41決死の第四倉庫
入ってくる。
赤い毛を生やした猛獣の腕が、倉庫の中に伸びる。
遠くの喧騒が扉の奥から聞こえる。
「どう…しようニィコ…?!」
私の背中を握るムフレの手に力が入る。
ゆっくりと一歩、また一歩と私達は後ずさった。
けれど、状況は加速するばかりだった。
「ひっ…!?」
私の声か、ムフレの声だったか。
わからないけど、扉の隙間から私達を覗きこむ鋭い眼差しに、私達は身を震わせた。
後ずさろうとした足は、その場でピクリとも動かなくなった。
ど…どうする?
どうやって打開する…?倉庫の中は猛獣を撒けるほど入り組んで無いし、私達にはあの魔物を倒す程の力はない。
いろいろな感情が入り交ざる頭の中。
けれど一瞬、何かが過った。ここ数週間のうちに王都大図書館の奥で叩き込んだ膨大な知識の一片が。
「ムフレ…ちょっと時間稼いでくれる?」
恐怖と絶望に支配された頭に、あの“六級”の魔物の情報が頭の隅で光った。
「え、時間稼ぎって…な、何をするん?」
突然の私の言葉に、ムフレは怯えたまま聞き返した。
私と違ってムフレは魔物に興味のある“変態的な趣味”を持った少女じゃない。
だから私は、ちゃんと伝えた。
「私を信じて。ムフレ、なんとかするから」
「ニィコ…何か考えがあるんやな」
その言葉に頷くと、ムフレも覚悟を決めたように眉間に力を込めた。
「お願い!少しでも時間を稼いでて!」
そう言うなり、背を向けて倉庫の奥へと走った。
背後から鳴り響く、扉をこじ開ける轟音に足が竦みそうになって、私は両手で頬を叩いた。
「よし…!」
赤毛大獅子は獅子系の魔物の中でも嗅覚が異常に良い。特別書庫に保管されていた一級冒険者の手記にはこう記されていた。
────麻痺成分のある素材と、強力な辛味系の刺激物を合わせた混合粉を煙にして吸わせれば、鼻から神経を狂わせられると。
私は棚に並んだ無数の薬瓶や素材袋を、片っ端からひっくり返すように探し回った。
あてが無いわけじゃない。
何回か倉庫を探索する中で、どこに何があるか、正確ではないが大まかには頭に入っているから。
「はぁっ、はぁっ…これは」
焦りと疲労に手が震えて瓶を取り落としそうになりながら、私は『沸炎石』の粉末と書かれた小瓶を手に取る。
ズドンッ!!
催促するように、鉄扉が凄まじい音を鳴らした。
「ひっ……!ニィコぉ!もう入ってきてまうよっ!」
悲鳴を上げながらも、ムフレが扉の前に立ち塞がる。
早く......急がないと!
「入ってこんといて!《フラッシュ》っ!!」
背後から、眩い強烈な閃光が弾けた。
ムフレが魔法で足止めをしてくれてるんだ。
急げ急げ…!
「あった!これだ…!!」
視界の端に映った『白蛇草』。
真っ白な乾燥したこの葉っぱにはその見た目からは考えられない麻痺成分を含んでいる。
って、そんなことを考えている暇なんて無い!
私は震える手で二つの瓶の中身を即席の容器の中ですり潰す。
背後で鳴り響く轟音に、私の手に汗が滲む。
鳴り止まない心臓の警鐘を必死に落ち着かせながら、ムフレを信じて作業に集中する。
「ま、まだやでっ!《ウィンド》っ!!」
ムフレが、必死に二発目の魔法を放った。
「わっ!?」
辺り一面に吹いた暴風で、棚にしまわれた素材たちが吹き飛んでいく。
ガシャーン!と、周囲に積まれていた大きな箱が派手な音を立てて崩れ落ちる。
私の傍に、反動で吹き飛んだムフレが尻もちをついて倒れた。私は咄嗟に調合中の素材を体で覆って、なんとか飛散しないように守る。
「ガアァァッ!!!」
一瞬だけ振り向くと、既に半身を扉の内側にねじ込んでいた赤毛大獅子が破壊した扉を左右にこじ開けようとしていた。
けど──間に合った。
「よし!出来たよ!!」
私は調合したばかりの混合粉が入った瓶を、魔物の鼻先めがけて力いっぱい投げつけた。
パリンッ!と瓶が割れ、強烈な刺激臭を放つ赤い煙がボワッと膨れ上がった。
「グヴォッ!?」
「な、何あの煙?!」
煙を吸い込んだ赤毛太獅子は激しく痙攣し、白目を剥いた。
効いている…のか?
「待ってムフレっ!」
私は考えるより先に動いていた。
倒れる直前の最後の力を振り絞ったか。
悶える巨体が、尻もちをついているムフレに向かって真っ直ぐに突進してくる。
弾かれたように床を蹴り、へたり込むムフレの身体を抱え込むようにして真横へ飛び退く。
ズドンッ!!という鈍い音と共に、赤毛太獅子は私たちが数秒前までいた場所の棚に激突した。
「……え、はぁ......はぁっ。あ...りがとう......ニィコ」
私達はしばらくの間それを見つめて、全く動かない獣を前に動くことは出来なかった。
腰を抜かしたムフレと、彼女を庇って床に倒れ込んだ私。
けれど真っ赤な獣はそれ以上、微動だにしなかった。
「おい!大丈夫か!」
沈黙を破ったのは、張り上げた男の声。
慌ただしい足音と共に、誰かが駆け込んできた。
白髪交じりの、四十代半ばほどの男教官。手には抜身の剣が握られていた。
「あなたは.....」
「もしかしてっ、テレナード教官?」
ムフレの言葉に、その人物が思い当たった。
テレナード教官って……たしか、学院でかなりの実力者って聞いたことがある。
こういう緊急事態にも動員される警護兵としての役割も持っているのか…。
教官は立ち止まって、この状況を見渡した。
ひしゃげた扉、壁に激突して白目を剥いている魔物、散らかり返った倉庫の素材、そして……無傷の私たちを、ゆっくりと交互に見た。
「…………」
その場に、重い沈黙が落ちる。
教官は何も言わなかった。赤毛太獅子の身に何が起こったかを察したか、信じられないものを見るように眉を潜めて、やがて、チャキッと音を立てて剣を鞘に収めた。
「……まったく。君たちの蛮勇には頭が痛くなるが……怪我がなくて何よりだ」
ため息を吐き、頭を抱えながらも穏やかな言葉を口にした。
「あ、あのっ、これは……」
「仕方ない。優秀な生徒の課外研究は、私の胸の内に留めておいてやろう。早く教室に戻りなさい。ただ、君たちの名前だけは聞かせてもらう」
優しくも有無を言わせぬ圧を放つ教官に促され、私たちは名前を名乗った。
そして教官に払いのけられるように、その場を去ったのだった。
私は心の中で大きく安堵しつつ、不意にため息が漏れる。
…..危なかった。特別書庫で学んだ知識が役に立った。
いや、運が良かっただけだ。たまたま倉庫で使える物が手に入っただけだ。
もしあのとき行動できなかったら、どうなっていただろう。
いや、考えるだけ無駄かもしれない。




