選ばれなくても、今日も泳いでいました。
「この魚を、売っていただきたい」
朝から店に来たアルベルトは、挨拶の次にそう言った。
「どれです?」
「光る魚だ」
「まだ売れません」
「……早いな」
「何がです?」
「断るのがだ」
アルベルトの隣で、見知らぬ男が苦笑していた。
身なりのいい男だった。
服も靴も、カイトが普段市場で見かけるものとは明らかに違う。
「紹介しよう。ベルナーだ」
「初めまして」
男が軽く頭を下げる。
「アルベルト様から、珍しい魚を育てている方がいると聞きまして」
カイトはアルベルトを見る。
「喋りましたね?」
「少しだけだ」
「誰に?」
「知人に」
「何人?」
「七人ほど」
「十分多いですよ」
横でミアが吹き出した。
「カイト、有名人」
「なりたくない」
「なぜだ。商売をするなら客が来るのはいいことだろう」
「それとこれとは別です」
カイトは棚の上に並べた容器を見る。
クロとシロから生まれた子供たち。
まだ小さい。
けれど、よく見れば一匹一匹に違いが出始めている。
黒が強いもの。
薄いもの。
体の大きなもの。
小さなもの。
そして。
背中に、ごく弱い光を持つもの。
「こちらですか」
ベルナーが身を屈めた。
一匹が水面近くまで上がってくる。
光の角度が変わった。
「おお……」
ベルナーの目が見開かれる。
「確かに光っている」
「まだ弱いですけどね」
「十分です」
「え?」
「これほど珍しい魚は見たことがない」
ベルナーはしばらく魚を眺めたあと、カイトを見た。
「銀貨二十枚でどうでしょう」
「…………」
カイトは黙った。
高い。
かなり高い。
古い桶なら何個買えるだろう。
餌も買える。
小屋の壊れたところも直せる。
冬が来る前に、飼育場所にも手を入れたい。
「二十枚!?」
ミアが食いついた。
「カイト!」
「聞こえてる」
「二十枚だよ!」
「分かってる」
「売らないの?」
「売らない」
「なんで!?」
今度はミアだけでなく、ベルナーまで不思議そうな顔をした。
「金額が足りませんか?」
「そうじゃありません」
「では?」
カイトは光る一匹を見る。
「まだ、この魚のことを俺が分かってないんです」
「分かっていない?」
「はい」
今は光っている。
だが、この光が成長してどうなるのか。
もっと強くなるのか。
消えるのか。
次の世代にも現れるのか。
何匹に一匹くらい現れるのか。
何も分かっていない。
「だから、まだ売れません」
「しかし、現に光っている」
「今は、です」
ベルナーが黙る。
「俺が売りたいのは」
カイトは少し考えてから言った。
「たまたま光った一匹じゃないんです」
「…………」
「ちゃんと次につながるメダカを作りたい」
ベルナーはもう一度、容器を覗いた。
「時間がかかりそうですね」
「たぶん」
「いつ完成します?」
「分かりません」
「一年?」
「分かりません」
「半年?」
「分かりません」
「では、いつ?」
「だから分からないんです」
ベルナーが困った顔をする。
アルベルトが笑った。
「諦めろ。こいつはこういう男だ」
「アルベルトさんも最近知り合ったばっかりでしょう」
「十分分かった」
余計なお世話だった。
◇
二人が帰ったあとも。
ミアは銀貨二十枚を諦めていなかった。
「二十枚……」
「まだ言ってる」
「二十枚あったら何買える?」
「桶」
「他は?」
「餌」
「他は?」
「網」
「つまんない!」
「メダカ屋だからな」
ミアは頬を膨らませた。
「私ならお菓子買う」
「だからお前に金は預けない」
「全部じゃないよ。半分」
「もっとダメだろ」
そんな話をしながら、カイトは餌を落としていく。
魚たちが一斉に集まった。
大きな個体が先に食べる。
その後ろから、小さな個体が近づいてくる。
一粒。
食べ損ねた。
もう一度近づく。
また別の魚に取られる。
「あ」
ミアも気づいた。
「この子、全然食べられてない」
「そうだな」
「かわいそう」
ミアが餌を追加しようとする。
「待った」
「なんで?」
「入れすぎると水が悪くなる」
「でも食べられないよ」
カイトは少し考えた。
餌を指先ですり潰す。
細かくして。
小さな個体の近くへ、ほんの少し落とした。
ぱくっ。
「あ、食べた」
「食べたな」
ミアが嬉しそうに笑った。
「よかったね」
小さな魚は何も知らずに泳いでいる。
◇
「ずいぶん差が出てきましたね」
午後。
セレナがいつものようにやって来た。
「同じ親から生まれたとは思えません」
「こんなもんですよ」
セレナが容器を覗く。
「大きさも違う。色も違う。光の強さも違う」
「だから見るんです」
「何を?」
「全部」
セレナがカイトを見る。
「全部?」
「この中から、次の親を選ばないといけないから」
ミアが振り返った。
「親?」
「ああ」
「クロとシロみたいな?」
「そう」
「誰にするの?」
「まだ決めない」
「光ってる子じゃないの?」
「候補にはなる」
「じゃあ一番光ってる子にすればいいじゃん」
「それだけじゃ決めないよ」
「なんで?」
「体型とか、成長とか、泳ぎ方とか。ほかにも見るところがある」
ミアが魚を見る。
さっきの小さな個体が泳いでいる。
「じゃあ、この子は?」
「今のところ、親には選ばないかな」
「…………」
「小さいから?」
「それもある」
ミアは少し黙った。
「じゃあ、この子はどうなるの?」
「育てるよ」
「親にしないのに?」
「うん」
「なんで?」
カイトの手が止まった。
「なんでって……」
考えたこともなかった。
「親に選ばないだけだから」
「…………」
「普通に育てるよ」
ミアはしばらく小さな魚を見ていた。
「選ばれなかったのに?」
「そうだな」
「かわいそうじゃない?」
「何が?」
「選ばれなかったから」
カイトは少し考える。
「こいつはそんなこと知らないよ」
「…………」
「餌食って、泳いでるだけだ」
ちょうどその時。
小さな個体が水面へ上がってきた。
一粒。
餌を食べる。
また泳いでいく。
ミアがその姿を目で追った。
「……ほんとだ」
セレナは何も言わなかった。
ただ、その一匹を見ていた。
◇
夕方。
カイトは一人で容器を見ていた。
光の強い個体がいる。
体の大きな個体がいる。
形のいい個体がいる。
次の親にしたいと思える魚が、少しずつ見えてきた。
選ぶ。
残す。
また掛け合わせる。
それを何世代も繰り返す。
全部を親にはできない。
当たり前のことだ。
「カイトー!」
少し離れたところからミアの声がした。
「帰るねー!」
「おう」
「あ!」
「何?」
「小さい子、明日もいる?」
カイトは容器を見る。
あの一匹が泳いでいた。
「いるだろ」
「明日も見るから!」
「はいはい」
「ちゃんと餌あげてよ!」
「俺の店だぞ」
ミアは笑いながら走っていった。
静かになる。
カイトは最後に、もう一度だけ餌を細かくした。
少しだけ落とす。
大きな魚たちの間から。
小さな一匹が出てきた。
一粒食べる。
「……よし」
それだけ確認して。
カイトは立ち上がった。
次の親には。
たぶん選ばない。
特別な光もない。
珍しい色もない。
それでも明日になれば。
また餌をやる。
理由なんて。
それで十分だった。




