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第六話 後編

― 六 後編 ―


「はぁ……」

 重い溜息をついたのは雫である。溜息をついた理由は目の前に広がる光景が原因である。監視者絡みの件で吐いた溜息でない事が唯一の救いではあるが、雫を困惑させるには目の前の状況は十分であった。

 時刻は十二時。昼休憩の時間である。

 この時間、学生は二手に分かれる。親製作または自作のお弁当を友人と一緒に食べる者または学食へ行って食べる者とに。

 現在の雫は後者であり、ようやく学食へとたどり着いた所である。そこまでは順調だった。さすがに一年以上通っているのだ。さすがに道に迷う事はない。

(何ですかこの人は)

 雫は心中でつぶやいて一歩を進む。進む度に進路を塞ぐのは人の壁。右に行こうが、左に行こうが人が立ち塞がっているのである。まさかここまで人が多いとは思っていなかったのである。

 普段、雫はお弁当を自身で作って持ってきている。だが、本日は日頃の寝不足が原因で寝過ごしてしまったのである。寝不足の原因はあの夢が原因であるのは言うまでもないだろう。特に今回は自身の身に振りかかるかもしれない災厄なのだ。対抗する手段を考え始めれば夜などあっという間に過ぎてしまうのが現状である。

(地道に行きますか)

 人の波に揉まれながら雫は進んでいく。進んでいくのはいいのだが、この人波が一体どこを目指しているのか皆目見当がつかない。雫は高校選びを間違えたかと思うくらいにこの場に馴染んでいない。明らかに機能が多すぎる認証カード、一年経っても理解に苦しむポイントシステムなど機械音痴である雫にはついていけない事が多いのである。そういう理由もあって寮ではなくて雨月神社から通っているという経緯もあるのだ。

 考え事をしながら進む事数分。視界が開けたと思った瞬間に飛び込んできたのはまたも機械。壁に取り付けられた正方形の機械だった。正方形の機械の構造は実にシンプルだった。何かを入れるのであろう差し込み口、液晶ディスプレイ、最後に食券が出てくるであろう取り出し口だけだった。

(どうしろと言うのですか?)

 雫は機械を鋭く睨む。当然、機械が感情を読み取る訳はない。

『認証カードを通して下さい』

 ほどなくすると機械音声が指示を出す。指示通りに認証カードを機械の差し込み口と思われる物へと向ける。どうやら正解らしくカードは即座に吸い込まれていく。

『メニューを選んで下さい』

 またもや機械音声。ディスプレイに表示されたものは「Aランチ」「Bランチ」を筆頭に複数のメニューだった。

「どう選べと?」

 雫は焦りのあまり疑問の声を発してしまった。若干素が出ているような気がするが今は気にしている余裕はなかった。この機械には差し込み口と、ディスプレイしかないのだ。選択するボタンなどは皆無。全くどうしたらいいのか理解に苦しむ雫である。タッチパネル式なのかもしれないが理解せずに突くととんでもない事が起きる事は認証カートで経験済みである。

「雨月さん、初めて?」

 迷っていると後ろから声を掛けられる。振り向いた先に居たのは赤い髪に長身が印象的なクラスメイトだった。

「ええ。どう選べばいいのか。それに支払いはどうするのでしょうか?」

 雫は苦笑いを浮かべて機械を指差す。すると藤堂は何の迷いもなくディスプレイを操作していく。メニューを選び、それから数回ディスプレイを突いていく。二、三回画面が変わったが雫にはさっぱりだった。

 ほどなくすると――

『承認。食券を取って下さい』

 機械音声と共に食券が機械から排出される。

「ほい。こんな感じ」

 いつもの陽気な声と共に券を渡す藤堂。

「ありがとうございます」

 まるで理解出来ていない雫は食券を受け取って感謝を表すために一度頭を下げる。しかし、頭を上げた時にはすでに藤堂の姿はなかった。目印の赤い髪を探すと彼はすでに列へと並んでいる所だった。

(私とは種類が違う人かもしれませんね)

 雫は心中でつぶやくと共に食券に記載された「Aランチ」の列へと自らも並ぶ。種類が違うと感じたのは仮に雫が同じ場面に遭遇したとしても、おそらく彼のように手を貸す事はないと思ったからだ。別の誰かがやるだろうと思い見知らぬ顔をしている姿が容易に想像出来てしまう。彼のように困っていたら即座に介入するフットワークの軽さ、そしてお節介な性格は雫にはないのである。真冬と春の手助けをするのは雫が当事者であるからである。ただそれだけなのである。

(巻き込んでいいのですかね)

 雫とは真逆だと言っても過言ではない藤堂。彼のように自らの利益に関係なく人に優しく出来る者を雫達が抱えている事柄に巻き込んで本当にいいのだろうか。やはり今からでも止めるべきだと思うのである。「止めろ」と言って止めるのかどうかは雫には分からないのだが。

