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第六話 前編

輪廻の鎖 改訂版


― 六 前編 ―


「――これが冬月の空か」

 漆黒の空に広がるまばらな光を見上げながら独語したのはカインである。彼が現在立っているのは教会から手配された安アパートのベランダ。六階建ての寂れたアパートではあるが生活するには何ら不便は感じていない。同居人は開口一番に「狭い!」と叫んでいたが。

 そんな些細な事よりもカインを悩ますのは異国の地であるという事だった。生活様式、気候、食べ物。何もかもが自国であるフェレアスとは違うのである。さすがに体調を崩すほどではないが、若干の疲労が溜まってきている事は明らかだった。

 だが、一つ変わらないものがある。

 それは漆黒の空を照らす星々。正確な知識がある者であれば飛行機で半日はかかるフェレアスの空に広がる星々と常月の空に広がる星々の差が分かるかもしれない。

 しかし、カインには変わらないように見えた。

 心を曇らせる漆黒をまるで押し返すように輝く光。見ているだけで心を晴らしていく希望の光。漆黒を照らす光がある限りカインは進んでいけるような気がするのだ。こんな厳つい体をしている割には星が好きだと言うのはいい笑い種かもしれない。だが、理屈ではなくて好きなのだから仕方がないのである。

(俺は掴めるか? 光を)

 カインは空へと手を伸ばす。全てを跳ね除ける光を、希望をこの手に掴む事が出来るのだろうか。カインと共に歩もうとしている少女を守る事が出来るのだろうか。

(俺を待っているのは死……絶望のみか)

 二人の巫女が死を迎えれば次の対象はカイン。それが神を気取った少女の描いたシナリオ。その頃には必要数の穢れをカイン達は倒しているだろう。そうして何度も繰り返されるシナリオ。

 ただの夢だと鼻で笑えば済むだけの話ではある。だが、心が晴れる事はない。前世の自分と今の自分を繋げる鎖を断ち切るまでは。

「くだらん」

 カインはあえて言葉を吐いて思考を強引に打ち切る。こうして考えれば考えるほどに監視者の思惑に乗るようなものなのだから。わざわざ相手のペースに合わせるなど愚者のやる事だとカインは思う。自らで考え、そして自らが選んだ道を進む者が人。

 ゆえにカインは止まらない。目の前に何が立ち塞がろうとも。心に浮かんだ決意を身へと沁みさせるために、カインは空へと掲げた手を強く握り締める。

 爪が食い込むほどに強く、強く――。

 痛みが迷いを晴らしていく。ゆっくりと手を開いた時には迷いは晴れていた。

「君だけは何があっても揺らがないね」

 掲げた手を下ろそうと思った瞬間。

 涼やかな声が背後から響く。いちいち振り向かずとも誰の声かはすぐに分かる。カインが、そして輪廻の鎖に縛られた者が倒すべき相手がそこにいるのだろう。

「無論だ。この国の護士が倒せないというのであれば……俺が殺す。刺し違えてでもな」

 カインは振り向くと共に鋭い声を発する。

 振り向いた先に立っていたのはいつもの黒いローブを纏った少女。フードから覗くのは見慣れた真紅の瞳だった。

「そうか。まあ、無駄だけどね」

 肩を竦めながら監視者。

 いちいち癇に障る物言いだが、カインはあえて突っ込む事はしない。一秒でも早く彼女との対話を終わらせたいのである。こんな雲一つない、星を見るに適した夜をこれ以上台無しにされたくないのである。

「用件だけを言えってところかな」

 無言を貫くカインに監視者はどこかつまらなそうにつぶやく。そんな彼女を再びカインが睨むと「やれやれ」と言いながら姿勢を正していく。

「用件はただ一つ。明日……君たちをここに招待する」

 監視者が左手の人差し指を立てた瞬間。一枚の紙が夜の肌寒い風を無視するかのように真っ直ぐに落ちてくる。どうやら受け取れという事らしい。カインに拒否権がないのが腹立たしい事である。

