43騒がしい学院の朝
眩しい太陽が照りつける朝。やっぱりと言うべきか、身体には最近の生活の代償が重くのしかかっていた。
学院がある日も、ナバナで仕事をする日も、毎日特別書庫に通いながら夜は学院の『上級魔道具工房』に潜入するという生活。
体にがたが来るのは必然的だろう。
「うぐ……っ!」
身体をぽきぽきと鳴らして伸びをする。
腕をだらんとおろして、霞がかった目を擦る。昨日も遅くまで作業をしていたから、あまり眠れなかった。
「今日も眠そうやねえニィコっ?」
ムフレの明るい言葉に振り向く。
「最近ちょっとね…」
「無理せんといてな?倒れられたら、うちも失神してまうで?」
俯く私の顔を覗き込むように、ムフレは中腰でそう言った。
私は小さく「うん」とだけ返した。
ムフレはどこか心配そうに眉を曲げていた。
「そういえば今日基礎魔法学でりんごを一つ持ってくるように言われてたけど、ちゃんと買うてきた?」
「あっ、ええと…」
持ってきたかどうかと言われたら、完全に忘れていた。
けれど私は何となく、頭の中に変な予感が過って、鞄の中を覗き込んだ。
「あれ……」
どこか軽い鞄の感覚。
鞄の中の、教本、筆記具、手帳。
それを交互にキョロキョロと見つめて。
「無い……っ?」
どこにも、ない。
昨日ナバナに持って帰ったはずだ。そのまま鞄に入れたはずだ。
忘れた…?
「ニィコ?」
私はそうやって数秒間、唖然と鞄の中を覗き込んで。
「ちょっとごめん!忘れ物したかもしれなくて!先に教室行っててっ」
ムフレが何か言うより早く、私は踵を返して走り出した。
忘れた…忘れてしまった…!
あの魔道具を…!
*
廊下を駆け抜けて、実技棟へ。
昨日の夜、工房を出るときに持ち帰ったつもりだったのに。
落としたんだろうか…置いてきただけだといいけど…。
考えながら走る足は、自然と工房のある棟へと向かっていた。
朝の学院はまだ人が少ない。
誰かに見られる前に取り戻せれば、何とかなるかもしれない。
実技棟の廊下を進んで、上級魔道具工房の前に立った。
いつもの様に足場を持ってきて、慌てながら排煙窓から忍び寄る。
「よ、良かった…あった……!」
作業台の端に、あの篭手がぽつんと置かれていた。
良かった、まだ誰にも見つかっていない。
私は急いで歩み寄った。
鞄を開きながら、篭手に手を伸ばす。
早くしないと授業が始まる。
早く、早く───。
「あっ」
焦りと、溜まっていた疲れのせいだろうか。
指が、トリガーに引っかかった。
手元が狂った。
その、次の瞬間。
──────ドゴォォンッ!!!
鼓膜を貫くような衝撃音が、工房全体を揺るがした。
「ひゃあっ?!」
身体が吹き飛ばされそうになって、咄嗟に作業台の端を掴んだ。
煙が立ち込めて、視界が白く染まる。
耳の奥がキーンと鳴り続けている。
何が……起きた?