 それならば雫達が確実に穢れを滅する事で、部外者が介入する必要がないようにすればいいだけの話でもある。

「あと何日ですか?」

 雫はどこかで聞いているであろう彼女へと問う。雫達に用意された時間はあとどれだけあるというのだろうか。おそらく今日か明日には監視者からの通告があるだろう。誰が聞くかは分からないのだが。それまでに雫達は準備を終えなければならないのである。

 真冬は藤堂達と鍛錬をする事で少しは刀の扱いを覚えてくるだろう。だが、それだけでは明らかに足りない。勝利するための何か特別なものを用意出来ねば雫達は何かを、誰かを失うのだ。彼女が思うように。

「はい、Aランチね」

 考え事に耽っているといつの間にか列の最前列になっていたようで目の前に食器に盛られた「Aランチ」が差し出されていた。ご飯、味噌汁、焼き魚、そして漬物とどうやら常月の定番メニューが中心のランチらしい。神社では隣国の料理は食べない雫にとってはありがたい事だった。

「ありがとう」

 雫は一言つぶやき食券を渡すと共に食器を受け取り席へと座るために振り向く。だがその足取りは数歩で止まる。

 理由は簡単である。席のほとんどがすでに学生達によって埋め尽くされていたからだ。

(現実も楽ではありませんね)

 心中でつぶやき苦笑する雫。どうやら雫は今いる居場所にすら適応出来ていないらしい。可能な限り人と関わらずひっそりと過ごしてきた雫。当然、どこかの輪に入る事など不可能だった。そして、輪に入るつもりもないのである。輪に入って誰かと親しくなれば傷つけてしまうから。雫が死ぬ事で涙を流す者は一人でも少なくせねばならないのである。だから関わらない。まるで死ぬ事が運命のような気もするが抗う術が思いつかないのだから仕方がない。

 雫は席を求めて歩いていると、ある人物を中心に前後左右に人が座っていない場所を見つける。食事スペースの中央であるというのに学生が避けてしまうのは、その人物が放つ威圧感のせいである。鋭い眼光に、鍛え抜かれた肉体は戦い慣れている雫ですら視界に収めるだめで体が震え出しそうなのだから、一般の学生からすれば恐怖以外の何ものでもないだろう。

(あの男は……夢の中で)

 雫は威圧感を放つその男に見覚えがあった。確か夢で一度だけ見た覚えがあるのである。雫の足はまるで導かれるように彼の目の前に向かっていた。

 彼が座る席の前に腰を降ろすと。

「初めましてと言っておこう、雨月雫」

 男は鋭い眼光を向けると共に挨拶をする。挨拶と言ってもとてもではないが友好的とは言えないのだが。

「あなたは夢の中の?」

 雫は確認のために問う。彼の反応を見る限りではおそらく当たりだろう。

「ああ。お前達と事情は同じ。隣国フェレアスから来たエクソシストだ。大聖堂の計らいで昼からはここの転校生という扱いとなる。俺はフリージアと違って高校を卒業していないからな」

 男は淡々と語りながらコーンスープが入ったカップへと口をつける。彼から感じるのは明らかな敵対心。常月を、巫女を快く思っていない事はすぐに分かった。

「協力する事は?」

「冗談か?」

 雫の問いに低い声で返す男。彼の反応は巫女とエクソシストの関係性を知っている者にとっては至極当然の事である。

 現在は友好関係を築きつつある常月とフェレアス。だが、過去には大きな戦争を幾度か繰り返している。その裏で巫女とエクソシストは刃を交えた事があるのだ。雫達の世代では全く関係のない話ではあるが、彼のように巫女を恨む者も少なからず存在するのである。巫女がエクソシストを恨むのと同じように。

「いいえ。真剣です」

 雫は彼の視線を受け止めて返す。彼らの力は監視者に抗うためには必ず必要となる。ならばここで争っている訳にはいかないのである。どんな事情を抱えていようとも、例え拒絶されようとも言葉を掛ける事を諦めるつもりは雫にはない。

「ふざけている訳ではないようだな」

 男は雫の瞳を正面から受け止める。覗き込むような青い瞳はこちらの想いを確かに受け取ってくれたように思える。とりあえずこちらの考えだけは何とか伝える事に成功した雫は一度安堵の息を吐く。だが、これで彼らが全面的に協力してくれるとは到底思えない。緊張した面持ちで言葉を待つと彼は一度溜息を吐いてゆっくりと口を開いた。

「俺達が持っている情報では……二日後に一体強力な穢れが出る。もう見たか?」

「仲間の内の一人が。正確な日にちは知りませんでしたけど」

 男の言葉に丁寧に答えていく雫。情報をくれるだけでも確かな一歩なのである。

「そうか。それとおそらくこれは知らないと思うが……俺達は今日の夜に監視者に招待されている」

 腕を組んで男は淡々と語る。

 この情報は初耳である。そして、夢にもない内容。監視者のシナリオを変えた事が何かしら影響を与えているとでも言うのだろうか。

「気づいていると思うが夢は関係ない。本日の雑魚はこちらで引き受ける。本命は任せるが……いいか?」

 そちらの力を見せろとでも言いたげな目の前の男。力のない者は彼らにとっては足でまといだという事だろう。協力するにはまずは力を見せろ、単純ではあるが必要な事でもあるだろう。特に常にぎりぎりの戦いを強いられる自分達にとっては。