「――穢れか」

 カインは目の高さにまできた紙を受け取ると共に即座に開く。紙に描かれていたものは一枚の地図だった。

「そうだ。君が明日から通う冬月高校から東に一時間程度行った所に廃工場がある。そこに招待するよ」

「そんな夢を見た覚えはないが?」

 淡々と語る彼女へとカインは低い声で問う。カインが見た夢は西洋甲冑の姿をした穢れと戦う護士と巫女の夢だった。当然、その夢に前世のカイン達は関わっていない。

「あれは二日後だ。その前に君達の力が見たくてね。それに――」

「ここで倒れれば邪魔が入らないか?」

 言葉を遮ってカインは彼女の考えを的確に述べる。カイン達に自らが描いたシナリオに強引に介入されたくないというのが本音なのだろう。実際に何も仕掛けてこないのであれば介入するつもりだったカインからすれば、先手を打たれたような気分である。

「そうだ。罠だと思ってくれていいよ。でも、君達は来る。放っておけば穢れは外に出てしまうのだからね。我が身可愛さに戦わないのであれば君達に存在価値はない」

 薄く笑う監視者。

 だが、彼女が言うべき事は正しい。外へと穢れが出ないために戦うのが巫女であり、自分達エクソシストである。穢れを恐れて引きこもっているのであれば一般人と何ら変わらないのだ。そうであるなら今すぐにでもその名を棄てた方が利口だろう。

「ならば受けよう。そして……俺達を見くびらない事だな」

 低くつぶやきカインは倒すべき敵を睨み続ける。殺気を含んだ視線を赤い瞳は真っ直ぐに受け止める。穢れと同じ忌むべき瞳は揺れる事はなく、何を考えているのかを読み取る事は不可能だった。さらに深く敵の瞳を覗きこもうとした時に――

「その自信がいつまで続くか……楽しみにしているよ」

 監視者はどこか余裕すら感じさえる言葉を最後に、姿を消してしまった。取り残されたのはカインただ一人。

 まるで思い出したように頬を冷やす風を感じながらもう一度空を見上げる。己をもう一度鼓舞するために。

(俺は負けん。貴様も抗う事だな)

 カインはまだ見ぬ同じ運命を背負った護士を思い浮かべてゆっくりと瞳を閉じる。星々の光はカインを祝福するようにそっと包むように照らし続けた。



 一定のリズムで手に握る桜色のシャープペンシルを走らせているのは春である。

(もう少し)

 鼻歌でも歌い出しそうなほどに上機嫌な自分を抑えて最後の仕上げへと取りかかっていく。微かな擦れる音が鳴り響く度に見開きのノートに描かれていくのは、スラリと細い体躯に柔和な笑顔が印象的な一人の男性。

 春の心を幸せな気持ちで満たしてくれる唯一の存在である。彼へと触れるだけで、いや見つめるだけでどんな暗い気持ちもすぐにでも霧散してしまうから不思議である。

「ねえ、春」

「うん?」

 右隣に座る本堂の声にとりあえず返事を返す春。視線はノートへと向けられたままである。後は黒髪を描いて完成なのだ。もう少しだけ待って欲しい所である。真冬の事になると見境が無くなる所は自覚しているが、春自身も上手くコントロール出来ないため今は作業にだけ没頭していたい。

「今描いてるの……誰?」

 本堂が発したのは疑問の声。今頃、クラスにいる男子生徒を一人ずつ確認している事だろう。だが、それは無駄な事である。春の想い人はこのクラスにはいないのだから。

「真冬」

 名前を呼んだ瞬間に心の中に温かな感情が溢れる。人前であるが自然と緩んでいく頬を引き締める事はすでに不可能だった。おそらく遠目から見てもにやけている事は分かってしまうだろう。当然、隣にいる本堂にはなおさらである。恥ずかしい気もするが真冬を想って緩むのなら致し方ない事だと思ってしまう春である。

「えっとお兄さん? これは有り得ないでしょ!」

 叫ぶと共に本堂がノートを覗き込む。何が「有り得ない」というのだろうか。春は不思議に思って作業の手を止める。すると本堂は一度左手で赤縁の眼鏡をかけ直すと共に口を開く。

「こんなに背……高くなかったよ?」

 疑問の声と共に薄い黄色のシャープペンシルで薄い線を一本引く本堂。引かれた線はちょうど真冬の首辺り。つまり頭一つ分高いと言いたいらしい。

(私の真冬が!)

