42魔道具工房へ潜入しよう
赤毛大獅子の件から、数日が経っていた。
あの時、私は特別書庫で得た知識を使って、窮地を切り抜けた。
倉庫の中にあった素材と、頭の中に叩き込んでいた情報が、あの一瞬で繋がった。
……あの感覚が、忘れられなかった。
知識が実際に機能するとはこういうことか、と思った。
今まで図書館の地下で何週間もかけて詰め込んできたものが、ただの文字じゃなくなった瞬間だった。
私はまだ、知識を溜め込むだけだ。
カフェでパウモイさんに背中を押されて、誓いを立てた。
ビルクさんの隣に立てるように、一人前になる、と。本を読んで、知識を蓄えて。
だけど、今の私にできることは何だ。
授業中にうっかり口が滑った時、周囲の引いた顔を見た。
それが頭から離れなかった。
自分が蓄えてきたものの異質さを、改めて突きつけられたようで。
でも同時に、少しだけ成長している気がした。
焦っているのは分かっていた。
冒険者の件も、パウモイさんには「待て」と言われている。誓いを立てたばかりで、直ぐに何かを成そうとするのはおこがましい。そんなことは頭では理解していた。
それでも、手を動かさずにはいられなかった。
特別書庫に保管されていた書物の中に、ある設計図があった。
熱の暴走によってすぐに使い物にならなくなるが、一点に極高威力の衝撃を与えられる篭手───
『一点集中の衝撃発生器』。
そして手元にあるのは、ビルクさんと狩ってきた魔雪ミミズの冷却器官として機能する魔石。
「これを組み込めれば……もしかしたら」
熱暴走の問題を、冷却魔石で抑えられるかもしれない。
「試してみたい」
その気持ちが、止まらなかった。
一人でやるぶんには、誰にも迷惑はかからない。
パウモイさんの忠告は人に危険が及ぶことへの警告だと思っていたし、授業中に口を滑らせたことだって、問題は知識を人前で使ったことだった。
一人で、こっそり。
それなら、大丈夫なはずだ。
問題は設備だ。
ナバナの厨房では限界がある。
でも学院の『上級魔道具工房』なら。
「ちょっとだけ……ちょっとだけ借りるだけなら、いいよね」
気づけば私はベッドから抜け出していた。
足音を殺して、ナバナの窓から夜の王都へと滑り出した。
*
真っ暗な魔法学院は、昼間の賑やかさが嘘のように静まり返っていた。
「はぁ……寒……!」
夜の街に出てからずっと、私は薄手の服で外に出たことを激しく後悔していた。
私はそのまま、月明かりだけを頼りに実技棟へと歩みを進めた。
「えっと……確かこの先だったよね」
暗闇に目を凝らし、実技棟の裏手へと回り込む。
少し歩くと、大きなガラス窓が薄ぼんやりと月明かりを反射しているのが見えた。
あそこだ。『上級魔道具工房』。
頑丈な扉には当然、厳重な鍵がかかっていた。
でも、
「あった……あそこなら、どうかな」
私が見上げた先、工房の天井付近にある排煙用の高窓。
大人の男の人なら肩がつっかえる幅だが、小柄な私ならギリギリ通り抜けられるはずだ。
それに、内側から外側に出るのには室内の太い配管が使えそうだ。出入りは問題ない…!
よし…!
覚悟を決めたら直ぐに行動に移した。
私は壁際に積まれていた搬入用の空の木箱を引きずってきて、階段状に積み上げた。
「よいっ、しょっ」
服が汚れるのも構わず、外壁を這う太い排管に足をかけて手を伸ばす。
指先が、冷たい窓枠の縁に引っかかった。
腕の力だけで身体を引き上げるのはきつかったが、止まれなかった。
窓の隙間に頭から滑り込み、肩を擦りながら身体をねじ込ませる。
「ふんっ!」
そのまま華麗に着地を……と思ったが、そう上手くいくはずもなく。
「って!?」
勢い余って床に転がった。
でも、入れた。
痛みに悶えながら起き上がると、奇妙な匂いが鼻をついた。
特別な素材を加工した匂いだろうか。今まで嗅いだことのない独特な匂いが工房中に広がっている。
気を引き締めて、廊下側のガラス窓のブラインドをすべて下ろす。
閉じたことを確認してから、手元に小さな明かりを灯した。
照らし出されたその光景に、私は息を呑んだ。
「わぁ……っと、静かにしなきゃ……」
整然と並べられた、金属とガラスでできた高度な設備の数々。
ナバナの厨房とは次元が違う。
でも困惑はしなかった。
一ヶ月近く特別書庫に籠もり続けた知識が、目の前の設備と繋がっていく感覚があった。
「よし……少しだけ、お借りしますよ」
最初こそ恐る恐るだったが、一度火を入れてからは何もかもを忘れるような没頭だった。
形にしたかった。
頭の中にある設計図を、実際の手で確かめたかった。
ただそれだけが、私を動かしていた。
*
「はぁ……疲れた」
夜中から何時間も作業するというのは、流石に身体に響く。
ふらふらとした足取りで夜の学院から戻り、息を殺してナバナの窓から中へ滑り込む。
音を立てないように自室へ向かおうとして、私は足を止めた。
「え……これ」
机の上に、小さなカップが置いてあった。
触れると、まだかすかに温かい。
顔を近づけると、甘い蜂蜜の匂いが漂ってきた。
私はしばらく、それを両手で包んだまま動けなかった。
気づいているのだろうか。
それとも、たまたまだろうか。
答えは分からない。
分からないまま、私は一口だけ飲んだ。
じわりと、喉の奥が温かくなる。
「……ありがとうございます」
誰にも届かない声で、そっとそう言った。
そんな心遣いにも、甘えてしまったのかもしれない。
夜な夜なナバナを抜け出しては、学院の工房の設備をこっそり借りて、夜明け前に戻る。
そんな二重生活が始まった。




