最初に売れたのは、普通の一匹でした。
翌朝。
「カイト!」
「朝からうるさい」
「光ってる!」
「何が?」
「昨日の子!」
眠気が一瞬で飛んだ。
カイトは容器を覗き込む。
昨日、ミアが見つけたF1。
クロから《微弱魔光》を受け継いだ一匹だ。
朝日が水面に差し込む。
魚が向きを変えた。
キラッ。
「おお……」
「昨日より光ってない?」
「気のせいかもしれない」
「選別眼!」
「お前が命令するな」
「早く!」
「はいはい」
カイトは《選別眼》を発動する。
《ミナ》
世代:F1
父:クロ
母:シロ
性別:未判定
状態:良好
特徴:黒色素・中
特性:微弱魔光
希少度:E
「変わってない」
「えー」
「そんな毎日変わるかよ」
「でも光ってるよ?」
「ああ」
カイトは能力を解除した。
「それでいい」
「いいの?」
「表示が変わらなくても、魚は育ってる」
昨日より少し大きい。
泳ぎ方も力強くなった気がする。
数字には出ない。
でも毎日見ていれば分かる変化もある。
「こいつは残す」
「親にする?」
「候補だな」
「名前は?」
「つけない」
「なんで!」
「増えるたびに名前つけてたら、そのうち百個考えることになるぞ」
「私できるよ」
「絶対途中から一号、二号になるだろ」
「ならない!」
たぶんなる。
カイトは笑った。
◇
昼過ぎ。
「こんにちは!」
聞き覚えのある声がした。
小屋の入口に、小さな男の子が立っていた。
昨日来た子だ。
今日は母親も一緒だった。
「あ」
ミアが気づく。
「昨日の子!」
「また見に来たのか?」
カイトが聞くと、男の子は首を振った。
「今日は買いに来た」
「…………え?」
「ミナ」
カイトとミアが顔を見合わせる。
「買う?」
「うん」
男の子は小さな巾着を握っていた。
「昨日の魚が欲しい」
「昨日の……」
カイトは思い出した。
クロではない。
魔光のF1でもない。
男の子が「こっちの方が好き」と言った魚。
どこにでもいる野生型。
「これ?」
「うん!」
男の子の顔が明るくなる。
「この子!」
「…………」
カイトは念のため《選別眼》を使った。
《ミナ》
系統:野生型
性別:♂
状態:良好
特徴:なし
特性:なし
希少度:F
昨日と同じ。
何もない。
能力だけ見れば。
「いくら?」
男の子が聞く。
「…………」
困った。
値段を決めていない。
アルベルトから銀貨十枚の前金はもらった。
だが、あれは普通の商売とは違う。
この一匹に。
いくらつける?
「銅貨一枚?」
ミアが言う。
「お前、前も勝手に値段つけてたな」
「だって魚屋さんでは銅貨一枚にもならないんでしょ?」
「まあな」
男の子が巾着を開く。
小さな銅貨が三枚。
「これしかない」
母親が申し訳なさそうに言った。
「この子、お手伝いして貯めたんです」
「…………」
三枚。
子供にとっては、大きなお金なのかもしれない。
カイトは野生型のミナを見る。
前の世界なら。
値段の高いメダカを見たことはいくらでもある。
数千円。
数万円。
もっと高いものだってある。
珍しい表現。
新しい系統。
美しい個体。
でも。
「なんで、この子がいいんだ?」
カイトは聞いた。
「黒い方じゃなくて?」
「うん」
「光る方でもなく?」
「うん」
「どうして?」
男の子は少し考えた。
「顔」
「やっぱり顔か」
「あと」
男の子は容器に近づく。
「昨日、僕がこっち行くと、こいつもこっち来た」
「…………」
「今日も来た」
男の子が右へ動く。
偶然だろう。
ミナも同じ方向へ泳ぐ。
「ほら!」
嬉しそうに笑う。
「僕のこと覚えてる」
たぶん。
覚えてはいない。
餌をもらえると思って、人影に寄っているだけかもしれない。
カイトには分かっていた。
でも。
「そうかもな」
それでいいと思った。