 春は引かれた線が視界に入った瞬間に金槌で頭部を殴打されたかのような衝撃を受ける。その証拠に握っていたシャープペンシルはいつの間にか春の手から解放されていた。

「修正っと」

 春が呆然としている間に本堂は消しゴムを左手に握っていた。当然、狙いは真冬の頭。何という暴挙に出るというのだろうか。

 ノートへと向かう手を叩き落としたくなる衝動を何とか抑えて春は――

「それは断固阻止するよ」

 言葉と共に本堂の暴挙を阻止する。

 これ以上春の世界を破壊される訳にはいかないのだ。例え現実と違っていたとしてもだ。確かに本堂の言うとおり春が描いた真冬は身長百八十センチのつもりであり、実際よりも十センチほど高く見積もって描かれている。真冬本人を知っている者にとっては不自然に見えるのは当然だ。

 だが、春にとってはそれだけ兄である真冬の存在は大きく見えるのである。小柄な春と比べれば真冬は確かに大きい。だが、それだけでなく存在としても大きいのである。春の戻るべき場所であり、唯一の支え。心の拠り所である真冬。心を埋め尽くしているといっても過言ではないのだ。

 それらを表現しようとすると自然と大きくなってしまう。春にもう少し絵心があれば別の表現が出来たのかもしれない。だが、現在の春の心を素直に表現するとこうなってしまうのだ。

「ちょっと春……痛いよ」

 腕を掴まれている本堂が一度表情を歪ませる。どうやら思っていたよりも力を込めてしまったらしい。

「ごめん」

 謝罪すると共に慌てて本堂の手を解放する春。本堂はゆっくりと態勢を整えると共に一度溜息をついた。おそらくここまで必死になれば気づかれてしまったのではなかろうか。春が抱く真冬への想いを。ただの兄想いの妹なのだと思ってくれるだけならいいのだが。春は高まる心臓の鼓動を感じながら本堂の言葉を待つ。

「いいけど。春ってやっぱりお兄さんの事を……その」

 言い澱む本堂。

 すぐに笑って誤魔化せばそれで済む問題だった。だが、春は無言で返してしまう。まるで肯定するかのように。

「そうなんだ。いろいろと噂を聞いてね。兄妹にしては仲が良過ぎるって」

 一瞬の間を置いて本堂はぎこちなく笑う。これが一般的な反応だ。人は決して異物、異端を認めないのだから。

「好きだよ。真冬以上の男性なんてこの世には存在しない」

 春は自らが描いた真冬を撫でる。愛しい我が子を撫でるかのように優しく、そして愛おしそうに。ばれてしまったのならばもう隠す必要はなどない。ならば春が真剣なのだと分かってもらえればそれでいい。その結果受け入れてもらえなければそれは仕方がない事だろう。

「そこまではっきり言うんだ」

「反対?」

 うつむくクラスメイトへと春は問う。本堂は言葉を返さずに代わりに一度だけ頷いた。

(思っていたよりも効くね)

 監視者に小馬鹿にされた時は平気だった。だが、さすがに親しくしていた者からの拒絶は春の心をざわつかせるには十分だった。だからといって春の想いが変わる訳はないのだが。この想いだけは全ての者に拒絶されても貫きたい想いなのだから。

「ねぇ、春。他にもいい人いるよ? えっと、ほら。お兄さんの友人の藤堂先輩とか……春と同じクラス委員会の斉藤君とかさ」

 本堂は断固たる意志を貫こうとする春へと二人の男性を薦めてくる。真冬の友人である藤堂久隆とは幾度か話した事はある。陽気で気さくな彼は異性として勧める選択肢としては十分にありだろう。身内贔屓をしなければ、もしかすれば真冬よりも身長の高い彼の方がモテるのかもしれない。

 そして、同じクラス委員を務める彼もクラスで常に一、二位の成績を収める秀才で、運動神経も抜群である。クラスに一人はいる何でも出来てしまう生徒であり、クラスの一番人気である。実際に勧めている本堂も彼に少なからず好意を抱いているのは春も知っている。

 だが、春の心には何も響かない。両者がどれだけ容姿が良かろうと、成績が優れていようと関係ないのである。彼らは春の心を優しく包んではくれない。折れそうな心を支えてはくれないのだ。

