30 王都大図書館の裏側
王都大図書館。
この頃、学院やナバナの仕事がない時間はずっと図書館に張り付いていた。魔物の生態、魔法の原理、魔道具の仕組み。手当たり次第に本を引き抜いては、読み漁る日々。
「お、あったあった…」
私はぎっちり詰まった巨大な本棚の中から、ひときわ分厚い1冊の本を抜き取った。
『基礎魔物大態録三』──。
背表紙に刻まれた文字を反芻する。
私は既に持っていた1冊の本と一緒に、それを胸の中に抱え込んだ。
「あらぁ、ニィコちゃん。毎日偉いわねえ」
目元にシワの寄った和やかな笑みを見せる司書のムーシュラさんに、私は頭を下げる。
約二年前からこの図書館に通って、それからずっとお世話になっている人だ。
「こんにちは、ムーシュラさん。これもう読み終わったので、返しますね」
「はいはーいっ…ん?」
私が一つのを受付に置くと、それを見たムーシュラさんが、ぴたりと止まった。
それから目を丸くして、口を開いた。
「『基礎魔物大態録』の“二巻”!もう勉強し終わったの?」
驚きに声を上げるムーシュラさんを前に、私は虚を突かれたようにびっくりしてしまった。
「は…はい。さらっと目を通しただけですけど」
「そんな事無いでしょう?ニィコちゃんがずっと閲覧室で勉強してるの、知ってるんだから」
本を捌きつつそう口にするのを聞いて、私は自然と頬が緩んでいた。
勉強をして魔物に詳しくなっても、今のところは成果は出ない。いつか必ず役立つと信じていても、たまに報われないことに嘆息することもあった。
「…ありがとう、ございます」
その言葉以上に、私は心が温かかった。
「それじゃあ、今度は三巻を借りるの?」
「はい。これです」
「感慨深いわねえ。一巻を借りたときは初々しいひよっ子みたいだったのに、もう立派な学者のようだわ」
ムーシュラさんは穏やかな瞳で、まるで娘を見るように私へ目を向けた。
私は一瞬だけ、社交辞令のお世辞なのかもしれないと思ったけど、そんな考えを振り払った。
「そうですかね?」
「ええ。勉強頑張ってね」
「はいっ…!」
本を差し出しながら目を細めるムーシュラさんに、私は精一杯の返事をした。
私の胸に、自然とやる気が湧いてくるのを感じた。
新しい表紙、前よりも一回り分厚い感触。
この分厚い魔物の辞典を握りしめて、新鮮さに浸る。
「あれっ……?」
自然と閲覧室の方へ運んでいた足が止まる。
一瞬、見間違えかも知れないけど、見知った人影が見えたからだ。
パウモイさん……?
気のせいかな。見覚えのある黒髪が、本棚の向こうをすり抜けていったような。
猫背でどこか飄々とした歩き方が見えた気がした。
声に出す前に、もう一度確かめようと私はそっと後を追った。
(や、やっぱりパウモイさんだ…でもどうして図書館に?)
いつも図書館に来るのに、今まで見かけたことはなかった。
パウモイさんは閲覧室を横切り、廊下へ出て、階段を降りていく。
一階から、より専門的な書物の保管される地下一階へと。
こっそりと足音を立てないように慎重に階段を降りていく。
すると階段を降りた先、パウモイさんは右へ曲がった気がしたのに、その先には誰もいなかった。
あれっ、どこへ……?
「────なぁにコソコソしてんすかぁ、ニィコさぁん」
「ひゃあっ!?」
背後から肩に手が置かれ、私は飛び上がるように振り向いた。
いやらしい笑みを浮かべたパウモイさんが、腕を組んで立っていた。
「っ……い、いつの間に……!」
「ずっと気づいてましたよ。気配隠すの下手っすねえ」
つ、つい大声を出してしまった。
周囲の人の冷たい視線が刺さる。
私は顔を赤くしながら、声を落とした。
「…あの、パウモイさん。こんなところで何をしてるんですか?」
「それはこっちの台詞っすよ」
パウモイさんは肩を竦めて、皮肉めいた顔をした。
「…すみません、こっそりつけたりしまって」
頭を下げる私に、パウモイさんは小さく息をついた。
「まあ……用事があって来ただけっすよ。ニィコさんには関係ない話っす」
そう言いながら、パウモイさんは視線を横に流した。
階段を降りて右側の本棚が並ぶ空間とは反対の、多分、関係者しか入れない図書館の裏側。
薄暗い通路の先に、金属製の重そうな扉があった。
扉の上には目立つようには、予想通りの文字が刻まれていた。
『関係者以外立入禁止』
「こっから先は……"特別な人"しか入れない禁域なんすよ」
パウモイさんは扉を指して、そう言った。
「あ、ヘンな意味じゃないっすからね……?」
よくわからない補足が飛んできたけれど、私の頭の中では別の言葉が響いていた。
「───もしかして……『特別書庫』のことですか……?」
思わず、頭に過った言葉を口にしてしまった。
慌てた頃にはもう遅く、パウモイさんの表情は一瞬で固まっていた。
らしくもなく眉が歪めて、その目をすっと細くしていた。




