40緊急事態
「うわぁ……大っきいなあ?」
「明かり付けるよ」
カチリ、と魔力灯のスイッチを入れると、薄暗い倉庫にぼんやりと黄色い明かりが灯った。
広さとしては、生徒五十人が入る講義室よりひと回り大きいくらい。けど、その広さの倉庫の中に素材のぎっしり詰まった木箱や棚が並んでいるというのは圧巻だ。
「あ、あれ見て!最近学院が調達したって噂の『イージスモスフォ』だよ?!」
次に私の目に入ったのは、足元の木箱に大まかに分けられた一つの素材群だった。
「おおっ綺麗やなあ」
「王都北西にあるスウェン山脈に生息する巨大な蛾で、体とこの大きな羽根に纏った特殊な鱗粉によって魔法攻撃の威力を弱めるんだよね」
しゃがみ込んで、木箱の中に丁寧に仕舞われた綺麗な羽を覗き込む。
目を凝らすと表面にキラキラと光る粉末がくっついていて、これがきっと鱗粉だろう。
「これ、触ったらあかんよね…?」
「うん…きっとこれから鱗粉を片っ端から採取していくんじゃないかな」
「つい触りたなってまうね。綺麗やし、やっぱり鱗粉が一番貴重なんやろか」
そういうムフレに、私はずいっと体を寄せて食いついた。
「鱗粉も凄いけど、イージスモスフォの凄いところは鱗粉だけじゃなくて素の羽が強靭なところなんだよ!高速飛翔に耐えるだけじゃなく、鉄の武器すら通さない頑丈さを持ってるんだ…!」
「へぇ…」
それに──!
その隣の、さっきから気になっていた木箱の目を向ける。
「こっちは『水晶トータス』だ!こっちもスウェン山脈に生息する魔物だよ!全身を覆う大きな透明の甲羅が迷彩のように機能して外敵から身を隠す陸亀…初めて見たなあ…!」
珍しい素材ばかり…流石王都最大の学院にある倉庫だ。
と──ひとりで興奮していると。
和やかな笑みを浮かべながら感心する様に頷くムフレが目に入った。
「あっ…ご、ごめん!熱くなっちゃった…」
私は急に冷静さを取り戻して、顔を思わず赤らめた。
そんな私を見て、ムフレは小さく笑った。
「ふふふっ、ニィコはおもろいなあ」
「そ、そうかな?」
「めっちゃかわええわ」
めっちゃ…かわええ…?
何とも言い難い感情に襲われながら、私はつい眉間にシワを寄せてしまった。
それを見てまたムフレが面白そうに目を細めるといったやり取りをしてから、気を取り直したようにムフレが口を開いた。
「それで、何の素材を頼まれてるん?」
「あ、えっとね」
肩にかけたバッグの中をゴソゴソ漁る。
頼まれたものを書き留めておいたメモをしまっておいた筈なんだけど、
「えーっと…」
弾かれる様に顔を上げると、不思議な顔を浮かべるムフレと目が合う。
「も、もしかして無くしたん?」
「そっ、そんなはず…!」
私は改めてバッグの中を覗き込む。
教本…筆記具…だけど、やはりお目当ての物の姿は無さそうだった。
「ニィコ?」
そのままぴたりと固まった私にムフレの声が虚しく刺さる。
ど、どこで無くしたんだろう…?!
「やっぱり無くしたんやろ?おっちょこちょいやなあほんま」
「ごめん…」
肩をすくめていると、とんと背中に触れられる。
「もっかい聞きに行こか。まだ間に合うやろ」
「うぅ…ありがとう」
朗らかに笑うムフレに、私は思わず涙ぐんだ。
「でも、私一人で行ってくるよ。ムフレは中を見てて」
「あ、そう?じゃあお言葉に甘えとこかなあ 」
「うん。すぐ戻るね」
私はムフレに背を向けて、もう一度倉庫入り口の鉄扉まで歩み寄る。
はぁ…本当に今日はやらかしばっかりだなあ。
消沈しながら腰から力を入れて鉄扉を押し開ける。
「よいしょっと…お昼もそんなに時間がないから早くしないと」
扉を潜ってわたしは廊下を出た。
一歩踏み出して、立ち止まった。今まで何度も感じ取った──“本能的”な悪寒。
『緊急事態!第四研究室から、中型魔物【赤毛大獅子】が脱走!生徒は直ちに避難を!』
耳に入ったのは誰かの悲鳴と、けたたましい警報音。
たちまち学院を揺らすような喧騒が巻き起こった。
何かが左から押し寄せてくるような感覚に、思わず振り向いた。
「誰…かっ、助けて?!」
獣が居た。廊下の十数メートル奥に。
真っ赤な毛を全身から生やした大きな獣が、地面にへたり込む少女に襲いかからんとしていた。
私は少女の声を聞く前から、行動に移していた。
「こっちを向けっ…!!」
私の手から放たれた火球が、獣の体に触れた。
獣の射抜くような瞳が私に向いた。
「ニィコ…?!」
背後からのムフレの声を聞きながら、私は直ぐに倉庫の中へと駆け入る。
「手伝ってムフレ!!」
「えっ…?」
私は心臓を跳ねさせながら全身の力を振り絞って扉を閉じる。
困惑しながらも駆け寄ったムフレがそれを手伝って、バタンと鉄の大扉は閉じた。
「ごめん…私が気を引いちゃった…いま、廊下にいる…!」
「廊下にって、警報の魔物のことっ?!」
完全に外界と遮断されてしんと静まり帰った倉庫の中に、不安の声が響く。
私とムフレはその鉄扉から一瞬も目が離せなかった。
後ずさりしながら、私はごくりと喉を鳴らした。
「うん。…もう、行ったかな?」
そんな私の言葉に対する返事は、重い衝撃音だった。
ドン!ドンドン!!
扉を鳴らす激しい音に、体が震え上がる。
「は、入ってくる…?!」
内側へひしゃげた鉄扉の隙間から、這い入るように鋭い爪が伸びた。




