百匹いたので、百匹全部見ました。
「魚じゃなくて、おじさんの」
「…………おじさん?」
「うん」
「俺、三十二なんだけど」
「おじさんじゃん」
「…………」
異世界に転生して三日目。
カイトは初めて、元の世界に帰りたいと思った。
◇
「で、おじさんは何してるの?」
「カイトだ」
「知ってる」
「じゃあカイトって呼べ」
「カイトおじさん」
「悪化してるだろ」
少女――ミアは楽しそうに笑った。
どうやら近所に住んでいるらしい。
十二歳。
本人いわく、この辺りのことなら何でも知っている。
「それで?」
ミアが木桶を覗き込む。
「これを育てるの?」
「ああ」
「食べるの?」
「食べない」
「売るの?」
「いずれな」
「ミナを?」
「メダカな」
「ミナ」
「メダカ」
「ミナ」
「…………」
カイトは諦めた。
「まあいい」
木桶の中ではクロが泳いでいる。
昨日、川で見つけた黒いオス。
問題は――。
「相手がいないんだよな」
「相手?」
「メス」
「女の子?」
「魚のな」
「ああ」
ミアは少し考えたあと、
「捕ってくればいいじゃん」
簡単に言った。
「そうする」
「じゃあ行こう」
「なんでお前も来るんだよ」
「暇だから」
「俺も昔はそうだったよ」
「?」
「なんでもない」
◇
二人は川へ向かった。
クロを捕まえた場所だ。
「この辺、ミナならいっぱいいるよ」
「みたいだな」
浅瀬を見ると、今日も小さな魚が群れている。
十匹どころではない。
ざっと見ただけでも数十匹。
少し上流まで行けば、もっといる。
カイトはしゃがみ込んだ。
ミアも隣にしゃがむ。
「どれ捕るの?」
「メス」
「だから、どれ?」
「今見る」
「見る?」
カイトは《選別眼》を使った。
《ミナ》
性別:♂
状態:良好
特徴:なし
《ミナ》
性別:♀
状態:良好
特徴:なし
《ミナ》
性別:♂
状態:普通
特徴:なし
次々と情報が浮かぶ。
「これ便利だな……」
「何が?」
「いや、こっちの話」
だがカイトは、すぐには網を入れなかった。
「これも違う」
「それ女の子じゃないの?」
「メスだけどな」
「じゃあそれでいいじゃん」
「よくない」
「なんで?」
「せっかくなら、いい個体を選びたい」
「いい個体?」
ミアには意味が分からないらしい。
当然だ。
この世界ではミナは全部、
――同じ小魚。
そう思われている。
「例えば」
カイトは群れを指さした。
「あれと、あれ」
「うん」
「違うだろ?」
「同じじゃん」
「よく見てみろ」
ミアが目を細める。
「…………」
「どう?」
「同じ」
「じゃあ、あっち」
「同じ」
「その隣」
「同じ」
「…………」
カイトはため息をついた。
「お前、全然見てないだろ」
「見てるよ!」
ミアが頬を膨らませる。
「全部同じ魚じゃん」
「違うんだよ」
カイトは一匹を指さした。
「あいつは少し体が太い」
「……そう?」
「こっちは背中がちょっと黒い」
「分かんない」
「そっちはヒレの形がいい」
「もっと分かんない」
カイトは笑った。
「最初はそんなもんだ」
自分もそうだった。
メダカを飼い始めた頃は、全部同じに見えていた。
それが毎日見ているうちに、少しずつ違いが見えるようになった。
「同じ親から生まれても、一匹ずつ違う」
「ふーん」
「その中から、自分が残したい特徴を持ってるやつを選ぶ」
「それが選別?」
カイトがミアを見る。
「よく分かったな」
「今言ってたじゃん」
「そうだっけ」
「おじさん、もうボケてるの?」
「カイトだ」
「カイトおじさん」
「…………」
◇
それから一時間。
「まだ?」
「まだ」
「もう百匹くらい見てない?」
「それくらいかな」
「…………」
ミアが呆れた顔をする。
「たかが小魚でしょ?」
カイトの手が止まった。
「たかが、か」
「?」
「俺も最初はそう思ってた」
水面を見る。
「でも、百匹いたら百匹全部見る」
