4暗闇の縁で
突然降り出した雨の中、私は魔工ギルドの前で立ちすくんでいた。
「そんなの、無理に決まってって」
小さな呟きは、冷たい雨音に掻き消されていく。
私はぼろぼろの外套を深く被り、重い足取りで街の中へと歩き出した。無理だと分かっていても、精一杯足掻いてみよう。いや、私にはもうそれしか出来ることは無いのだから。
「取り敢えず、冒険者ギルドにでも……行ってみるか」
真っ先に思いついたあてだが、これが解決の糸口になるとは到底思えなかった。
理由は言うまでもない。相手はあの『ケルベロス』だから。そもそも、王都の冒険者ギルドにすら、あの怪物を倒せる人物が何人いるというのだろうか。
雨の中を数分ほど歩いて、私は冒険者ギルドにたどり着いた。
ぼんやりと、室内から溢れ出した黄色い光が水面を反射する。
私は入口で濡れた外套をバサバサと払って、フードを頭から脱ぎ、扉を開いて中へと入った。
職人の集まる魔工ギルドとは全く違う野性的な空間。ひどく場違いな空気に身体を縮こませながら、私はこっそりと受付へと進んでいった。
「えっと……」
意を決して声をかけると、カウンター越しの受付嬢がこちらを見下ろした。
「なぁに?」
その優しくも呆れたような口調で、私がただの子どもだと思われていることは何となくわかった。
それでも、ここまで来たら言葉にするしかない。
「依頼をしたくて……その、『ケルベロス』の討伐を」
最後まで言い切る前に、私はひどく心細くなって、外套の端を握りしめる。
私の言葉を聞いてか否かは分からないが、後ろから小さな笑い声が聞こえた。同時に、受付のお姉さんもクスリと微笑んだ。
「どうしたの?『ケルベロス』だなんて?」
お姉さんは馬鹿にしている訳ではなく、あくまで子どもに寄り添うように優しく尋ねてきた。
昨日も同じような扱いを受けたはずなのに、自然と笑顔が浮かんだ昨日とは違って、無知な子どもをあやすようなその笑顔が、私の胸に突き刺さった。
「あの!私、『耐火のローブ』を作らなくちゃいけなくて!」
必死な私の言葉に、受付のお姉さんは僅かに目を丸くした。
「そうなのね。確かに耐火のローブを作るにはケルベロスの素材が必要だけれど……ちゃんと依頼する金は持っているの?」
当たり前の指摘だった。
初めて依頼に来た、子どもにしか見えない小娘が、大金を払えると信用されるわけがない。
それでも、私は最後の勇気を振り絞って、もう一度言葉を絞り出した。
「今は纏まったお金が無いですけど、私、魔工ギルドで働いているので……!」
「ごめんなさいね。ちゃんとお金を用意できる方でないと、依頼は受けられないの」
当たり前だ。
やっぱり、依頼できるわけがなかった。
「……わかりました」
ギルドも善意でやってる訳じゃない。れっきとした取引の場だ。
不確定な報酬に動くほど、暇でもなければ、馬鹿でもない。
呆然と俯く私に、背後で酒を飲んでいた冒険者の男が声を掛けてきた。
ジョッキを片手に酔っ払って、半分意識をふわふわとさせながら。
「嬢ちゃん、地獄の番犬を倒せるヤツなんてのは、王都にも数える程しかいねえんだぜ?大金が動くデカい仕事さ。貴族のぼっちゃんでもそう簡単に依頼できねえっつうモンよ」
「そんなこと……」
私は立ち竦んだまま、拳を握った。
「そんなこと、知ってますよっ…!」
反射的に叫んで、涙を堪えながら、逃げるように走り出した。
扉へ体当たりをするみたいに、ギルドから飛び出して。
バシャバシャと水たまりを蹴り、外套のフードをはためかせながら、冷たい雨の降る大通りをがむしゃらに走る。
「なんで……っ」
顔にも目にも雨が掛かって、街中の光がぼやけていく。
「私は何を、しているんだ…?」
足元をくじいて、転びかけて。
だんだんと気力が沈んでいく。
「こんなことしたって…意味、ないのに」
走り疲れて、雨に打たれることにも疲れて。
私は道の脇の軒下に、倒れ込むようにへたり込んだ。
寒さで震えながら、ゆっくりとため息を吐いて、雨でぐしゃぐしゃになった顔を外套で拭う。
「…ニ年間、結構、頑張った筈だよ」
王都へ来てから、そんなに経ったっけ。
田舎の辺境の村からやって来て、運良く学院に受かって、魔工ギルドにも推薦してもらって。
舞い上がっていたのも、懐かしいなあ。
「どうやって帰ろうかな……実家まで、節約しても…足りないよねっ」
そもそも生活しているだけで精一杯なのだから、遠い田舎に帰るお金なんて貯金していない。
雨で濡れているから誤魔化せる。
そんな自分でもよくわからない理由をつけて、今まで我慢していた涙を堰を切ったように流してしまった。もうどうしようもない。
三日後には、私の居場所は無くなってしまう。
「──誰だ。今は閉店時間だぞ」
背中を、何かが押す感触があった。
ああ…私は店の扉の前にしゃがみ込んでいたのか。
頭上から突然降ってきた低い声に、私は膝に埋めていた顔を、ゆっくりと上げる。
「すみません」
私は涙を拭いながら、声の主である店主へと謝罪の顔を向けた。
「えっ、あ」
きっとその時の私の顔は、ひどく間抜けだったと思う。
それくらい、私には予想外の出来事だったから。
「あ……あなたはっ」
「ん?お前、昨日会った茶髪の」
店の扉を開けて顔を出していたのは、見上げるほどの大男。
昨日私の命を救ってくれた、あの人だった。




