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3/19

価値ゼロの小魚、飼うことにしました。

「メダカ屋」


 カイトは小さく笑った。


「異世界で、もう一回始めてみるか」


 ――とは言ったものの。


「金がない」


 カイトは市場の端に座り込み、自分の懐を確認した。


 何度確認しても何も出てこない。


 銅貨一枚すらない。


 当然、家もない。


 飼育容器もない。


 網もない。


 エサもない。


 あるのは前世の知識と、さっき手に入れた《選別眼》だけ。


「……店どころじゃないな」


 まず、自分が生きなければならない。


◇


「兄ちゃん、仕事探してんのか?」


 声をかけてきたのは、荷車の横に立っていた大柄な男だった。


「ああ。今日からでも働ける仕事ってある?」


「力仕事でいいなら、いくらでもあるぞ」


「お願いします」


 カイトが任されたのは、市場へ届いた荷物を倉庫まで運ぶ仕事だった。


 木箱。


 麻袋。


 樽。


「重っ……!」


 魔法で身体能力が上がっている――。


 なんてことはなかった。


 普通に重い。


「転生特典、選別眼だけかよ……」


「何か言ったか?」


「いや、何でもないです!」


 ひたすら運んだ。


 昼を過ぎても運んだ。


 腕が痛くなっても運んだ。


 メダカの水が入った容器を何個も運んでいた経験が、こんなところで役に立つとは思わなかった。


 夕方。


「ほら、今日の分だ」


 男から渡されたのは、銅貨八枚。


「おお……」


 異世界で初めて稼いだ金。


 カイトは手のひらの銅貨を眺めた。


「飯なら向こうの屋台が安いぞ」


「ありがとう」


 男と別れる。


 腹は減っている。


 かなり減っている。


 だが――。


 カイトの足が向かったのは、食べ物を売る店ではなかった。


◇


「これ、いくらですか?」


「銅貨三枚だ」


「高っ」


「嫌なら買うな」


 カイトが手にしていたのは、古びた木桶だった。


 ところどころ傷はある。


 だが、水を入れるには問題なさそうだ。


「……二枚にならない?」


「三枚」


「そこをなんとか」


「三枚」


「…………」


 異世界でも値切りは難しい。


「買います」


 銅貨三枚。


 残り五枚。


 次に買ったのは、小さな網。


 銅貨二枚。


 残り三枚。


「飯代……」


 一瞬迷った。


 さすがに今日は食べなければまずい。


 銅貨一枚で硬いパンとスープを買った。


 残り二枚。


 食事を終えたカイトは、木桶と網を抱えて町を出た。


 向かう場所は決まっている。


◇


「いた」


 昨日の川。


 日が沈む少し前。


 十数匹のミナが、昨日と同じように浅瀬を泳いでいる。


「頼むから、まだいてくれよ……」


 カイトはしゃがみ込んだ。


 一匹ずつ見る。


 普通。


 普通。


 普通。


「違う」


 さらに探す。


 そして――。


「……いた」


 黒い。


 間違いない。


 昨日の個体だ。


 カイトは《選別眼》を使った。


《ミナ》


系統:黒系統

性別:♂

状態:良好

特徴:黒色素・強

特性:微弱魔光

希少度:E


「よし」


 まず木桶に川の水を入れる。


 それから網を手にした。


「一発でいきたいな」


 追い回さない。


 進行方向を見る。


 ゆっくり網を水へ入れる。


 黒い個体が方向を変えた。


「そっちじゃない……」


 逃げる。


 もう一度。


「おいおい」


 三回目。


 網を魚の前へ回す。


 黒い個体が入った。


「よし!」


 すぐに木桶へ移す。


 カイトは水面を覗いた。


「…………」


 泳いでいる。


 問題なさそうだ。


「やっと捕まえた」


 たった一匹。


 この世界では、銅貨一枚にもならない小魚。


 それなのに。


 異世界で初めて金を稼いだときより、嬉しかった。


「お前、今日からクロな」


 黒いからクロ。


「ネーミングセンスないな、俺」


 クロは当然、何も答えない。


 カイトは笑った。


「よろしくな」


◇


 問題はここからだった。


 クロは手に入れた。


 だが、泊まる場所がない。


「さすがに木桶抱えて宿屋は……」


 そもそも残金は銅貨二枚。


 宿など無理だ。


 町の外れを歩いていると、一軒の古びた小屋が目に入った。


 屋根はある。


 壁もある。


 ただし、かなりボロい。


「……人、住んでないよな?」


 近くにいた老人へ聞いてみる。


「あの小屋ですか?」


「ああ。昔は物置だったが、今は誰も使っとらんよ」


「借りられたりします?」


 老人がカイトを見る。


 そして木桶を見る。


「何をする気だ?」


「魚を飼いたくて」


「魚?」


「はい」


「…………」


 また、この顔だ。


 この世界に来てから何度目だろう。


「変わった若者だな」


 老人は笑った。


「掃除してくれるなら、しばらく使って構わん」


「本当に?」


「ただし壊したら直せよ」


「ありがとうございます!」


 こうしてカイトは、異世界で最初の拠点を手に入れた。


◇


 小屋の裏には、小さな井戸があった。


 日の当たる場所もある。


「悪くない」


 むしろ、メダカを飼うならかなりいい。


 カイトは木桶を置いた。


 クロが静かに泳いでいる。


「次はメスだな」


 魚屋にいた個体を思い出す。


 あのメスを手に入れる。


 そこから繁殖を始める。


「あとは容器も増やさないとな……」


 すでに頭の中では配置を考えている。


 ここに一つ。


 こっちにも一つ。


 稚魚用。


 親用。


 選別した個体用。


「…………」


 カイトは我に返った。


「また容器増やそうとしてるよ、俺」


 前世と何も変わっていない。


 そのとき。


「ねえ」


「ん?」


 後ろから声がした。


 振り返る。


 そこには、十二歳くらいの少女が立っていた。


 明るい茶色の髪。


 大きな瞳。


 少女は木桶を覗き込む。


「何してるの?」


「魚を飼ってる」


「魚?」


「ああ」


 少女はクロを見る。


 数秒。


 そして――。


「…………それだけ?」


「それだけって?」


「だって」


 少女は不思議そうに首を傾げた。


「そんな小さい魚、何が面白いの?」


「…………」


 カイトはクロを見る。


 少女を見る。


 もう一度、クロを見る。


 そして少し笑った。


「それを今から見せてやるよ」


「?」


「この一匹から――」


 カイトは黒い小魚を指さした。


「誰も見たことのないメダカを作る」


 少女は目をぱちぱちさせる。


「メダカ?」


「ああ」


「ミナでしょ?」


「俺のいた世界じゃ、メダカっていうんだよ」


「ふーん……」


 少女はもう一度、クロを覗き込んだ。


「変なの」


「よく言われる」


「名前は?」


「クロ」


「魚じゃなくて、おじさんの」


「…………おじさん?」


「うん」


「俺、三十二なんだけど」


「おじさんじゃん」


「…………」


 異世界に転生して三日目。


 カイトは初めて――。


 元の世界に帰りたいと思った。


 少女の名前は、ミア。


 この出会いが後に、この世界のメダカ文化を大きく変えることになる。


 もちろん、このときの二人は――。


 そんなことを知るはずもなかった。

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