3通達
昨日は良く眠れなかった。
無理もない。死を覚悟する状況に遭って、実際に身体も麻痺させられたのだから。
まだどこか、身体のどこかに違和感を感じる。
でもそれくらいで済んだのは、あの応急措置のお陰だ。
どこか居心地の悪いこの場所で、私はただ天井を見上げつつ、頭の中に一人の男の姿を想起させていた。
「名前すら、聞き忘れちゃったな」
私を救ってくれた大柄な男性は、私を街へ送って直ぐにどこかへ行ってしまった。
全く恩義を着せるという風でもなく、寧ろ解体を手伝ってくれて助かったというように。
聞けたのは、王都で雑貨屋を営んでいるということだけ。颯爽と去っていった命の恩人に、もう一度会ってお礼がしたい。
……しかし、そんなことを考えている余裕が無いことくらい、私は痛いほど知っていた。
「ねえ、お前。昨日は何をしていたんだ?」
突然耳に入った言葉は、私の身体を小さく震わせた。
「あ……えっと」
突然の低い声。振り返ると、不機嫌な表情を隠そうともしない、青髪の男が立っていた。
彼に肩を乱暴に掴まれて、私の身体は強引に引き寄せられる。
「なに黙りこくってんの?ねえ、コッチは質問してんだけど?」
「ごごっ、ごめんなさいっ!」
彼は学院の同級生の、リモウグ。
名門貴族ウーニル家の次期当主として名高いエリートである彼は、同じ魔工ギルドの所属とは言っても、私とは立場が歴然と違っていた。
私に出来ることはない。
田舎からやって来て暮らすお金を稼ぐことで精一杯な私は、ただ彼に従うことしか出来ない。
「昨日は……用事がありました」
「吐くならもっとマシなウソにしろよ。ま、いいや」
リモウグは舌打ちを一つ、大きな箱を蹴るように、私の足元へ滑らせる。
きっと魔石の仕分け作業だろう。
「あ、それと。これに目を通しておいてよ」
「え?」
ニィ、と。リモウグは酷悪な笑みを浮かべ、一枚の紙切れを乱雑に机へ押しつけた。
「じゃあ、せいぜい頑張りなよ」
それだけ言い残して、彼は部屋を出ていく。
無表情を保っていた私は、反射的に眉を潜める。
嫌な予感がする。
あんなに嫌な笑顔は、私も見たことがなかった。
「なんだろう、これ……?」
恐る恐る、紙を手に取る。
無機質な文字が印字された粗い紙に。
それは、“上”からの通達書だった。
内容を読み進めた私は、思わず上ずった声を上げてしまった。
『君を研修生として一年間任務に就かせてきたが、当ギルドとしては、特筆すべき成果を認めるには至らなかった。よって最終試験として一件の任務を命じる。三日以内に、以下に示す品を納品せよ。
期限内に達成できなかった場合、君は即刻ギルドより除名とする。
ギルド長ゲルヌ・アンクレイ』
つまり。
その文章を要約するなら。
──ここに書いてある物を納品できなければクビ、ということ。
けど、そんな突拍子もない話に息を呑む暇すら無かった。
「た……『耐火のローブ』……?」
指定された“物”こそが、それだった。
私は書かれた文字を見たまま、自分の目を疑った。
記憶が正しければ、『耐火のローブ』の材料は───。
───地獄の番犬、『ケルベロス』の皮膚。
ドクン、と途端に心臓が早鐘を打つ。
王都の凄腕冒険者でさえ生還できるか分からない、凶悪な魔物。魔法も使えない私が倒せる筈がない。
そして、誰かに依頼するようなお金も…..当然ない。
「どうして……なんで、こんな事に」
無理難題を押し付けられ、理不尽に捨てられようとしている事実に、私は小さく震えるしかなかった。
ミスもせず、命じられた雑用を淡々とこなしてきただけなのに。
視界が暗く歪み、逃げるように、瞼を閉じる。
暗闇の中に、希望は見つからなかった。
ただ、走馬灯を振り返るかのように、昨日のことが思い出された。
『どけっ!納品に間に合わねえだろうが!』
不意に、コカトリスの首を吹き飛ばした大剣と怒声がフラッシュバックした。
地獄の番犬。王都の冒険者でも手が出せない凶悪な魔物。
あの、常識外れの力を持っていた彼なら、あるいは──。
「……何を期待しているんだ。名前も、王都のどこにいるかも分からないのに」
かすかに過ぎった現実逃避を、私は自嘲気味に打ち消した。
私は力なくその場にへたり込み、ただ冷たい床を見つめていた。




