36呆れるほどに
気づけば私はその場から、1メートルは離れるように飛び跳ねた。
一回転して振り返り、地面に手を付いてパウモイさんの方を見た。
だけどそこには、誰もいなかった。
「パウモイ…さんっ?」
木の葉が舞う森の中には、パウモイさんの姿は無かった。
混乱する私の背中に、ぽんと何かが乗っかった。
私は肩を跳ねさせて、背後を振り返った。
「わぁっ…?!」
「ニィコさん。びっくりしたっすか?」
そこには普段どおりの、飄々とした笑みを浮かべる黒髪の男が立っていた。
何が起こったのか、パウモイさんが何をしたのかは、全く分からなかった。
ただパウモイさんは顎に手を当てながら、私を観察するように覗き込んでいた。
木々の隙間を通り抜ける風の音だけが聞こえる森の中。
私は戸惑いながら口を開いた。
「今、何をしたんですか…?」
数秒前のことを振り返って、私は眉を潜めた。
突然背後に強烈な悪寒を感じて、私は咄嗟に前に大きく回避した。
けれど振り向いた先には誰も…パウモイさんすらいなくて。
気づけば、パウモイさんは私の後ろに立っていた。
「試験っす。いきなりで驚かせちゃったっすかね?」
穏やかな笑みを見せながら、「失礼したっす」と軽く手を合わせた。
試験──そう言われても、結局何をしたのかは分からなかった。
詳しいことを教えてくれそうな雰囲気も無さそうだった。
「それじゃあ、もう試験は終わったんですか?」
「そうっすね」
私の言葉にそう答えて、パウモイさんは首を捻る。
それから少し考えるように目線を泳がせてから、言った。
「……合格っす」
「へ…?」と。
喉の奥から呆けた声が通り抜けた。
「えっ……本当ですか?嘘じゃないですよね…?!」
「まぁ落ち着いてくださいよ」
どうどう、とばかりに両手を見せて制止の合図をされる。
「嘘でも冗談でも無いっす。ニィコさん。この冒険者に推薦するための試験…合格と言っていいっす」
そう言い切られる。
興奮に、心臓の鼓動が昂っていく。
けれどそれと同時に、こんなもので?
という気持ちが浮き上がってくる。
「でも、パウモイさんさっきも、一角ホッグを倒したときもため息をついて…」
「うぅん……」
「?!」
そのなんとも言えない唸り声に、心臓がきゅっと縮まりそうになる。
目を丸くしていると、パウモイさんはニッと目を細めた。
「へへ、冗談っすよ」
「えっ?じゃあ合格の方も…?」
「んなわけないっすよっ…?そんな鬼じゃないっすよ?」
そう取り乱すパウモイさんを見て、思わずホッと胸を抑える。
「流石にそんな酷いことしないっすよ…一角ホッグのときも、ニィコさんの実力が想像以下でため息をついたわけじゃないっす」
それから、「…ある意味呆れたんすけどね」と言われて私は首を傾げる。
「なんでもないっす。ま、ニィコさんは特別な才能を持ってる。とだけ言っておきますか」
あっさりとした返答だったが、私はパウモイさんの背中を見ながらその言葉を噛み締めた。
「ただ合格とは言ったっすけど、直ぐに推薦は出来ないっす」
「そうですよね。パウモイさんも忙しいでしょうし」
「一週間くらいは先になると思ってください」
一週間。
今の私にはひどく長く感じるけど、直ぐのことなんだろうな。
やりたいことは沢山あるんだ。
気長に待つことにしよう。
*
ニィコさんとの試験を終え、俺は一人王都大図書館に向かって歩いていた。───ニィコさんから回収した、木製の腕輪を手に。
くるくるとそれを指の上で回転させてから、ポケットの中に仕舞う。
ムーシュラさんの『占い』に使うこの木製の腕輪も、準備はバッチリだ。
俺自体も『占い』の詳細は知らないが、間違いなく言えることはやって損はないということ。
『占い』によって近い未来を大まかにでも予測することが出来れば、ニィコさんの渡る危ない橋の支えになる。
特別書庫の件に加えて冒険者にもなりたいと言い出したときは頭を抱えたが、保留にしている訳だから『占い』の結果次第で止めることもできる。
…というか、アレはなんなんすか。
脳裏に浮かぶあの小柄な茶髪の少女に、俺はつい眉を歪めた。
雪山で話した時に聞いた「魔物を観察すること」という変態的な趣味は半信半疑だったが、そんな考えを吹き飛ばす衝撃を受けた。
俺は『合格』を告げた。
そう、告げざるを得なかった。彼女の実力を目の当たりにして、その実力を発揮させず腐らせるという選択肢は一瞬にして潰えた。
一言で言えば────ニィコという少女は『天才』だった。