(私の心を満たしてくれるのは真冬だけ)

 春は胸の前で手を組んで想い人の顔を思い出す。再び緩んでいく表情を見れば本堂は春が誰を思い浮かべているのかすぐに分かってしまった事だろう。それで構わなかった。春の中での答えはもう出ているのだから。

「そっか、負けたよ。納得はしていないけれど……出来れば今後もお兄さん以外の人を勧めたいけれど。春とは今のままでいたいかな」

 本堂は溜息をつきながらつぶやく。どうやらこの話をこれ以上続けて関係を悪くするつもりはないらしい。それは春にとっても望む事である。

 とりあえず心のざわつきから解放された春は――

「ありがと」

 クラスメイトへと感謝の言葉を掛ける。この問題は二人の心の内へと収めるために。いつ再発するのかは分からないが。

「仕方ないよ。それで……その想い人はどうしてるの? 一緒に登校してなかったみたいだけど」

「うん。何だか藤堂さんに呼び出されたみたいだよ?」

 本堂の問いに答える春。春自身も真冬が何をしているのか知らないのだ。夢については昨日の間に雫と真冬には伝えている。雫は何か対策を考えると言っていたが、真冬は何をしているのだろうか。

(帰ったら聞けばいいかな)

 春は心中でつぶやいて、再びノートへと視線を落とした。



「どうよ、俺の槍捌き。惚れ惚れするだろう」

 高校指定のジャージに身を包んだ藤堂が槍を構え直すと共に一言。彼の手に握られているのは二メートルを超える木製の槍。先端も木で出来た鍛錬用の槍である。その槍の先端は幾度か真冬の足と腕を突いている。実戦であれば身動きすら取れない事だろう。

「どれだけ特訓したんだよ」

 真冬は痛む両足に力を込め直す。同じくジャージ姿の真冬が手に握っているのは木刀。真剣ではないが直撃すれば、数日または一週間は腫れ上がるような一撃を与える事は可能な凶器だ。

 だが、そんな凶器が藤堂の体に触れる事も、掠る事も無いと言うのだから不思議である。それが二人の間にある実力の差だというのだろうか。

 現在、二人の距離は約二メートル。一歩でも踏み込めば槍の間合いである。真冬が握る木刀の間合いに入るには最低でも一撃は防ぐ必要があり、先ほどからその一撃が防ぎきれないのだ。

「春ちゃんが巫女の鍛錬を終えて少ししたらかな。まあ、正確な時期なんて関係ないさ」

 陽気に笑い槍を地面と平行に構える藤堂。どうやら仕掛けてくるらしい。戦いにおいては素人同然の真冬だが、二度も命懸けの実戦を積めば少しは勘も鋭くなるというものである。

「時間としてはあと一回だな」

 真冬は木刀を握り直す。これ以上鍛錬が長引けば高校に遅刻してしまうだろう。藤堂も一度頷いて了承を示す。

 ――最後の一回。

 仕掛けてきたのは藤堂だった。平行に構えた槍を一度引き、すかさず鋭い突きを放つ藤堂。春の力を受け取っていればおそらく楽に反応出来るであろう突き。だが、今の真冬はただの素人でしかない。

(避けるしかないか!)

 真冬は咄嗟に左へと体を逸らすと共に右手に握った木刀を振り下ろす。真冬の狙い通り放たれた槍は地面へと叩き落とされる。

「来いよ」

 槍を叩き落とされた藤堂は不敵に笑う。懐に入られれば木刀の方が有利であるのは誰でも分かる事。だが、藤堂は余裕すら感じさえる笑みを浮かべていた。

 真冬の脳裏に浮かんだのは狼に似た穢れと戦った時の事だった。真冬の油断により一撃を受けてしまった過ちの記憶だった。

 引くか、進むか。

 再び同じ選択を迫られた真冬。以前と同じで迷ったのは数瞬。すかさず全ての力を両足へと伝えていく。選んだ選択を実行へと移すために。真冬が選んだのは前進ではなくて後退。槍の間合いから離れるための跳躍だった。

