第七話 前編
輪廻の鎖 改訂版
― 七 前編 ―
部屋を満たしているのはどこか張り詰めた空気。軽い冗談すら許されないであろう冷え切った空気を肌で感じた真冬は一度背筋を正すと共に重い口を開く。
「現在、その……エクソシストという存在が戦っているというんだな?」
真冬は妹へと確認する。正直、エクソシストという存在がどういうものなのか分からないのだが、今この時に穢れと戦っている者がいるという事実は真冬の心をざわつかせるには十分だった。
「そろそろ戦いが始まった頃だと思う。彼らだけで対処するつもりみたいだけど……雫さんは心配らしくて現地に向かったよ」
問いに丁寧に答える春。
言葉の意味を脳内で噛み砕き理解した瞬間。真冬のざわついた心は一つの形となって落ち着いていく。
(ここでゆっくりしていて……いいのか?)
心中で自らの心へと問う。彼らはもしかすれば真冬が思う以上に強いのかもしれない。だが、いくら強いのだとしても手助けは必要ではないかと思うのである。生きるか、死ぬか。思い出すだけで震えあがるような脅威をこの身で体験した真冬は居ても立ってもいられない気持ちである。
「大丈夫。今回の穢れは低級な穢れのはずだから」
今にも立ち上がろうとする真冬を制止する妹の声。
(なぜ断定出来る?)
すかさず浮かんだのは疑問だった。夢で見て、前世の彼らを通じて体験したというのなら理解は出来る。だが、真冬は今日起きている戦いの夢は見ていない。それは春も同じはずなのだ。
真冬が眉根を寄せて苦渋の表情を浮かべていると。春は困り顔で埋めく。どうやら言葉を探しているらしい。
知識のない真冬はただ黙して妹の言葉を待つのみである。理由を、知識を得てから動く方が動きやすいのは言うまでもないだろう。
すると。
「穢れが人の負の感情から生まれるのは前に聞いたよね?」
確認するように春が問う。
確認された事項は以前、雫から聞いた事がある筈である。そう日も経っていないために覚えている。だが、その事実と穢れの強さがどう関係するのだろうか。理解するにはまだ情報が不足している。
「負の感情が集まりやすい場所は?」
春は続けて問う。
言葉を聞いた瞬間に真冬はとある可能性に思い至る。最初の戦いは人があまり立ち寄らない森。そして次は高校。負の感情が溢れるとしたら当然後者だろう。
高校生は青春を謳歌する時期であり当然楽しみも多い。だが、同時に悩む事も多い時期である。何かしらの理由で、妬み、怒り、悲しみなども感情を抱く事は頻繁にあるだろう。溢れた負の感情が霧の穢れを強くしたという事なのだろう。
「どうやら……分かったみたいだね。穢れは人が集まる場所に出現した方が強い。そして、今回彼らが招待されたのは寂れた廃工場。さして注意する事はないと思う。私達は……私達の戦いのために休息する事も大切だよ」
春は諭す様に語り掛ける。休める時に休む。それも確かに必要だろう。
そして、それと共に今だからこそ出来る事もある。現在の状況を確認する事である。真冬はおそらく夢に関わる者の中であまりにも知識が不足しているのだから。
「彼らは……一体?」
「彼らはこの地に派遣されたエクソシスト。僕達と同じで監視者に選ばれた存在だね。おそらく同じ夢を見ていると思う。僕も実際に彼らを夢の中で見ているかな。真冬は?」
問いに淡々と答えていく妹。
どうやら雫によって早くから説明を受けている春は同じ夢を見ているにしても受け止め方が全く違うようである。問われたが瞬時に出てこないのだから困ったものである。
だが、夢に登場する人物は限られている。今まで会った事もない人物がそのエクソシストの二人だという事だろう。
「修道服を着た二人か? 一度しか見ていないから顔とかは思い出せないんだけど」
