33共同作業
あの王都大図書館の地下、『特別書庫』に足を踏み入れてから一週間が経った。
この空間に少しは慣れたかもしれないけど、情報を漁れば漁るほど深淵の深さを思い知らされる。
ところで、結局のところ、私の“お願い”はあっさりと断られてしまった。
「特別書庫ならまだ直接的な危険には曝されないっすけど、冒険者はまるっきり別っす!」
──と、呆れ顔のパウモイさんに言われたのを覚えている。
先ずそもそも、冒険者というのは簡単に成れるものではない。
前にパウモイさんから制度についての話を聞かせてもらったとおり、冒険者ギルドはかなり厳格に冒険者を管理している。数十年より前は野蛮者たちが腕っぷし一つで成り上がる、誰でも成れるものといった職だったらしいけど、近年は安全重視だ。
学生程度では簡単に成れないし、寧ろ学院を出た後の進路と言った方が正しい。
その後に口にしていた、「まぁ…ニィコさんがなりたいって言うなら、俺がちゃんと実力に足るか確かめてから…考えさせて下さい」
という言葉を思い出して私は口の端を小さく浮かせた。
私はそれに図々しく食いついて、今度パウモイさんから試験を受ける約束を取り付けた。
彼もまた超がつくお人好しだ。…けど考えるほど、私の口元は沈んでいく。
「私はまだ…スタートラインにも立てないのか」
あの赤髪の少女を脳裏に浮かべて、情けなさと悔しさから、指先に力が入る。
まだ何も成長していないばかりか、このままだと、距離は遠のいていく。
そんな現実に。
背中から這い上がって縋り付く焦りを払うように、私は勉強に没頭した。
毎日毎日、空いた時間をずっと王都大図書館の地下で過ごして。
そんな日々が過ぎていった。
* *
軋む音で目が覚める。
物置部屋に無理やり押し込んだ簡易ベッドは、俺の図体には少しばかり窮屈だった。
首の骨を鳴らしながら立ち上がり、薄暗い部屋を出る。
現在、この雑貨屋ナバナには居候が一人いる。
帰る家のないニィコを住まわせるにあたって、俺はもともと自分が使っていた二階の寝室をあいつにあてがった。
野営に比べれば屋根があるだけ天国みたいなもんだがな。
一階の店舗に降り、厨房で火を起こし、料理を始めた。
今日はアイツの当番だから、いつもなら俺が起きる頃にはすでにニィコが起きてきて、バタバタと朝食の準備を始めている時間だ。
だが、今日は二階から足音が聞こえてこない。
……ま、最近は妙に勉強に根詰めてるようだったしな。
出来上がった二人分の朝食を皿に盛り付けて、俺は一人食卓に着いた。
そう言えば、こうやって一人で食事するのはいつぶりだろうな。
妙な静けさを感じつつも、俺は食事を口に運ぶ。
ここ数日、あいつは学院が終わった後も遅くまで王都の図書館に籠もりきりだった。
夜遅くに帰ってきては、目の下にうっすらクマを作りながら、ノートになにかを書き込んでいた。
疲れが溜まっているのだろう。たまには寝坊くらいさせてやるか。
数分で食事を終えた俺が、一人で開店準備の品出しを始めようとしたところで。
「───っ、ビルクさんっ!?」
ドタドタドタッ!と、階段を転げ落ちるような激しい足音が響いた。
「す、すみませんビルクさんっ!私、思いっきり寝坊を……って、ああっ……もう8時ですかっ……!」
「騒がしいな朝から。落ち着け」
振り返ると、寝癖で髪を爆発させたニィコが、涙目でこちらを向いていた。
「別に急ぎの仕事もないんだ。焦ってる暇があったら顔洗って飯食ってこい」
「うぅ……ごめんなさい。急いで食べて、すぐ手伝います……!」
*
朝のドタバタが落ち着き、客足の途絶えた昼下がり。
俺たちはカウンターの奥で、昨日俺が採取してきた『ハゼサソリ』の素材の解体作業を行っていた。