「おっと」

 目標を失った藤堂は呆気に取られてつぶやく。彼が放ったのは右回し蹴り。真冬が前進していれば今頃胴にめり込んでいた事だろう。真冬の選択は間違っていなかったのである。

 春から聞いた話では次の穢れは一撃を受ければそれで終わりらしい。どんな攻撃をしてくるかも分からない相手に猪のように突撃しては返り討ちにあうのは必然である。

「悪いが一撃――」

 回し蹴りを放った事で態勢を崩した藤堂に向けて真冬は駆ける。防戦ばかりしていても勝てないのが戦い。ならば確定所を丁寧に決めればいいだけの話である。

「受けてもらう!」

 槍の間合いに飛び込んだ真冬は木刀を握る手に力を込める。一撃を確実に当てるために。

「まだ甘いって」

 藤堂は回し蹴りの勢いのまま左回りに一回転。ちょうど真冬が刀の間合いへと入った瞬間に、木製の槍が視界を掠める。

 鳴り響いたのは二つの張りのいい音だった。当然、音の発信源は木刀と木製の槍である。

「ぐっ――!」

「痛! 少しは加減しろよ、馬鹿野郎!」

 真冬の呻き声と、藤堂の悪態が響く。これが二人の鍛錬の終わりだった。

「相討ちか。筋はいいのう、真冬」

 一声掛けると共に二人へと歩み寄ってくるのは老齢な男性。今回の鍛錬の主催者である一刀斎である。自慢の顎鬚を手で撫でながら真剣な瞳を送っているこの男性の実力のほどは分からないが、かなりの猛者であろう事は藤堂の強さを見れば容易に想像出来る。

 現在の鍛錬は早朝の五時に認証カードが鳴り響いた事から端を発している。送られてきたのは藤堂からの一通のメール。内容は「鍛錬をする」という短い内容だった。まるで意味が分からない真冬は無視しようかと思ったのだが、指定されていた場所に再び目を見開く。

 指定場所は雨月神社。いや、正確に言えば雨月神社の周りにある森だった。すぐに脳裏に駆け巡ったのは夢の内容である。何かが起きようとしている、そう仮定した真冬は確かめるために春を起こし、この場に向かったという事である。

「相討ちでは意味がないですよ。俺は生き残らないといけませんから」

 真冬は槍で叩かれた左腕を庇いながら返す。幸い動かない腕であるので生活には何の支障もないのが助かる所である。

「まあそう言うなよ、俺から一本取ったんだ。このままやれば上達するさ。守るんだろう、春ちゃんを? なら強くならないと」

 藤堂はつぶやくと共に真冬の肩へと腕を回す。普段であればうっとうしい事この上ないが、協力してもらっている手前邪険にする事は出来なかった。

「そうだな。春の力だけに頼っていたらいけない。俺自身も強くならないと」

 真冬は右手を握り締める。この手にはまだ戦う力はない。だからといって甘えている訳にもいかないのである。真冬達に与えられている限られた時間の中で出来る事をしなければいけないのだ。今日の鍛錬はもしかすれば付け焼き刃にも満たない微々たるものなのかもしれない。だが、それでも続けていかなければならないのだ。監視者に抗うためには。

「それは明日からじゃな。本来であれば……これは言ってはいかんの。それでは待っているぞ」

 一刀斎はとりあえずの役目を終えたと言わんばかりに背を向ける。彼が言いかけた事は高校など行かずにここで鍛錬をしろという事だろう。少なからず真冬にもその想いはある。命を掛けなければならない事柄があるというのにゆっくりと勉強など出来ないのである。いくら勉強して学力を向上させても死んだら終わり。まずは生き残る事を優先しなければいけないような気がするのだ。

「生き残った時に単位が足りないというのも問題だぞ、真冬?」

 真冬の心境に気づいたのか藤堂が溜息交じりに言葉を吐く。藤堂が語るのは生き残った後の話。確かにせっかく生き残っても留年したとなれば目も当てられない事態だろう。それは避けたい所ではある。生き残り、そして今の生活も維持できる事が理想なのは言うまでもない。

「これ以上人生を狂わされたら堪らないか」

 真冬は肩に回された藤堂の腕を払い除けて一歩進む。真冬が決めたのは抗う事。日常も非日常も抗い続けるというのも悪くはない話である。

「そういう事。今はただの高校生という事で」

 藤堂の言葉が背に聞こえる。真冬は一度深呼吸をして一人の高校生へと戻った。


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