その小魚、銅貨一枚にもなりませんでした。
《固有能力――選別眼を獲得しました》
「…………は?」
カイトは目の前に浮かんだ文字を見つめた。
何度まばたきをしても消えない。
「選別眼……?」
聞いたことのない言葉――ではない。
いや。
意味だけなら、嫌というほど分かる。
選別。
何十匹、何百匹と育ったメダカを一匹ずつ見て、次の世代へ残したい個体を選ぶ。
カイトが前の世界で何度もやってきたことだ。
「それが能力になったってことか?」
そう呟きながら、もう一度川を見る。
先ほどの黒い小魚は、まだそこにいた。
試しに意識を集中させる。
「…………」
すると――。
《ミナ》
系統:黒系統
性別:♂
状態:良好
特徴:黒色素・強
特性:微弱魔光
希少度:E
「おお……」
思わず声が出た。
「マジで見える」
今度は隣を泳いでいる個体を見る。
《ミナ》
系統:野生型
性別:♀
状態:良好
特徴:なし
特性:なし
希少度:F
「なるほどな」
便利だ。
かなり便利だ。
ただ――。
「全部教えてくれるわけじゃないのか」
黒い個体をもう一度見る。
《微弱魔光》
そこまでは分かる。
だが、それが何なのか。
どう遺伝するのか。
どんな掛け合わせをすれば強くなるのか。
そこまでは表示されない。
「結局、そこは自分で考えろってことね」
カイトは少し笑った。
むしろ、その方がいい。
答えが全部分かってしまったら面白くない。
「さて……」
問題は、この黒い個体をどうするかだ。
連れていきたい。
ものすごく連れていきたい。
だが――。
「容器がない」
当然だった。
転生してまだ一時間も経っていない。
タモもない。
バケツもない。
ビニール袋もない。
「異世界転生するなら、せめてNVボックスくらい持たせてくれよ……」
誰に言っているのか自分でも分からない。
とりあえず辺りを探した。
木。
石。
草。
「……無理だな」
さすがに素手で追い回すわけにもいかない。
メダカを飼っていた頃から、魚を必要以上に追い回すのは好きではなかった。
「今日は場所だけ覚えとくか」
名残惜しい。
ものすごく名残惜しい。
だが、まず自分が生きることの方が先だ。
「待ってろよ」
黒い小魚に向かって言う。
「絶対また来るからな」
当然、返事はない。
カイトは立ち上がった。
◇
頭の中に流れ込んできた知識によれば、川沿いを南へ進めば町がある。
歩くこと一時間ほど。
「……あれか」
石造りの壁が見えてきた。
町の名は《リベルタ》。
人口数千人ほどの交易都市。
巨大な城壁。
行き交う馬車。
腰に剣を下げた男。
ローブ姿の女。
「うわぁ……」
初めて、異世界に来た実感が湧いた。
「本当にファンタジーじゃん」
幸い、この世界の言葉は理解できる。
文字も読める。
これも転生した際に流れ込んできた知識のおかげらしい。
問題は――。
「金がない」
カイトの所持金。
ゼロ。
見事なまでにゼロだった。
「異世界転生って、普通ちょっとくらい金もらえないの?」
そんなことを考えながら市場を歩く。
肉。
野菜。
果物。
見たことのない魔物らしき素材。
そして――。
「魚か」
足が止まった。
魚屋だった。
大きな川魚が何匹も並べられている。
その店先に置かれた桶。
そこに、小さな魚が泳いでいた。
「ミナだ」
川にいたものと同じ魚。
カイトは思わず近づいた。
十匹ほどいる。
「おっちゃん、この魚って売り物?」
店主がカイトを見る。
「魚?」
「これ」
桶を指さす。
店主は眉をひそめた。
「ああ、ミナか」
「いくら?」
「は?」
「だから、これ一匹いくら?」
店主は数秒、黙った。
そして――。
「兄ちゃん、変なやつだな」
「え?」
「そんなもん買ってどうすんだ」
店主は笑った。
「ミナなんて、銅貨一枚にもならねえよ」
「…………」
カイトは桶を見る。
普通の人間なら、ここでがっかりするのかもしれない。
だが――。
カイトの口元は、逆に緩んだ。
「本当に価値ないんだ」
「だからそう言ってるだろ」
「誰も飼ってない?」
「飼う?」
店主はますます変な顔をする。
「そんな小魚を?」
「綺麗なやつを選んだりとか」
「しねえよ」
「繁殖させたり」
「しねえ」
「違う色のやつ同士を掛け合わせたり」
「何のために?」
カイトは黙った。
間違いない。
この世界には――。
改良メダカという文化が存在しない。
「おっちゃん」
「なんだ」
「このミナ、どうする予定だった?」
「捨てる」
「…………」
即答だった。
「大きい魚を捕ったときに網に入っただけだ。邪魔だからあとで川に戻す」
「じゃあ」
カイトは桶の中を見る。
選別眼を使う。
《ミナ》
《ミナ》
《ミナ》
《ミナ》
一匹ずつ情報が浮かぶ。
ほとんどが野生型。
しかし。
「……いた」
端にいる一匹。
少しだけ体色が薄い。
よく見なければ分からない程度の違いだった。
《ミナ》
系統:野生型
性別:♀
状態:良好
特徴:黒色素・弱
特性:なし
希少度:F
カイトの目が止まる。
「メスか……」
頭に浮かぶのは、川にいた黒いオス。
黒色素の強いオス。
黒色素の弱いメス。
普通なら組ませない。
だが、この世界の魚がどんな遺伝をするのかは分からない。
それに――。
「面白いな」
もう始まっている。
頭の中で、掛け合わせを考えている自分がいる。
「おっちゃん」
「今度はなんだ」
「これ、一匹もらっていい?」
店主はカイトの顔を見る。
桶を見る。
またカイトを見る。
「……好きにしろ」
「マジ?」
「ただし入れ物は自分で用意しろよ」
「…………」
カイトは固まった。
また容器問題である。
「そこからか……」
店主が笑う。
「兄ちゃん、本当にその小魚が好きなんだな」
「まあね」
「何がそんなに面白いんだ?」
カイトは少し考えた。
そして桶の中の小さな魚を見る。
「今は、どこにでもいる小魚だけど」
「うん?」
「何世代か先には、誰も見たことのない魚になってるかもしれない」
店主は首を傾げた。
「よく分からんな」
「俺もまだ分からないよ」
カイトは笑った。
「だから面白いんだ」
店主は呆れたように肩をすくめた。
カイトは市場を見渡した。
金はない。
家もない。
飼育容器すらない。
川には気になる黒いオス。
目の前には使えそうなメス。
そして、この世界では――。
そのどちらにも価値がない。
「……よし」
まずは金を稼ぐ。
次に容器。
水。
エサ。
そして、あの黒い一匹を迎えに行く。
やることが一気に増えた。
だが、不思議と嫌ではなかった。
むしろ――。
久しぶりに、胸が高鳴っていた。
「この世界でやってみるか」
誰も価値を知らないなら。
自分がその価値を作ればいい。
「メダカ屋」
カイトは小さく笑った。
「異世界で、もう一回始めてみるか」