「……よし。やり方は覚えているか?」
「えっと、毒腺を傷つけないように、この関節の隙間から刃を入れて……」
ニ匹のサソリを、俺とニィコが横並びで解体する。
前にも一度同じことをやって、そのときにやり方を教えたのだ。
「…ビルクさん。ハゼサソリの毒腺を取り出すときは、先に根元を少しだけ火で炙った方がいいんでしたっけ……?」
「ん?」
「確か、熱に反応して一時的に毒がゼリー状に固まるから、液漏れせずに綺麗に抜ける上に……ちょうど良く麻酔成分だけが残されて、抽出する手間が省けるって───あっ…違いましたかね?」
無言で聞き入る俺を見て、自信なさげに、上目遣いで尋ねてくるニィコ。
言われてみれば、そんな手法も聞いたことがある。
「……お前、よくそんなこと知っていたな」
「ええと……この前読んだ本に、ちょっとだけ載ってたんです」
そう言いながら、ニィコは小さくはにかんだ。
確かに理論上では一番効率の良い方法だ。
「だが、その方法は“誤差なく一定の温度を保たなければいけない”高難度の技術だぞ?」
「あっ....そうですよね」
現実的な言葉に、ニィコは小さく肩を落としてしまった。
いや……出来ないと切り捨てるのも良くないな。
「試しにやってみるか?出来なくてもいい。理屈を知ってるなら試してみろ。失敗したところで、毒が抜けて晩飯になるだけだ」
「本当、ですか?」
「ああ」
俺の言葉にニィコは小さく頷いた。
それから緊張した面持ちでハゼサソリに向き直り、ハゼサソリの尻尾の、根元付近でピタリと指を止めた。
「ふぅ……」
息を吐き出しながら。
ニィコは指先に小さな魔法の火を灯した。毒の集まる根本から、ちょうどいい距離を保ち続ける。
その所作に、俺は息を呑んだ。
……いける。
そう思った瞬間───ニィコの指先が僅かにぶれた。
「あっ」
尻尾の根元が白く変色した。
温度が高すぎて、中の麻酔成分まで焼き切れてしまった証拠だ。
明らかな失敗に、ニィコは緊張を解き残念そうに眉を曲げた。
「す、すみません……やっぱり」
「───いや。もう一度やってみよう」
俺は自分の手元にあった手付かずのもう一匹を、スッとあいつの前に滑らせた。
「えっ?でもこれが最後の一匹ですよ……?」
遠慮を見せるニィコに、俺は軽く笑ってみせる。
「今度は俺が腕を固定してやる。ニィコ、お前は火の調節に集中しろ」
「は…はいっ……!分かりました!」
俺は横から手を伸ばし、ニィコの細い手首をガッチリと掴んで固定した。
もう一度、ハゼサソリの尾の近くで火を灯す。
1秒、2秒と、やけに長い時間が経っていく。
……これは別の緊張感があるな。
ゴクリ…と、ニィコが息を呑む音さえよく聞こえる。
俺はその小さな、さっきよりも妙に震えている気がする手を、力加減に細心の注意を払い押さえ込む。
───そして。
「やったっ……?!」
遂にハゼサソリの尻尾の根本が黄色く変色した。
成功だ───。
ニィコは直ぐに指先の火を消して、俺も直ぐにニィコから離れる。
「まさかニ回で成功するとはな」
「ビルクさんのお陰ですよ…!」
この過程で最も難しいのは火の調節だ。
これは正真正銘高難度の技術なのに。
ニィコのやつ........やっぱり、こいつは大きな才能を持っている。
しかし今の学院ってのは、そんな細かい知識まで教え込むんだな
喜びに浸るその小さな背中を見ながら、俺はふと、息を吐く。
最初に行き倒れていたのを拾った時は、少しでも見せの作業が軽くなると良いくらいに思っていた。
だが────。
なんだかんだ、コイツには助けられている。
魔物の観察をしたいとかって狩りに付いてきたり。
危なっかしくて見ていられないがな。




