26抑え込んだ気持ち
「あなたは……あのときの!」
「茶髪猫。一昨日ぶり」
「ちゃぱっ…?」
思わず言葉にならない声が出る。
茶髪猫って、私のこと…!?
初めて付けられた、しかもよくわからないあだ名に、思わず立ったまま固まってしまった。
「ムギちゃん。彼女はニィコさんって言うんすよ。っていうか、なんで猫なんすか?」
そう聞きつつ、ムギロッテさんの隣に座り込むパウモイさんを見て、私も対面に座る。
「小さくて可愛かったから」
「っ……!私はこう見えて十九歳なんですよっ?えっと、ムギロッテさんですよね?」
「よろしく。茶髪猫」
「もうそれで決定なんですね…」
「すいませんねニィコさん。ちょっとコイツ、馬鹿みたいに正直なんすよ」
“馬鹿正直”──確かにその言葉は、ぴったり嵌まる気がした。
けどそう考えると、私を見たありのままの仮想が、茶髪猫ってことになるけど……!
意味のわからないところで悶々としていると、パウモイさんが店員を呼びつけて注文を始めた。
「もっと沢山頼んじゃって良いっすよ?ムギちゃんなんて、俺が奢るって言い出してからこの調子っすからね」
「あ…えっと、あれだけでよかったです」
私が頼んだのは一杯のミルクコーヒーと小さなパンケーキだけだった。
──頼んでからしばらくして、運ばれてきた食事が運ばれてくると、またパウモイさんが口を開く。
「やっぱり少ないんじゃないっすか?」
二つの皿が私の前へと置かれて、それを受け取る。
「私はそんなにお腹が空いてないので大丈夫ですよ」
「ホントっすか?いやあ、優しくて泣けてきたっすよ。ムギちゃんも見習って欲しいっすわ」
私が遠慮していることを見透かしているように、そう言った。
ムギロッテさんの方を見ると、既に夥しい数の食べ物が並んでいた。
…全く遠慮は無いみたいだ。
パウモイさんは自分のコーヒーにミルクを注ぎながら、スプーンでゆっくりと茶色の渦を作る。
「へへっ、ニィコさんはビルクさんと似てるっすね」
「え……どういう、意味ですか?」
その何気ない一言に、私はカップを持ったまま手をピタリと止めた。
気のせいか、視界の端でムギロッテさんも手を止めたような気がした。
「自分を削ってでも、他人を優先したがるところとか」
その言葉は──自分の中にストンと落ちたようだった。
自分の仕事よりも、私を背負うことを優先してくれたビルクさんの、広くて温かい背中。
私はつい、カップの縁を指でなぞった。
「何か思い当たることでもあったっすか?」
「そう、ですね。……私、コカトリスに襲われてるところをビルクさんに助けられたんです。その時、ビルクさんは素材の納品期限が間近で急いでいたみたいなんですけど……」
「ああ、前にちょっと言っていたことっすか。そこでニィコさんを助けるために期限に遅れたってことっすね?」
それは、私にその事実を言わせないためか。
どちらにせよ、言い当てられた私は静かに頷き、膝の上でギュッとスカートの生地を握りしめた。
「ま、ビルクさんなら迷わずニィコさんを選ぶでしょうね」
「けど……私のせいで昨日、依頼主が怒ってやって来たんです。もし私のせいで雑貨屋が潰れたら……」
「そんなの関係ないっす。自分が多少損しようと、ビルクさんはニィコさんを助けたことを絶対に後悔しない」
断言するパウモイさんの言葉に、ビルクさんの姿が重なる。
彼は本当に、後悔など微塵も見せていなかった。
「パウモイ事件のときも、同じ。でしょ?」
食事を頬張りながら、ムギロッテさんが不意に口を挟んだ。
「パウモイ事件……?」
「勝手に名付けないでくださいよ。あれ?ニィコさんは知らないんすか?ビルクさんがギルドを辞めた理由」
「聞いたこと、ないです…!それ、私にも教えてくれませんか…?」
あんなに強くて誠実な人が、ギルドを辞めた理由。
ずっと気になっていたことだった。
それは私のものほど単純な事件でないのか、パウモイさんが複雑そうに言葉を濁していると、横からあっさりとした答えが返ってきた。
「パウモイがやらかしたのを、ビルクが尻拭いしてギルド抜けた」
「随分簡潔に纏めたっすね……ま、そういうことなんすけど」
あっさりという言葉で形容して良い内容じゃない。
この話もまた、「他人を優先したがる」という言葉に直結するのだ。
