見ることと、見えていることは違いました。
アルベルトの池を直してから、五日が経った。
「カイト」
「ん?」
「今日も来てる」
「誰が?」
「アルベルトのおじさん」
「……また?」
小屋の外を見る。
いた。
上等な服。
金色の髪。
その隣には従者。
そして――なぜか桶。
「何してるんですか?」
「魚を持ってきた」
「見れば分かります」
「見てくれ」
「俺、魚の医者じゃないんですけど」
「いいから見ろ」
カイトはため息をつきながら桶を覗いた。
アルベルトの池にいた《紅白魚》だ。
赤と白の模様が美しい。
見たところ元気そうだ。
「特に問題なさそうですけど」
「そうではない」
「じゃあ何です?」
アルベルトがしゃがみ込む。
「この個体だけ、最近よく私のところへ来る」
「……はい」
「餌を入れると、一番最初に来る」
「はい」
「赤も濃くなった気がする」
「…………」
「尾びれも他より大きくないか?」
「…………」
「どう思う?」
カイトはアルベルトを見る。
「ハマりましたね」
「何にだ」
「魚に」
「ハマってなどいない」
「その魚一匹のために、朝から桶持って歩いてきたんですよね?」
「健康状態の確認だ」
「昨日は何回見ました?」
「朝、昼、夕方――」
アルベルトが止まった。
「三回!」
ミアが笑う。
「アルベルトおじさん、魚好きじゃん!」
「おじさんと呼ぶな」
「カイトもおじさんだよ」
「俺を巻き込むな」
カイトは笑いながら、もう一度《紅白魚》を見る。
確かに赤は綺麗だ。
「そうだ」
ふと思った。
「せっかくだし」
カイトは目を細める。
《選別眼》。
いつもの感覚。
魚を見ると、頭の奥で何かが切り替わる。
クロなら。
《ミナ》
《性別:♂》
《黒色素:強》
《特性:微弱魔光》
そんな情報が浮かぶ。
ところが――。
《対象外》
「…………え?」
「どうした?」
「ちょっと待ってください」
もう一度。
《対象外》
「マジか」
「何?」
ミアが覗き込んでくる。
「選別眼が使えない」
「魚なのに?」
「ああ」
「壊れた?」
「縁起でもないこと言うな」
カイトは慌てて小屋のクロを見る。
《選別眼》。
《ミナ》
系統:黒系統
性別:♂
状態:良好
特徴:黒色素・強
特性:微弱魔光
希少度:E
「……出る」
「じゃあ壊れてないね」
「ああ」
もう一度《紅白魚》を見る。
《対象外》
カイトは腕を組んだ。
「なるほど」
「何がだ?」
アルベルトには《選別眼》のことを詳しく説明していない。
「俺の能力」
カイトはクロを指差した。
「どうやら、ミナにしか使えないみたいです」
「ミナだけ?」
ミアが目を丸くする。
「ああ」
「…………」
「なんだよ」
「すっごく使いにくい魔法だね」
「固有能力な」
「だって魚いっぱいいるのに、ミナだけでしょ?」
「そうだけど」
「役に立たないじゃん」
「お前にだけは言われたくない」
「あっ!」
ミアが頬を膨らませる。
「私のグリーンウォーターは役に立ったもん!」
「俺の選別眼も役に立ってる」
「ミナにだけ!」
「それで十分だ!」
アルベルトが呆れた顔で二人を見る。
「よく分からんが」
紅白魚を見る。
「結局、この魚のことは分からないのか?」
「能力では」
「では?」
「普通に見ればいいでしょう」
カイトはしゃがんだ。
魚を見る。
泳ぎ方。
ヒレ。
体。
餌への反応。
「元気そうです」
「それだけか?」
「それだけです」
「赤は?」
「綺麗ですね」
「尾びれは?」
「綺麗ですね」
「他の個体より大きくないか?」
「知らないですよ。他の個体連れてきてないんだから」
「…………」
ミアが吹き出した。
「選別眼ないと普通なんだね、カイト」
「うるさい」
でも。
カイトは少し懐かしい気持ちになった。
前の世界では。
こんな表示などなかった。
魚を見て。
昨日と比べて。
気になるところがあれば調べて。
分からなければ、また明日見る。
それだけだった。
「まあ」
カイトはアルベルトに言った。
「毎日見てあげてください」
「それで分かるのか?」
「分からないこともあります」
「…………」
「でも、昨日との違いには気づけるようになりますよ」
アルベルトは桶の魚を見る。
「昨日との違い、か」
「それが結構大事なんです」
◇
妙なことが起き始めたのは、それからだった。
「ここか?」
知らない男が小屋へやってきた。
「何がです?」
「光るミナがいると聞いた」
「誰から?」
「アルベルト様だ」
「…………」
翌日。
今度は親子が来た。
「光る魚、見せてもらえますか?」
「見るだけなら」