「構いません。私達もあなた達の力を知りたいですから」

 雫は不敵に笑う。雑魚と断定した相手に負けるようではお断りだと伝えたつもりである。協力はして欲しいが常に対等である必要があると雫は思っている。仲間となるのであればなおの事である。上下関係のある偽りの関係を気付くつもりはないのである。

「ふっ……それくらいの方がいいかもしれんな。カインだ」

 カインと名乗った男は薄っすらと微笑む。一応は認めてくれたという事なのだろうか。雫が呆然と見つめていると彼は無言で立ち上がる。見ると彼はすでに食事を終えていた。

「あまりゆっくりしていると……食べる時間がなくなるぞ」

 言葉を残して去って行くカイン。威圧感を発し続けている彼だが、その声音はどこか優しく気遣ってくれている事はすぐに分かった。もしかすれば雫が思っているよりも心優しい人物なのかもしれない。

(急がないといけませんね)

 冷静さを取り戻した雫は腕時計を見つめる。現在の時刻は十二時二十分。残りの時間は二十五分である。そうゆっくりは出来ないだろう。

「いただきます」

 雫は手を合わせてようやく食事に手をつけた。


*


「本当にここ? 私は夢……見てないよ?」

 腰に手を当てて不機嫌そうな声を絞り出すのはフリージアである。彼女が身に纏うのは青を基調とした修道服。そして、彼女の足を保護するのは軍用のアサルトブーツである。常月では巫女という存在が神聖視されているが、フェレアスではシスターや司祭と呼ばれる存在が神聖視されているのだ。

「その前に……その服装どうにかならんのか?」

 フリージアの服装、特に膝丈のスカートを指差してカインは問う。正式な服装は脛までのロングスカートである。だが、彼女が身に纏う物は膝丈スカート。生地は同じだが違和感を覚えてしまうのである。そしてあろう事か彼女が履いているのは軍用のアサルトブーツ。教会に雇われているだけで正式なシスターではないが、どこか宗教という物を冒涜しているような気がしてならない。

 そう考えるカインは黒を基調とした正式な修道服に身を包んでいる。

「ほんっとうに細かいなぁ。いいでしょう短くても! 動きやすさ重視!」

 フリージアは右手の人差し指を立ててカインへと詰め寄る。なぜそこで怒り出すのか全く分からないカインである。

「まあいい。行くぞ。今回は夢ではなくて監視者自らのお誘いだ」

 これ以上突っ込むと言葉での反撃を受けるので早足で目的地へと進んでいく。姉といいフリージアといい日を増す事に女性というものが苦手になりつつあるカインである。

「どうやら本当らしいわね」

 フリージアは視線を前方へと向ける。その視線を追った先には漆黒のローブに身を包んだ少女が立っていた。

 彼らが現在いるのは彼女に招待されたとある工場地帯。数年前には栄えていたようだが現在では廃工場ばかりが立ち並ぶ一角である。

「来てやったぞ、監視者?」

 カインは低い声を発して一歩を踏み出す。隙あらば斬りかかるつもりで。

 カイン達が入った廃工場内はすでに機械などは売り払われたか、撤去された後らしく平ら。武器を手にして駆ければすぐにでも彼女の身を切り裂く自信がカインにはある。だが、ここは敵が用意した場。迂闊な突撃はその身を危険に晒す事となるだろう。罠だと断定されている現状では特に。

「思ったよりも穢れが増えてしまってね。君達に相手をしてもらおうと思って」

 監視者は一度肩をすくめる。どこかとぼけた仕草は挑発のためなのか、心の底からこちらを馬鹿にしているのかは分からない。だが、そんな安い挑発に乗ってやるほどカインは甘くはない。

 だが仕事仲間であるフリージアは違った。

「自分でやれば? そのための監視者でしょう?」

 苛立たしげな声を発して一歩、また一歩と進んでいく。こうなった彼女を止める方法はすでにない。叩きのめすまで落ち着く事はないだろう。

「確かに穢れの数の管理は私のすべき事かな。だが、それは同時に君達がやるべき事でもある。何せ放っておけば外に出るのだからね。まあ、それはいいや。今日はじっくりと見させてもらうよ、君達の腕前を」

 その言葉を最後に監視者は赤い霧へと変わっていく。

「待ちなさい!」

 フリージアは叫ぶと共に駆けていく。カインは一度舌打ちをして彼女の背を追い掛ける。この弾丸少女には油断も隙もあったものではない。

「そう焦る事はないよ。君達にもちゃんと用意してあげるから……絶好の散り場をね。何度転生して生まれ変わろうともずっと。永遠と……ね」

 言葉を最後に消える監視者。代わりに招き入れるように開いたのは漆黒の空間だった。

「行くぞ」

「もちろん」

 カインの言葉に一つ頷くフリージア。声が耳に届いた瞬間にカインは駆ける。その後に響くのはアサルトブーツの固い音だった。

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