煙が少しずつ晴れていく。
ゆっくりと、視界が戻ってくる。
「…………」
工房の壁に、廊下に向かって、巨大な穴が空いていた。
人間が一人、楽々通り抜けられるくらいの大きさ。縁はぼろぼろに崩れていて、その向こうに学院の外壁が見えた。
砕けた石の破片が、床に散らばっている。
私は篭手を持ったまま、その穴をただ見つめていた。
頭の中が、完全に空白になっていた。
これ……私が。
私が、やった。
「お、おい!何だ今の音は!!」
下の階からか、誰かの怒声が聞こえた。
走る足音が近づいてくる。
私の身体は、気づけば動いていた。
篭手を鞄の中に押し込んで、私が開けた大穴から飛び出した。
工房から飛び出した姿は誰にも見られなかった。
走って、走って、ようやく人気のない角を曲がったところで、壁にもたれるように立ち止まった。
誰かとすれ違った気がする。
声をかけられた気もする。けど、返事をする余裕なんて無かった。
「はぁっ……はぁっ……」
息が上がっている。
心臓が痛いくらいに跳ねている。
壁の穴が、頭から離れなかった。
あんな威力だったんだ。
あれが人に向いていたら。
授業中に誰かがいる時間帯だったら。
考えるだけで、足元がふわふわとする。
でも……誰も、いなかった。
壁に穴が空いただけで、誰も怪我をしていない。
…それだけは、確かだ。私は絶え間なく鳴り続ける胸の鼓動を抑えるように、手を当てた。
「……落ち着け、私」
自分に言い聞かせるように、小さく呟いた。
どこかで予鈴が鳴った。
授業が始まる。
私はゆっくりと息を整えて、教室へと向かった。
*
授業中、私は一言も口を開けなかった。
黒板を見ているつもりで、頭には何も入ってこない。
ノートを開いているつもりで、ペンが動かない。
壁の穴が、ずっと頭の中にあった。
あんなに大きな穴が空いたということは、当然誰かが気づいている。
教官が見つければ、調査が入る。
どこから撃ったのか、誰が撃ったのか。
篭手は持って帰った。でも、夜中に工房に入っていた痕跡が残っているかもしれない。
他にもいくつか失敗した跡が残っているかもしれない。
考え出したら、キリがなかった。
終業の鐘が鳴った瞬間、私はようやく息を吐いた。
「ニィコ、授業どうやった?」
廊下に出ると、ムフレがにこにこしながら待っていた。
「……うん、まあ」
「なんか元気ないなあ。忘れ物は見つかったん?」
「あ、うん。見つかった」
「それは良かったあ」
ムフレはそう言って、それから何かを思い出したように声を潜めた。
「それよりニィコ、なんか聞いた?」
「なにを?」
「さっき授業前に廊下を歩いてたら、みんながざわざわしててんな」
ムフレは周囲を見渡してから、続けた。
「実技棟の魔道具工房で、なんか凄いことが起きたらしくて」
「……そうなんだ」
「うん!なんか壁に巨大な穴が空いてたって。魔物が暴れたんちゃうかって言ってる子もいたけど」
そこで誰かと目が合ったのか、ムフレはその生徒に声をかけた。
「ねえちょっと、あの噂の話、詳しく知ってる?」
駆け寄ったムフレに引っ張られるように、私も恐る恐るその輪に加わる。
振り返った男子生徒は深刻そうな表情をしていた。
「…知らないのか?今あの実技棟の魔法工房がヤバいらしいんだ」
「どんなふうに?」
「ある生徒が朝早くに工房を通りかかったら、壁に巨大な穴が空いてたんだと。それも、大爆発でも起こったみたいなな」
男子生徒は思い出したように頭を抱えた。
「調べた教官が言うには、途轍もない威力の魔道具が使われた痕跡があったらしい。こんな威力を出せるのは希少な素材も組み込まれたものか、高度な代物だろうって言っていたよ」
「学生に作れるもんなんかな」
「それが分からないんだよな。まあ、天才が秘密の制作でもしてたんじゃないかって話だけど」
笑いながら話す男子生徒に、ムフレが目を丸くする。
「すご……そんな凄い魔道具を作れる子が学院にいるんやね」
「かもな。まあ、犯人捜しが始まりそうで俺はゾッとするけど」
そう言い残して、男子生徒は去っていった。
不安そうに眉を潜めるムフレが振り向いて、私は思わず一歩後ずさりそうになる。
「天才かあ……ニィコはどう思う?」
私は乾いた笑いを浮かべた。
視線をどこに向けたらいいか分からないまま。
穏やかな目で私の言葉を待つムフレに、ゆっくりと口を開いた。
「そんな魔道具が……」
私は誤魔化すように目を逸らす。
「その…凄いことが起こったんだね」
それから頭を真っ白にしながら、なんとも言えない返事をした。
そんな私に、ムフレはきょとんとした表情を見せた。