「そうだね。その二人で間違いないよ。僕も顔は覚えていないかな。でも、今日雫さんが実際に会ったみたいだから……彼らは今後この件に関わってくると思う」
真冬の問いに春は一度頷くと共に補足を加える。
人数の増加。それは夢がより複雑になるという事である。特にバラバラで動いていれば情報の共有化も難しく、今後の活動に支障が出る恐れもある。
だが、浮かんだ不安よりも、強く心へと浮かんだのは一つの希望だった。
「仲間だと思っていいんだよな?」
新たな戦力の増加。それは単純に喜ばしい事である。護士一人と巫女が二人。現在のメンバーでは明らかに攻め手が不足しているのだから。
「一応足並みだけは揃えてくれるみたい。でも、巫女とエクソシストの関係は良好ではないみたいだから……最初は連携を期待しない方がいいと思う」
だが世界は真冬が思うほど単純ではないらしい。肩を落とす妹の姿は真冬の心に浮かぶ淡い希望を破壊するには十分だった。
「同じ敵と戦うにしても味方ではないか。複雑だな」
「そうだね。でも、雫さんは共闘を呼び掛けている。いつか分かってくれるよ」
溜息交じりにつぶやく真冬に妹は薄っすらと微笑んで返す。どこか無邪気であどけなさを感じさせる微笑が真冬の心へと沁みていく。心を満たしていた暗い気持ちは瞬く間に消え去り、代わりに広がったのは温かな気持ち。
「そうだな。言葉を尽くせば協力出来る。前世の春が力を貸してくれたように」
妹に倣って真冬は微笑む。
すでに今まで部屋を満たしていた重く張り詰めた空気は薄れ、代わりに広がったのはいつもの甘い雰囲気。その甘い雰囲気に乗った真冬は妹の柔らかい髪へと手を伸ばし、柔らかい黒髪を優しく撫でていく。愛おしそうに、そっと。
「分かってくれるよ……絶対に」
春は心地よさそうに瞳を閉じる。叶うのであればこのまま撫でていたい。おそらくどれだけ撫でていても飽く事などないだろう。
どれだけそうしていただろうか。時間の感覚が鈍り始めた頃。真冬は確認すべき事がある事を思い出す。
それは巫女二人が、何が出来て何が出来ないのか。それに加えてエクソシストはどんな戦いをするのかである。護士は武器を用いての攻撃手段のみしかないために想像は容易だ。
だが、巫女は明らかに人外では有り得ない力を用いているのである。雫が用いた癒しの力、春が用いる式神の力などがそれである。今後、連携するに辺り知らなければならない事は多々あるような気がしてならないのである。
「なあ、春」
「……」
「春?」
声を掛けてもまるで反応を返さない春。訝しんで顔を覗き込むと。よほど髪を撫でられたのが気持ち良かったのか転寝を開始しているご様子。
そんな妹の愛らしい姿を真冬は瞳に焼き付けてから――
「春、少しいいか」
柔らかい髪から頬へと右手を滑らせて再び声を掛ける。
このまま寝かせてあげたいが切迫した状況が迫っているのもまた事実なのである。ここで問わねば、もしかすれば戦いまで聞ける機会はないのかもしれない。心は罪悪感を伴い締め付けられるように痛む。だが、この愛しい少女を守るためにはこれくらいの痛みは容認せねばならないだろう。
「う……ん? 僕、寝てた?」
頬を優しく撫でられた事でようやく起きたようである。恥ずかしいのか頬は徐々に熱を帯びていき、触れた手には確かな熱が伝わってくる。それは確かな存在を示す温もり。真冬が守りたい温もりだった。
「ああ、寝てた。春も疲れているみたいだな」
真冬は体調を確認するために妹の表情を覗き込む。あんな夢ばかり見るのだから寝不足になるのも無理はないだろう。真冬自身もうなされて起きる事がしばしばあるためここ最近は体が重いのだから。
「ごめんね。何かあった?」
「一度確認したい事があって。まずは巫女が……というか春と雫が出来る事。そして、エクソシストがどんな手段を用いて戦うのか……かな」
