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26話:タピオカブーム先取りと不況

 すっかり楽観的になった国民は、この繁栄が、もうすぐ終わりを迎えるなんて頭になかった。そして、この頃、1992年の正月休み、何か、面白い食べ物はないかと里見勝一は、夫婦で台湾旅行に出かけた。最初台北に泊まり、翌日、高雄、台南と回った。すると小さな黒豆の入ったミルクティーが評判になっていた。


 何でもキャッサバのデンプンを丸くしてタピオカパールと呼ばれる小さな黒真珠のような形に整形し、それをアイスミルクティーに入れて飲みながら食べていた。その他、黒糖タピオカラテ、黒糖を入れて甘くしたミルクの中に入れタピオカを入れた黒糖タピオカミルクなどがあり、価格は、台湾でタピオカミルクティーは、チェーン店のお手頃価格のお店で1杯40元「135円」。


 ちょっと高級店で70元「237円」。それを見て、日本でもキャッサバを輸入して、タピオカを作り始めてる工場があると知った。その後、この話を持っていくと、面白いと言われ、最初は、タピオカパールを輸入しようという事になった。1992年4月初旬、台湾中部の台中の工場と契約して輸入した。タピオカパールをアイスミルクティーに入れたが、これでは、夏しか出せないと言う話になった。


 その後、何種類もの試作商品を作った。タピオカ・アイスクリームやヨーグルトに混ぜたり、トッピングしたりナタデココに入れたり、プリン、寒天、ゼリーで作ったパンナコッタ風など計12品目を試験的に提供してアンケートをとった。すると、タピオカ・ナタデココ、タピオカ・パンナコッタ、タピオカ・ゼリー、タピオカ・プリン、タピオカ・アイスクリームの5種類が評判が良く、各レストランで、提供することにした。


 4月28日には、小型店で、提供を始めると、行列ができる程の人気となりタピオカの輸入を10倍に増やした。しかし、湿気に弱いので乾燥タピオカパールを大きな冷凍庫で保存した。輸入は、主にタイからで競争入札で1トン単位で購入。しかし、タピオカ専門店ではなくサイドメニューとして提供するとこを決めた。


 1992年の夏は、アイス珈琲、紅茶、ウーロン茶タピオカが飛ぶように売れてブームとなっていった。特に喫茶が強いカウンター形式の店では、ランチ、モーニング、ディナーセットの中にもタピオカセットのメニューをいれた。それで売り上げが、10%、20%、30%、50%アップし笑いが止まらない状態になった。


 しかし、この話は、社外秘、口外しない様にくぎを刺した。1993年になると流行に敏感な若い女性の口コミで女性客が仲間でレ移転する様になった。今まで短時間でランチを済ませたいサラリーマンは、行列を見ると、ほかの店に行くことが多くなった。しかし、その後もブームが去ったり、再びブームになったりしていた。しかし、里見レストランでは、息の長い商品になって里見レストランの売り上げベストスリーに必ず入ってくるようになった。


 そして1993年頃、バブル崩壊による本格的不況時代の到来を、日本国民は、身をもって痛感させた。バブル経済の崩壊の事態に対し日本政府は「緊急経済対策」を実施すると発表。これは、新規国債を発行し、これを財源に所得税減税と公共事業を行うという不況時の最もオーソドックスな財政政策。今までに経験した普通の不況なら、これで景気回復するが、政府の考えは甘かった。


 今の日本はバブル経済が崩壊。やるべきは、有効需要を創出するだけでなく、全ての病根である銀行や証券会社などの金融業界の大掃除、体質改善もやらねばならない。つまり金をバラまき国民の消費を刺激できたても、金融の要にいる銀行・証券がちゃんと機能していないと、要所要所で金の流れが止まる。

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