30話:ひいきの銀行支援とデフレ
そこで橋本内閣が、苦渋の決断として僕らに負担をかけることを承知の上で、まず財政構造の健全化を図った。そこで実施されたのが消費税の引き上げ。消費税が、3%から5%に上がった。それに加え医療費の引き上げ「この時からサラリーマンは1割から2割負担にアップ。今日は3割負担」、所得税の特別減税の中止などもセットで行われたため、国民負担は一気に9兆円も増えた。
これだけでもボロボロなのに追い打ちをかける様に同年「アジア通貨危機」が起こった。このせいで対アジア融資の多くが不良債権化して、これら全てに対する不満は、橋本内閣に向かった。橋本内閣は、翌1998年の参院選で惨敗し辞任した。その後は小渕内閣が引き継いだ。1997,98年には、大手金融機関が連鎖的に経営破綻。まず1997年11月、北海道拓殖銀行が破綻。
実は、北海道拓殖銀行は、北海道経済を支えてきた大銀行。都銀初の経営破綻というニュースにも驚かなかった。それより、ああ、やっぱりという冷めた反応の方が多かった。さすがに、もう賢明な国民は、物事をちゃんと正しく悲観的にとらえられる様になっていた。拓銀破綻の1週間後、今度は山一證券が自主廃業。山一といえば、野村・大和・日興と並ぶ「四大証券会社」の一つ。
1998年今度は長銀二行が破綻。長銀とは「長期信用銀行」の略で吉田茂首相がかつて唱えた「金融の長短分離『短期資金は銀行から長期資金は長銀から』」をめざして設立された三行「日本興業銀行・日本長期信用銀行・日本債券信用銀行」。三行は1952年から順次設立。そこに深く関わったのは、後の首相、池田勇人。戦後復興と高度成長のための設備投資資金を支える事が主な目的。
しかし長銀もバブル期には客が減って苦労した。もう高度成長期ほど設備投資もない、好景気のせいで運転資金も足りている。なら長銀も客を確保するには、時代遅れの産業金融じゃなく、もっとバブルリーな土地や株への投資をした。この辺は、他の銀行や住専と同じというわけで長銀もよそ同様、バブル物件を求める顧客やリース会社にジャブジャブ金を貸しバブル後破綻した。
しかしこの長銀、実はかなりのつわもので既に破綻しているのに何かに守られてつぶれなかった。というか本人はもう死んで楽になりたいのに不自然な力が、ムリヤリ死なせてくれない。それはまるで、誰かが長銀に糸を付けて、傀儡よろしくムリヤリ生かそうとしているようだった。では、誰が長銀を生かそうとしたのか? ここがつぶれるとまずい人って誰だ?
長銀は池田勇人の肝煎りでつくられた銀行で、自民党「宏池会」とのつながりが非常に深かった「宏池会の財布的な銀行だった」。長銀は産業金融メインでやってきたためゼネコンへの貸付が多いが、そのゼネコンは自民党の活力の源「集票と献金」なので、これを支える長銀が破綻するのは、自民党的にはまずかった。つまり、自民党が必死に守りたがった。
長銀は石油公団や東京電力への融資という「政策金融の一翼を担う」側面があったため自民党的には破綻されるとまずかった。長銀の別働隊ことノンバンクの「日本リース」は、農協マネーの借り入れも多く自民党としてはツブせなかった。結局この年、7月発足の小渕内閣では、首相自らまで長銀の身売り相手探しに奔走したが駄目になると10月に金融再生法を作り長銀を「特別公的管理・一時国有化」にした。
そして「宮澤喜一蔵相と、柳沢伯夫金融再生委員長」の宏池会ラインで長銀をガッチリ守りつつ、受け皿が見つかるまで何が何でも長銀をつぶさない方針が採られた。その後長銀では、粉飾決算や飛ばしがらみで何人もの逮捕者が出たが、なぜか最高裁では無罪になることが多かった。また、粉飾決算に関わった長銀の幹部2人は、続けて自殺。*この経済の歴史の情報は、「やり直す経済史」蔭山克秀・著を参照させていただきました。