眠そうな表情を引き締めた妹へと真冬は必要な事だけを伝える。真冬が知らない事は他にも多々ありそうだが、今上げた事を知りさえすれば当面は問題ないように思える。戦闘においてだけだが。
「うーん。まずは僕が出来る事は神力を用いて武器を形成する事。真冬に刀を渡す事と、自身で薙刀を扱う事かな。他には式神を用いての障壁展開、そして式神内部に込めた神力の解放による穢れの浄化だよ」
顎に手を置き思い出すように語る春。最後の浄化というのは見た事はないが式神は攻撃手段としても使用出来るらしい。それ以外は実際にこの目で見た事がある事ばかりである。春において問題はない。そう判断した真冬は一度頷いて次の問いへと移る。
「雫は?」
「雫さんは自身で鉄扇と針を形成するよ。真冬に渡すのは刀。他には二メートルを超える障壁の展開、そして癒しの力が使えるのかな?」
真冬の問いに自信なさそうに答える妹。障壁というのはおそらく見た事はないだろう。春が式神を用いて展開する障壁の強化版だと思えばだいたいの想像は出来そうである。
次の穢れは一撃を受ければそれで終わり。真冬自身が攻撃を回避する事は言うまでもないが、巫女二人の防御手段を用いて防ぐ事も必要となってくるだろう。そういう意味では一つでも多く防御の手段を把握出来た事は真冬にとっては有難かった。
それと共に。
(雫の障壁で防いで……バランスを崩した所を奇襲という選択もあるか)
得た情報を脳内で整理し、攻撃手段として盛り込んでいく。鍛錬の成果はすぐには出ないだろうが、頭の中で戦術を構築する事は今からでも間に合いそうである。咄嗟で連携出来るかどうかは分からないのだが。
「次……いいかな?」
真冬が思考を走らせていると、遠慮がちな声が耳へと届く。
おそらくエクソシストについての説明を行いたいのだろう。真冬は妹の黒い瞳を見つめて一度頷く。考える事は後でも可能だろう。
「エクソシストは僕達巫女と同じで神力を扱う。でも、力の扱い方は全く違うかな。女性は聖書を形成して……その聖書に神力を注いで奇跡を行使する。男性は自身の武器を形成して戦うかな」
「奇跡?」
春の説明に真冬は眉根を寄せる。
隣国のフェレアスが聖書を用いて教えを説いているのは真冬も知っている。縁のある物を手にして戦うのは理解出来る。だが、「奇跡の行使」というのはあまりにも抽象的過ぎはしないかと思うのである。
「穢れを討ち抜く光輝く矢の射出、武器の形成。そして、奇跡と呼ばれる一番の所以は自らが信じる天の遣いを召喚出来る事」
どこか固い声で返す妹。
理由は最後の一つなのだろう。最初の二つは巫女が扱う力についての説明を受け、それを実感した者ならば許容出来る話ではある。同じ力を原点としているのだから似てしまうのも理解は出来よう。
だが、最後の一つ。
自らが信じる天の遣いを召喚出来る、というのはすんなりと頭に入る事はなかった。妹が語る事を疑う気はない。だが、おそらくこの目で見るまでは信じる事は不可能だろう。
天の遣いという者がどこまでの範囲なのかは分からないが、仮に話だけは聞く天使だとしても易々と容認は出来そうになかった。
「やっぱり信じられないよね。天使が存在するかどうかも疑問なのに……それを召喚するというんだからね。でも……フェレアスには召喚出来る人が二人いるらしいよ」
春はぎこちなく笑う。
召喚出来るのというのならやはり存在するというのだろうか。だが、それが本当に天使であるのかどうかを確認したい真冬である。天使の姿をした何か、と言われた方がよほどすっきりするのである。
唸りながら思考を走らせていく真冬。だが、とある疑問が頭を掠めた瞬間に脳内がすっきりしていく。
(正体なんて……どうでもいいんだよな?)
