなしの運転資金をむしり取り死刑宣告。「銀行は晴れの日にムリヤリ傘を貸し、雨が降ったら取り上げる」という『半沢直樹』で使われたこの言葉には、この頃、銀行に背を向けられた企業の怨念がこもっている。1997年、政府はバブル後の不況が続いているにもかかわらず、時代に逆行する政策を打ち出した。
「財政構造改革法」だ。これは簡単に言うと、「不況だけど、みなさんからお金をむしり取りますね」という法律。つまり政府は、バブル後の不況対策として何回か「緊急経済対策」をやったが、全然効果がないまま、気がついてみたら借金ばかりが巨額に膨らんでしまったことに慌てた。




