2大きな背中
「ふぅ……う」
死ぬかと思った。事の顛末を振り返り、改めて大きなため息が漏れる。死を覚悟して、家族のことや、これまでの人生を走馬灯のように振り返っていたのに。
それなのに──なんで私は今、コカトリスの解体をしているんだろうっ!?
「中々良いウデしてるな」
「……あっ、はい!ありがとうございますっ!」
なんで私は褒められて、嬉しがっているんでしょうかっ!?
さっきまで私を捕食しようとしていた怪物が、今はただの肉塊となって吊るされている。
眼の前には、一人の大男。
私よりも一回りも二回りも大きい彼の、その身長と同じ位の大剣を背中に携えている。
薄い服の下から隆起する、巌のように硬そうな筋肉。
と──不格好な緑色のエプロン…。
それに、ただ冷たくて愛想の悪い仕事人のような人かと思ったけれど。
意外にも懇切丁寧に教えてくれることも、よくわからない。
この奇妙な男に、私は口を開いた。
「あの、本当に、ありがとうございます」
大男は無造作に長い白髪を揺らして、頭を下げる私の方を振り向いた。
「ん?なんだ、そんなに解体がしてみたかったのか?」
「ち、違いますよっ!」
いや、確かに生きたコカトリスの解体なんて滅多にできない貴重な体験ですけれど!
「冗談だ。しかし、子どもが一人で森に入っちゃあいけないだろう」
「子どもじゃないです……!」
からかっている様ではなく、無愛想な表情のまま、彼が私の顔を覗き込む。
こ……この人、良い人なのか変な人なのか分からないなあ……?
「も、もう学院の二年生なんですよっ」
至近距離で見つめられた恥ずかしさから、私はぷいっと目を逸らした。
「へぇ、二年ね。ま……確かに子どもならギルドに入れねぇか。なら、子どもじゃないんならお前は何故こんなところにいる?」
作業の仕上げにかかりながら、背中越しに尋ねてくる彼。その何気ない問いかけに、私は急に現実へと引き戻されるような感覚を覚えた。
今起こっている「非日常」ではなく、ギルドでの息の詰まるような「日常」の記憶。
「……私は」
自身の境遇を話そうとしたところで、どうしても言葉が詰まってしまう。
誰かの叱責が飛んでくるような気がして。弱音を吐けば、これまで必死に積み上げてきたものがすべて崩れ去ってしまうような、得体の知れない強迫観念に縛られていた。
「どうした?」
「いえ、なんでもないです!道に迷っただけ……ですっ」
ギルドで毎日、耐え難い雑用に忍んできた。重たい荷物を運び、理不尽に怒鳴られ、それでも歯を食いしばって耐えてきた。その先に必ず希望があると、ただ信じたかっただけなのかもしれない。
「よし。こんなもんかな。これなら直ぐに戻れば間に合うな。嬢ちゃんもまたな」
無愛想な表情はそのままに、彼は別れの挨拶のように軽く片手を挙げた。
「だから、子どもじゃないですって」
不満げに口を尖らせながらも、どこか頼りがいのある父親を見つけたような気がして、胸の奥が少しだけ温かくなる。
彼は広げた布に解体した素材を手際よく押し込むと、出来上がった大袋を軽々と肩に担ぎ上げた。
そのまま街の方向へと踵を返す大きな背中に、私も急いで続こうとした、その時だった。
「うっ……!」
一瞬、視界が真っ白に明滅した。グワングワンと揺れる意識の中、崩れ落ちそうになった私の体を、肩に置かれた分厚く力強い手が支え止めた。
「……コカトリスの神経毒か。あれだけ至近距離で見つめられていたからな」
気づけば、私の小さな体がすっぽりと影に埋まるほどの至近距離で、彼が私の顔を覗き込むようにしゃがみ込んでいた。
「あ……その」
うまく言葉が出てこない。それは毒のせいだけではなかった。きっと、苦しみに一人で耐えることに慣れていたから。このまま一人で森に取り残されればまたさっきの二の舞になると分かっても、急いでいるはずの彼を引き留めて「助けて」と言うことが、どうしてもできなかった。
「仕方ない」
ドサッと、へたり込んだ私の隣へ彼があぐらをかいて座り込む。そして大袋の中から先ほど解体したコカトリスの素材の一部を取り出し、何やら手早く作業を始めた。
「毒をこのまま放置すれば後々響くかもしれない。今のうちに対処したほうがいい」
「で……でも、その素材は……?」
「依頼されたのは羽だけだ。ほかなら使っていい」
そうか……コカトリスの神経毒は、コカトリス自身の胆嚢から作れる急造の薬で解毒できる。私は朦朧とする意識のまま、ただ静かに流れる時間の中で彼の横顔を見つめていた。そして数分が経った頃、彼がふと手を止めて私を振り返った。
「コレを飲め」
差し出された小瓶の中では、ひどく濁った黄緑色の液体が揺れていた。
「すみ、ません。いただきます……」
震える両手で受け取り、覚悟を決めて一息に流し込む。舌に触れた瞬間、焼け付くような強烈な苦味が口いっぱいに広がった。
「全部飲め。吐くなよ」
獣臭い油の匂いが鼻へと抜け、思わずひどく咳き込む。喉がヒリヒリと痛む。だが、しばらく呼吸を整えていると、胸の奥を締め付けていた嫌な麻痺が、嘘のようにスッと引いていくのが分かった。私が大きく一息ついたのを見計らって、彼が立ち上がる。
「応急処置だが取り敢えずいいだろう。行くぞ」
「えっ……!?」
残っていた朦朧とした感覚が、驚きでそのまま空へと吹き飛んだ。視界がぐるんと大きく一回転する。一瞬だけ宙を舞った私は、気づけば彼の広く分厚い背中に乗せられていた。
「あっ、ありがとう……ございます……!?」
彼は大袋を片手で担いだまま、もう片方の腕で当然のように私を背負い直した。
それから彼はもう何も言わず、街へ向かってゆっくりと歩き出した。
「……」
私は彼の背中に、そっと額を預ける。
揺れるたびに頬をかすめる白い髪。
眩しい朝の光に目を瞑って、私は静かな森の中、会話もなく、ただその大きな背中に揺られていた。