おそらくフェレアスの住民が聞けば顔を真っ赤にして叫び出しそうな事。
だが、常月に住む真冬達にとっては、天使は存在しようが、しまいが関係ないのである。そもそも両国では宗教観そのものが違うのだから。話に聞く天使と同等の力を持つ存在を召喚して使役出来る力をエクソシストが持っている。そう思えばいいだけなのである。単純に一つの戦力とだけ考えればいいのである。
「それほどの力が扱えるとだけ覚えておくよ。この地に来た……エクソシストは?」
扱える者が二人しかいないと言うのであれば期待は出来ない。だが、それほどの力が扱えるのであれは頼もしい限りである。他人に頼るのもどうかとは思うが、今まで聞いた話の中では一番強力ではなかろうか。
「使えるよ。だからこの地に来たんだからね」
春は表情を引き締めて答える。真冬は言葉を受け取って一度だけ頷く。そして、今も戦っているであろう二人へと想いを巡らせた。
*
「どんどん行くよ、カイン!」
強気な言葉を発し、宙へと浮かんだ光輝く矢を射出したのはフリージア。
放たれた四筋の輝きは漆黒の空間を一秒の間もなく切り裂いていく。フリージアが狙うのは上空に飛翔する穢れ。左右へと伸びる羽に、鋭い牙が特徴的なコウモリに似た穢れである。
「飛ばし過ぎだ! まだいるのだぞ」
カインは固い床を疾走しながら背後へと叫ぶ。
空を埋めるコウモリはざっと二十匹。ものの数分で半数まで減らしたが、このままのペースではもって二十分が限界だろう。カインでも対応は出来るがさすがに空を飛ぶ相手に対して自身の唯一の刃である大剣では不利と言わざるを得ないだろう。
「こんな雑魚……さっさと片付ける!」
返ってきたのは相変わらずの言葉。彼女がこちらの意見を聞いた事は今までにない。基本は力押し、それがフリージアである。
(言って聞きはしないか)
四筋の光が穢れを霧へと霧散させた事を視認したカインは心中でつぶやき上空へと跳躍。相棒が手を休めないというのであれば、要望通り神力が尽きる前に片をつければいいだけなのだから。
そして、これがエクソシストの戦い方。守りの力が弱い代わりに得たのは絶対的な破壊の力。短期決戦を挑むには最も適した力なのだから。
「フリージア!」
カインは一度相棒の名を呼ぶ。声に応えてフリージアが用意したのは簡易的な障壁。巫女が展開出来る障壁とは強度も、持続時間も心許ない薄い壁。
だが、足場にするだけならば何ら問題はない。
カインが障壁を踏み込む度にガラスが割れるような音が響き渡る。一度、踏めば割れてしまう脆い障壁。だが、同時に相棒が用意してくれた唯一の道。
信じるにはそれだけで十分だった。
ガラスが割れる音を聴覚で捉えながらカインは空へと上がる。
――高く、高く。まるで飛翔するかのように。
現在の高さは目測二十メートル。落下すれば人外の力を持っていようとも無事では済まない高さ。それでもカインは怯まない。
この程度で怯むようでは生き残る事など不可能なのだから。
一度、鼓膜を震わせたのは不快な音。それは穢れが放った超音波だった。音で怯ませて襲うつもりなのだろう。すでにカインの左右にはそれぞれ二体ずつ大きく口を開き、鋭利な牙を煌めかせる穢れがいた。
「その程度では怯まん」
耳を覆いたくなるような爆音を諸共せずにカインは意志を言葉にする。想いを刃へと込めるために。
――放ったのは全てを破壊する剛剣。
左回りに金色の大剣が走り抜ける度に。穢れの牙を、羽を、骨を破壊し尽し霧へと霧散させていく。
一回転を終え自由落下に移った時には視界の全てを鮮血に似た霧が埋めていたがカインはそれでも臆さない。視界不良を良い事に、いつどこから敵が襲ってくるのかも分からないというのに。
臆さぬ理由はただ一つ。信じる相棒がいるからである。
霧を吹き飛ばしたのは四筋の光。
視界が晴れた先にいたのは串刺しにされた穢れだった。
(残り五匹といった所か)
カインは空中で態勢を整えながら残りの穢れを睨む。この程度の数であればもう一度足場さえ形成してもらえればカインだけで事足りる。勝利は目前だと言えるだろう。
「狙いは私なのね」
そんな時に聞こえたのはフリージアの声。いつまでも足場を形成しない事が気にはなっていたがどうやら下では新たな穢れが出現しているらしい。
素早く視線を向けると。まるで床を溶かす様に出現したのは霧で作られた二本の腕。腕と言っても高さはざっと二メートルはあり、潰されれば無事では済まないだろう。
戦力を分断してからの奇襲。化け物にしては上等な手段だと言えるだろうか。
「カイン……腕は任せた」
フリージアはいつもの不敵な笑顔を浮かべて空へと飛ぶ穢れを睨む。まるで視界に入っていないかのように振り上げられた腕を見ないフリージア。
その姿に腕の穢れは憤ったのかさらに勢いを増しているかのように見える。
空間を駆け抜けたのは空へと飛ぶ穢れを狙い撃つ五本の矢。
そして、金色に輝く二本の大剣だった。
矢はコウモリに似た穢れを貫き、空から降り注いだ大剣はフリージアを狙う腕を地へと縫い付ける。それが戦いの終極だった。