「なんで?」
「一匹いるかもしれないから」
「何が?」
「他とは違うやつが」
カイトは笑った。
「その一匹を見逃したくない」
ミアはしばらくカイトを見ていた。
「変なの」
「褒め言葉として受け取っとく」
そして――。
「……いた」
カイトの目が止まった。
一匹のメス。
《ミナ》
系統:野生型
性別:♀
状態:良好
特徴:黒色素・中
体型:良好
特性:なし
希少度:F
「こいつにしよう」
「今までのと何が違うの?」
「クロと組ませるなら、こっちの方が面白そうだ」
「ふーん」
網を入れる。
今度はそれほど苦労せず捕まえられた。
「よし」
木桶へ移す。
ミアが覗き込む。
「名前は?」
「まだない」
「じゃあシロ」
「黒っぽいのに?」
「クロのお嫁さんだからシロ」
「お前も大概だな」
「おじさんに言われたくない」
「カイトだ」
◇
小屋へ戻る。
クロとメスをすぐ同じ容器に入れることはせず、カイトはそれぞれの状態を確認した。
「意外とちゃんとしてるんだね」
「意外とは余計だ」
ミアが木桶の横に座る。
「これで赤ちゃんできるの?」
「うまくいけばな」
「何匹くらい?」
「分からない」
「十匹?」
「もっと増える」
「二十?」
「もっと」
「五十?」
「条件が良ければ、それ以上」
「そんなに!?」
初めてミアの目が輝いた。
「じゃあ、この辺全部ミナだらけになるじゃん!」
「だから容器が必要なんだよ……」
カイトは小屋の周りを見る。
また働かなければならない。
容器。
エサ。
住む場所の整備。
やることはいくらでもある。
そのとき。
ミアが言った。
「水なら私が出せるよ」
「水?」
「うん」
ミアが立ち上がる。
木桶へ手を向けた。
「ちょっと待て。何する気だ?」
「魔法」
「お前、魔法使えるの?」
「二つだけ」
ミアが少しだけ得意そうな顔をした。
「《ウォーター》」
手のひらから水が流れ出す。
「おお!」
透明な水。
普通の水だ。
「便利じゃん!」
「…………普通だよ」
「いやいや、メダカ飼うならめちゃくちゃ便利だぞ」
ミアがきょとんとする。
「こんなの誰でも使えるよ?」
「俺は使えない」
「おじさん魔法使えないの?」
「今のところな」
「かわいそう」
「腹立つな、お前」
ミアが笑う。
「もう一個もあるよ」
「へえ。どんな魔法?」
その瞬間。
ミアの表情が少しだけ曇った。
「…………」
「どうした?」
「別に」
「何だよ」
「使ってもいいけど……笑わない?」
「笑わないよ」
「絶対?」
「絶対」
ミアは少し迷ってから、空いている古い桶へ手を向けた。
「…………《汚水》」
ぽちゃん。
水が現れた。
「…………」
カイトが覗き込む。
「緑……?」
透明ではない。
少し濁った、緑色の水。
「これだけ」
「…………」
「だから言ったじゃん」
ミアは顔を背けた。
「笑えば?」
「なんで?」
「だって、汚い水を出すだけだよ?」
学校でも笑われた。
何の役にも立たない魔法。
普通の《ウォーター》より下。
ミアはそう言った。
「捨てるね」
「待て」
カイトが止めた。
「え?」
もう一度、水を見る。
緑色。
少し濁っている。
だが――。
「…………」
カイトの顔つきが変わった。
「これ……」
「だから汚水だって」
「ちょっと待て」
桶を持ち上げる。
光に透かす。
「おじさん?」
「…………」
まさか。
いや。
見た目だけなら――。
「これ、もしかして……」
カイトは《選別眼》を使おうとして――。
やめた。
選別眼は魚を見る能力だ。
水に使えるとは限らない。
「どうしたの?」
「ミア」
「なに?」
「この水」
カイトは緑色の水から目を離さなかった。
「絶対に捨てるな」
「…………え?」
ミアは知らない。
この世界の誰も知らない。
役立たずと笑われ続けた《汚水》が――。
やがて、この世界のメダカを根底から変えることになることを。