さらに翌日。
「黒いミナはどれだ?」
「これです」
「本当に黒いな……」
人が来る。
一人。
二人。
本当に少しずつ。
まだ誰も買わない。
そもそも売れる魚もほとんどいない。
それでも。
小屋の前で立ち止まる人が増えた。
「カイト」
「ん?」
「お店みたい」
「まだ店じゃない」
「でもみんな魚見てるよ」
「見るだけだからな」
「それでも」
ミアが笑う。
「メダカ屋さんじゃん」
「…………」
カイトは小屋を見る。
ボロボロだ。
看板すらない。
立派な水槽もない。
あるのは桶と小さな魚だけ。
それでも。
「……そうかもな」
◇
その日の夕方。
最後の客は、小さな男の子だった。
「おじさん」
「お兄さんな」
「この黒いのがすごいの?」
「訂正しないんだな」
「?」
「……なんでもない」
男の子がクロを見る。
「こっちは?」
隣の容器。
どこにでもいる野生型のミナだった。
「それは普通のミナだよ」
「普通?」
「ああ」
派手な光はない。
真っ黒でもない。
特別なヒレもない。
《選別眼》。
《ミナ》
系統:野生型
性別:♂
状態:良好
特徴:なし
特性:なし
希少度:F
普通。
能力までそう言っている。
男の子はしばらくその魚を見た。
「でも」
「ん?」
「俺、こっちの方が好き」
カイトは男の子を見る。
「なんで?」
「顔」
「顔?」
「なんかかわいい」
「…………」
もう一度魚を見る。
顔。
そんな項目は《選別眼》にはない。
「そうか」
「うん」
「じゃあ、お前にとってはこいつが一番だな」
「うん!」
母親に呼ばれ、男の子は帰っていった。
カイトはしばらく野生型のミナを見ていた。
《希少度:F》
「……余計なお世話だな」
表示を消した。
「何が?」
「なんでもない」
価値を決めるために便利な能力。
でも。
好きかどうかまで、能力に決めてもらう必要はない。
◇
「カイト!」
夕方。
小屋の片づけをしていると、ミアに呼ばれた。
「今度は何だ?」
「来て!」
「エサ入れすぎた?」
「違う!」
クロとシロから生まれたF1。
百匹近い稚魚が泳ぐ容器。
ミアが指を差す。
「この子」
「どれ?」
「そこ!」
「分からん」
「こっち!」
カイトが顔を近づける。
「これ?」
「違う!」
「じゃあどれだよ」
「もう!」
ミアが指先で追いかける。
「これ!」
一匹。
見たところ、他とほとんど変わらない。
「何が?」
「背中」
「背中?」
「昨日と違う」
カイトが目を凝らす。
「…………あ」
ほんの少し。
本当にわずかに。
光っている。
「これ……」
「昨日は光ってなかった」
「本当か?」
「うん」
「絶対?」
「絶対」
「…………」
カイトは《選別眼》を発動した。
《ミナ》
世代:F1
父:クロ
母:シロ
性別:未判定
状態:良好
特徴:黒色素・中
特性:微弱魔光――発現
希少度:E
「…………出た」
「何が?」
「魔光」
「クロと同じ?」
「ああ」
ミアの顔が明るくなる。
「やった!」
「待て」
「なんで!」
「まだ一匹だ」
遺伝した。
それは間違いない。
だが。
一匹だけなのか。
他にも出るのか。
成長すると強くなるのか。
次の世代にも残るのか。
分からないことだらけだ。
「これからだ」
「またそれ?」
「これが大事なんだよ」
ミアが頬を膨らませる。
そして。
「でも」
「ん?」
「私が見つけた」
「…………」
「カイトより先に」
「たまたまだ」
「選別眼持ってるのに?」
「ずっと使ってるわけじゃないからな」
「私、何も持ってないよ?」
「グリーンウォーター持ってるだろ」
「あ」
二人で笑った。
カイトはもう一度、その一匹を見る。
能力を使えば。
性別も。
状態も。
特徴も。
特性も分かる。
便利だ。
この世界に来て、この力に何度も助けられた。
でも。
今日。
アルベルトは能力なんてなくても、一匹の魚を毎日見るようになった。
小さな男の子は《希少度F》の魚を、一番好きだと言った。
そしてミアは。
百匹の中から。
昨日とは違う一匹を見つけた。
「…………」
カイトは《選別眼》を消した。
「どうしたの?」
「いや」
魚を見る。
今度は自分の目だけで。
「俺もちゃんと見ないとな」
「毎日見てるじゃん」
「そういう意味じゃないんだよ」
「?」
「まあ、そのうち分かる」
「また難しいやつ?」
「たぶん」
夕日が水面に落ちる。
小さな背中が。
ほんの一瞬だけ光った。
「光った!」
「ああ」
「見た?」
「見た」
今度は。
選別眼を使わなくても。
二人とも、「ちゃんと」見ていた。




