24ふらふらと
私は何をしているんだろう。
今日は学院があるから、朝から雑貨屋を出て、大通りを歩いて。
そして名前も知らない場所に立っていた。
足を動かす感覚も薄いまま機械的に歩きながら、ぼんやりと周囲を見回す。
「ははっ、お前はほんと馬鹿だなあ」
そんな言葉につい振り返って、笑い合う知らない二人を見て、目を逸らした。
道行く人も賑やかな会話も、まるで一枚の膜に隔たれたかのように、雑音へと変わっていく。
考えることも辞めて私はひたすらに歩いた。
──何分も、下手すれば何時間もだっただろうか。
足を止めたのは、歩き疲れてももが痛くなる頃だった。
「はぁ…どうして、こんなに歩いたんだろう」
自分に呆れて、乾いた笑いが漏れる。
近くの丁度いい石の柵に腰を下ろして、一息つく。
気づけば、とても遠くの場所まで歩いていたのかも知れない。
見覚えのない石造りの建物が並んでいて、生活感のある、くすんだ色をした街並み。
洗濯物が窓から垂れ下がって、路地の奥に積み上がった木箱の隙間から猫が一匹、こちらを覗いていた。
私が静かに微笑むと、不思議そうにこちらを見つめてから、ふいっとどこかへ消えてしまった。
「帰り方も…わかんないや」
足が向くままに歩いていたら、いつの間にか知っている区域から外れていた。
……ビルクさんは、今日も雑貨屋で仕事をしているんだろう。
学院へ行くと言って出てきた私が、こんなところをふらふらしていると知ったら、怒るだろうか。いや、怒らないかもしれない。ただ無愛想な顔をして、「しっかりしろ」と言うような気がした。
改めて自分の阿呆さ加減にため息が出る。
結局、ビルクさんに言われなければ何も出来ないし、人に迷惑をかけてしまう。
一瞬だけ、それならいっそ雑貨屋を辞めてどこかへ消えてしまう方が、ビルクさんのためになるのかも知れないと思った。
けど、それこそ私には出来なかった。
私は力なく、重い腰取りで立ち上がる。
さっきまでそこまで感じていなかった足の疲労も、ひどく大きく感じた。
路地を一つ折れると、また知らない通りに出た。
石畳の目地に雑草が生えている。
どこからか豪快な笑い声が聞こえてくる。
それなのにどこか静まり返っていて、足が竦むような孤独感に襲われた。
ここはどこだろう…早く帰らなきゃ。
お腹も空いたし、何よりビルクさんを心配させる。
建物の陰に数人が集まって、何かを話し込んでいる。
日の当たらない軒下に、酒瓶が転がっていた。
自然と歩幅が小さくなる。
キョロキョロと道を探しながら、早足で通り過ぎようとした、その瞬間だった。
「なあ、こんなところで何してるんだ?」
低い声に心臓が、跳ねた。
肩に、分厚い手が置かれた。
「……っ」
振り向けなかった。
足が地面に縫い付けられたように動かない。
「一人か?珍しいな。へへっ、ちょっと俺達と遊んでいかないか?」
後ろから、別の声。
気づけば、いつの間にか前にも人が立っていた。
ニ人。いや、もう一人いる。
日に焼けた大きな男たちが、私を取り囲んでいた。
「どこ行くんだ。一緒に来いよ」
「……えと…その」
何か言わないといけない。
「離してください」でも「人を呼びます」でも、何か言葉を出さないといけない。
でも、喉が締まって、うまく話せない。
気力も、勇気もなかった。
「可愛い顔して、怖い顔すんなよ。な?」
ぐっと、肩を掴む手に力が込もった。
目の奥が、熱くなる。
泣いちゃいけない。
泣いたって何も解決しない。
分かってる。分かってるのに。
視界がじわりと滲み始めたその時だった。
「あー……いたいた」
間の抜けた声が、背後から飛んできた。
「なにしてんすか、こんなとこで。探しましたよ。へへ…見つかってよかったっすわ」