「じゃあ銅貨一枚」
「いいの!?」
「ああ」
男の子が一枚差し出す。
カイトは受け取った。
小さな銅貨。
銀貨十枚より、ずっと軽い。
なのに。
「…………」
なぜか。
アルベルトから前金を受け取った時より、少し緊張した。
「飼い方、分かる?」
「分かんない」
「だろうな」
カイトはしゃがみ、男の子と目線を合わせた。
「じゃあ約束」
「なに?」
「毎日見ること」
「見る?」
「ああ」
「朝でも夜でもいい。ちゃんと泳いでるか。餌を食べてるか。いつもと違わないか」
「うん」
「水を全部いきなり替えない」
「うん」
「餌はいっぱい入れればいいってもんじゃない」
「うん」
「分からなくなったら――」
カイトは小屋を指差した。
「ここに来い」
「うん!」
男の子は大きく頷いた。
「大事にする!」
その言葉に。
カイトは一瞬だけ、返事が遅れた。
「……ああ」
魚を容器へ移す。
男の子は両手で大事そうに抱えた。
「ありがとう!」
母親と一緒に帰っていく。
何度も容器を覗きながら。
その姿が見えなくなるまで。
カイトは見送った。
◇
「売れたね」
ミアが言った。
「ああ」
「初めて?」
「アルベルトのは前金だからな」
「じゃあ初めてだ」
「ああ」
カイトは手のひらを開く。
銅貨一枚。
「安いね」
「安いな」
「アルベルトおじさん、銀貨十枚だったのに」
「そうだな」
「嬉しくない?」
カイトは銅貨を見る。
「いや」
笑った。
「なんか、こっちの方が嬉しい」
「なんで?」
「分からん」
「また分からない」
「俺だって分からないことくらいある」
ただ。
少しだけ思い出していた。
前の世界。
最初にメダカを買った日のこと。
高級な品種じゃなかった。
血統なんて知らなかった。
オスとメスの違いすら、よく分かっていなかった。
ただ。
家に帰る途中。
何度も袋を覗いた。
ちゃんと泳いでいるか。
大丈夫か。
それだけが気になった。
あの男の子も。
今頃、同じように容器を覗いているのかもしれない。
「…………」
カイトは銅貨を握った。
「ミア」
「なに?」
「看板作るぞ」
「看板?」
「ああ」
「何の?」
「決まってるだろ」
カイトはボロボロの小屋を見る。
桶が並んでいる。
クロが泳いでいる。
F1たちが育っている。
緑色のグリーンウォーター。
まだ何も完成していない。
店と呼ぶには、あまりにもみすぼらしい。
それでも。
「メダカ屋だ」
ミアの顔が明るくなる。
「やっと!?」
「やっと」
「名前は?」
「…………」
考えていなかった。
「カイトメダカ!」
「ダサい」
「じゃあミアメダカ!」
「なんでお前の店になるんだ」
「じゃあ――」
ミアが何か言おうとして。
カイトが止めた。
「店の名前は、あとで考える」
「えー!」
「先に看板」
「名前ないのに?」
「…………」
「書けないじゃん」
「…………確かに」
ミアが大笑いした。
カイトも笑った。
異世界に来て。
剣も持たず。
魔法も使えず。
最初に見つけたのは、銅貨一枚にもならない小魚だった。
その魚が。
今日初めて――。
誰かの「欲しい」になった。
値段は銅貨一枚。
特性なし。
希少度F。
それでも。
カイトにとっては。
忘れられない、最初の一匹になった。
――数日後。
「カイト」
「ん?」
「お客さん」
「また?」
「うん」
「誰?」
ミアは小屋の外を見た。
「女の人」
「魚を見に来たのか?」
「違うみたい」
「じゃあ何しに?」
ミアが首を傾げる。
「王立魔法研究院って言ってる」
「…………何それ」
小屋の入口。
長い銀髪の女性が立っていた。
彼女はクロを見るでもなく。
稚魚を見るでもなく。
真っすぐ――。
緑色の水を見ていた。
「この水を作ったのは」
女性が言った。
「誰ですか?」
ミアの笑顔が消えた。




