百匹生まれて、一匹だけ違いました。
「今日からこれは――グリーンウォーターだ」
「ぐりーんうぉーたー……」
ミアが緑色の水を見つめる。
「なんかカッコいい!」
「汚水よりはな」
「じゃあ私、《グリーンウォーター》が使えるってこと?」
「まあ……そうなるな」
ミアの顔が少し嬉しそうになる。
学校では役立たずと言われていた魔法。
それに新しい名前がついただけ。
たったそれだけなのに。
「グリーンウォーター……」
ミアはもう一度、小さく呟いた。
カイトはその横顔を見てから、桶へ視線を戻した。
問題はここからだ。
《生命活性:SSS》
《希少度:LEGEND》
表示だけなら、とんでもない水だ。
しかし。
「いきなり信用するのも危ないな」
「伝説なんでしょ?」
「だからだよ」
「?」
「魚を飼うのに、すごい水なら何でもいいってわけじゃない」
カイトは緑色の水を指さした。
「水が良くても、入れすぎたらどうなるか分からない。季節や魚の大きさで合う環境も違うかもしれない」
「難しい……」
「だから試す」
「また?」
「また」
「カイト、実験好きだね」
「メダカやってると、だいたいこうなる」
「ふーん」
ミアにはまだ分からないだろう。
カイト自身も前の世界で何度も経験した。
誰かが「これがいい」と言っていた。
だから同じことをやってみた。
でも、自分の環境ではうまくいかない。
逆もある。
生き物に絶対はない。
だから見る。
試す。
そして、また見る。
「それより」
カイトは立ち上がった。
「そろそろクロの相手を入れるか」
「シロ!」
「その名前で決定なの?」
「もう決めた」
「俺の魚なんだけどな……」
「クロのお嫁さんだからシロ」
「黒っぽいけどな」
「シロ!」
「……はいはい」
こうして、クロの相手のメスはシロになった。
◇
数日後。
「カイトー!」
朝。
小屋の外からミアの声が響いた。
「起きて! 大変!」
「うるさ……」
「シロが変!」
「何!?」
カイトは飛び起きた。
魚の異変。
その言葉だけで一瞬で目が覚める。
「どうした!?」
「お腹になんかついてる!」
「腹?」
容器を覗く。
「…………」
「病気?」
「いや」
カイトの口元が緩んだ。
「卵だ」
「たまご?」
「ああ」
シロの腹部に、小さな透明の粒がいくつもついている。
「これが?」
「そう」
「ちっちゃ!」
「メダカだからな」
「ここから赤ちゃん出てくるの?」
「ちゃんと育てばな」
ミアが顔を近づける。
「触っていい?」
「ダメ」
「なんで?」
「今は見るだけ」
「ケチ」
「魚のためだ」
カイトは産みつけられた卵を確認した。
状態は悪くない。
「よし」
「何するの?」
「親と分ける」
「一緒じゃダメなの?」
「食べられることがある」
「えっ!?」
ミアがクロを見る。
「自分の子供なのに!?」
「魚にその理屈を求めるな」
「クロ最低!」
「クロは悪くない」
カイトは笑いながら、卵を別の小さな容器へ移した。
「ここで育てる」
「水は?」
ミアが嬉しそうに手を上げる。
「グリーンウォーター!」
「待て待て」
「なんで!」
「最初から全部それでやらない」
「伝説なのに?」
「伝説でも」
カイトは容器を二つ用意した。
「普通の水と、グリーンウォーターを少し使った水」
「また比べるの?」
「そう」
「カイトって慎重だね」
「生き物だからな」
その一言に、ミアは何も言わなかった。
◇
そして数日。
「まだ?」
「まだ」
さらに数日。
「まだ?」
「もうちょい」
「本当に生まれるの?」
「たぶん」
「たぶん!?」
「生き物に絶対はないって言っただろ」
そして――。
ある朝。
「…………お」
カイトが水面を覗き込んだ。
小さい。
あまりにも小さい。
糸のような体が、水面近くを泳いでいる。
「ミア」
「なに?」
「生まれたぞ」
「えっ!?」
ミアが走ってくる。
「どこ!?」
「そこ」
「どこ!?」
「そこだって」
「見えない!」
「よく見ろ」
ミアが容器へ顔を近づける。
「…………」
数秒。
「あっ!」
「いた?」
「いた!」
ミアの顔が一気に明るくなる。
「ちっちゃ!!」
「だからメダカだって」
「かわいい!」
一匹。
二匹。
三匹。
次々と孵化していく。
ミアはその場から離れなくなった。
「ねえ、これ全部クロとシロの子?」
「そうだ」
「じゃあ全部黒くなる?」
「それは分からない」
「なんで?」
「そこが面白いんだよ」
カイトは笑った。
「親が持ってる特徴が、子供にどう出るか」
「クロみたいに光る?」
「それも分からない」
「じゃあ何が出るの?」
「分からない」
「分からないばっかり!」
「だから育てるんだよ」
「…………」
ミアが稚魚を見る。
「ちょっと面白いかも」
「だろ?」
「ちょっとだけね」
「はいはい」
◇
さらに日が過ぎた。
稚魚は増えた。
三十。
五十。
八十。
そして――。
「百超えたな」
「そんなにいる?」
「いる」
ミアには、まだ全部同じに見えているらしい。
「どれが一番いいの?」
「まだ早い」
「選別眼で見ればいいじゃん」
「見られるけど」
カイトは首を振った。
「能力だけで決めたくない」
「なんで?」
「自分の目でも見たいから」
「便利なのに?」
「便利だからこそだよ」
選別眼は確かに強力だ。
だが、それだけに頼ったら。
自分はブリーダーではなく、表示された答えを選ぶだけの人間になる。
「魚は数字だけじゃない」
「また難しいこと言ってる」
「そのうち分かるよ」
カイトは一匹ずつ見る。
体型。
泳ぎ。
色。
ヒレ。
まだ小さい。
まだ何も分からない。
ほとんどが普通。
「…………」
一匹。
また一匹。
さらに一匹。
そして。
「ん?」
カイトの目が止まった。
グリーンウォーターを少量使った方の容器。
その中にいる一匹。
「どうしたの?」
「いや……」
まだ小さい。
色も普通。
クロほど黒くない。
背中も光っていない。
見た目だけなら、何の変哲もない稚魚だ。
しかし――。
「こいつ」
カイトは《選別眼》を使った。
《ミナ》
世代:F1
父:クロ
母:シロ
状態:良好
特徴:未発現
特性:???
希少度:判定不能
「…………は?」
初めて見る表示だった。
「カイト?」
「ちょっと待て」
もう一度見る。
変わらない。
《特性:???》
「何それ?」
「俺にも分からない」
「選別眼なのに?」
「ああ」
カイトの心臓が少し速くなる。
能力にも分からない。
そんな個体がいる。
「…………面白い」
「またその顔してる」
「どんな顔?」
「悪い顔」
「失礼だな」
カイトは笑った。
そして、その小さな稚魚を見つめる。
まだ何者でもない。
ただの小魚。
この世界では、銅貨一枚にもならないミナ。
だけど。
「ミア」
「なに?」
「こいつ、覚えとけ」
「なんで?」
カイトは静かに答えた。
「たぶん――」
その瞬間。
小さな稚魚の背中に。
ほんの一瞬。
青白い光が走った。
「…………光った?」
ミアが目を見開く。
カイトは笑った。
「始まったかもしれない」
「何が?」
「俺にもまだ分からない」
百匹生まれた。
九十九匹は、今のところ普通。
そして一匹だけ――。
誰にも分からない何かを持っていた。