「昔から今まで、ビルクさんはずっとそうなんすよ。だからこそ、それに似たニィコさんを見てると応援したくなるんすよね。ま、そろそろ本題に入りますか」
私はビルクさんとはまるで違う──。
と言おうとした言葉は、出なかった。
「──俺の勘違いじゃ無かったら、ニィコさんはビルクさんに好意を抱いてる。違うっすか?」
全く予想だにしなかった直球の問いに。
私は飲み込みかけていたパンケーキを、盛大に吹き出しそうになってしまった。
「ごほっ……!?」
慌ててハンカチを口元に当て、咳き込む。
「その様子から見ても、図星みたいっすね」
私は……ビルクさんに好意を抱いている。
心のどこかで蓋をしていた感情を、真っ直ぐに言葉にされた。
それは想像以上に、私の心を激しく揺り動かした。
「何?茶髪猫もビルクが好き?」
「っ……!」
その無垢な言葉に、私は息を詰まらせた。
肯定することも否定することもできない。
やっぱり、自分から言葉にするのは難しい。顔が火照り、じわじわと変な汗が滲み出てくる。
沈黙を貫く私を前に、パウモイさんが話を進めた。
「問題ってのは、この“馬鹿正直ちゃん”のことっす」
パウモイさんは呆れたように、食事をかきこむムギロッテさんの肩をぽんと叩いた。
「ニィコさんも雪山で聞いていたと思うっすけど、今目の前にいるのは“恋敵”ってことになるんすよ」
それは──ムギロッテさんが言った言葉。
確かに「惚れた」と。
私は、愛の告白としか取れないあの言葉をしっかり聞いてしまっていた。
「…そ、そうだとして、パウモイさんはどうするつもりなんですか?」
「応援したくなっちゃったんすよ。雪山でムギちゃんが告白した時、ニィコさんの顔を見て思ったんす。あ、この子は自分の気持ちを押し殺しちゃうタイプだなあって」
パウモイさんの優しい視線に、私はいたたまれなくなって俯いてしまう。
「……私は、ビルクさんに救われたから……だからこそ、自分の気持ちを優先して、あの人に迷惑をかけたくないんです」
「くぅぅ……!もどかしいっ!」
私の言葉に、パウモイさんは酸っぱい物を食べたみたいに顔にシワを寄せた。
「茶髪猫。自分に自信がない」
「それも、そうですけどっ……!私はムギロッテさんより弱いですし……見た目も……」
迷惑を掛けたく無いというのは本当だけど、それに加えて、自分なんか──という自己否定に陥ってしまう。強さも、精神力も、見た目さえも…何一つ彼女に勝っているものは無いんだから。
自分の子どもらしい体型へ視線を落としたところで、パウモイさんのワザとらしい咳払いが飛んできた。
「見た目は個人の好みとして置いておくっすけど……ま、そうっすよね。ムギちゃんの存在自体が壁になる。『強さ』は一番わかりやすい指標ですしね。自分より優秀で、しかも猛烈アタックしてるライバルが現れたら、引け目を感じて当然っす」
ムギロッテさんなら、足手まといにならずにビルクさんと肩を並べられる。
その事実に、私は自分の身体がだんだん重く沈んでいくような感覚になった。
「ニィコさん。俺はいつも中立っすけど、今回ばかりは見過ごせなかった。ぽっと出のこんな奴と自分を比較して、勝手に思い潰されるのを放っておけるわけないでしょうが」
「ふん。……お前が介入しなければ、私の勝ちだったのに」
その言葉に、ピクリと反応する。
ムギロッテさんは、私をライバルとして見てくれているのだろうか。
「私は……ビルクさんの隣に立てるんでしょうか……?」
すがるように顔を上げると、パウモイさんとパチリと目が合った。
パウモイさんは、目を細めて言い放った。
「ぜんっぜん無理っす!」
「ぜんっ……ぜん!?」
冷水を浴びせられたような言葉に、私は目をあらん限りに見開いた。
けれど、パウモイさんは木の机を指で軽く叩きながら、穏やかな表情で、
「──今のところは、ね」
と付け加えた。
「隣に立てないなら、立てるまで頑張ればいいんすよ。俺はニィコさんがどんな能力を持っているかも知らないっすけど、自信が持てなきゃ思いを伝える事もできない。少なくとも、自分なら隣に立てると思えるまでは」
それってどれほど難しいことなのだろうか。
でも……それこそが私の蟠りを解消する方法なのかもしれない。
私が自信をつけるほど成長すれば。
ビルクさんに迷惑をかけない以上に、役に立てるくらいに成長すれば───。
少しだけ動いた私の口元に、パウモイさんはニヤリと歯を見せた。