男たちの視線が、一斉に声の方へ向く。
路地の入口に、黒髪の細身の男が片手をあげて立っていた。
「……誰だてめえ、見ねえ顔だな」
「俺っすか?俺はただの通りすがりっすよ」
一見すると、ただの頼りない一般人に見えた。
けれど彼は───今のわたしにとっては身震いするほど頼れる人物だった。
「パウモイ…さん…?」
ニッ…と不敵な笑みを浮かべながら、パウモイさんは私に片手を頭の横で振っていた。
「てめえはコイツの何なんだ?」
「へっへっ…怖いっすねぇ」
男たちの剣幕を前に、演技じみた身振りをするパウモイさん。
その態度に、私を囲む男たちの中に苛立ちが漂った気がした。
「舐めてんのか、てめえ。さっさと失せろ」
「いやあ失せるわけにはいかないっすよ。悪いんすけど、その子俺の知り合いなんで。ちょっと返してもらえないかなぁ、なんて?」
一歩、また一歩。パウモイさんはゆっくりと路地の中へ歩み入ってくる。
男たちに、微妙な緊張が走った。
「…いいからどいてくださいよ」
パウモイさんの纏う空気が、静かに、しかし確実に変わった。
「どいてろ。おい、アイツを捕まえるぞ」
「痛っ…?!」
肩を掴んでいた男が、私を突然後ろの方へと跳ね飛ばした。
こ、これって…喧嘩…みたいな?
どう…しよう…?!
地面に転がった私は、屈強な男たちを見上げて、次にその先の黒髪の男に目を向けた。
「パ…パウモイさん…私はいいのでっ!」
私の目にはあの細身の男が、目の前の筋骨隆々の男たちに蹂躙される想像しか出来なかった。
けれど、パウモイさんは私に一瞬だけ視線を向けて、呑気に頭を掻いた。
「はぁ…あんたらちょっと行儀が悪いっすわ」
「黙れ。ガキ」
三人の男がパウモイさんへ駆け出して。
顔面に殴りかかる寸前のところで────止まった。
「え?」
そんな小さな声が、唇の隙間からこぼれる。
男たちの拳は宙の中で、まるで時間でも止まったかのように動かない。
腕も足も、何もかもが停止していた。
「何が……?」
よく見ると、衣服と髪だけが、不自然に内側へ押し込まれるように動いていた。
いや…よく見ると拳も僅かに震えて…?
「あれ?どうしたんすかっ…?へへっ、なぁに固まっちゃってんすか?」
ぺちぺちと自分の頬をわかりやすく叩いて、パウモイさんは男たちを挑発する。
「もう大丈夫っすよーニィコさん。怪我無いっすか?」
そう言って、固まる男たちの間を縫うようにゆっくりと歩いてくる。
一言も喋らない男たちを見て、私は助かったことよりも、少しだけ震えてしまうような恐怖を感じた。
「あ…ありがとうございます。あれって…」
「ん?気になるっすか?」
あからさまに嬉しそうな反応を見せるパウモイさんに、眼の前の男が一人の人間であることを再確認する。
「ま、ここで長話するのもアレですし。先ずは大通りの方へ帰るっすかね?」
「そう…ですね。わかりました」
「それに……ちょっと疲れてきたんで」
だらけた動作で右手を挙げると同時───まるで呪縛でも解けたみたいに男たちが地面に倒れ込んだ。
「ゴホッ…ゴホッ!!…て、てめえ一体何を…?!」
「ま、これに懲りたらやんちゃしないで下さいね」
男たちは喉を押さえながら、地面に倒れ込み咳き込んでいた。
何が、起こったんだろう…?
パウモイさんの魔法は雪山で透明の雪車のようなものを作ったり、雪崩の勢いをどうやってか弱めたりしたのは見たけど──。
魔法の基本はある程度学んだ私でも、どうやってあんな事をしたのかは、全く検討もつかなかった。
「いやあ、ひどい目に遭ったっすねえ」
そんな事をやった張本人がまるで下っ端のような言動をするもんだから、その落差に寒気がする。
くたびれた男たちを横目で見ながら、私達は路地を抜けていった。




