17お茶を淹れよう
さっきビルクさんが神業を披露して作り上げた紐を、靴紐の箱に補充する。
改めて…というか、さらに…というか。
いつもいつもビルクさんの凄さには驚かされる。本当に、なんでこの人が雑貨屋をやっているんだろう。と、思うくらいに。英雄だったとしてもおかしくない人だと思ったから。
あれだけ凄いことをやって、靴紐を作り上げただなんて、落差に頭がくらくらしそうだ。
あの職人技が、今でも脳裏に鮮烈に焼き付いている。
凄く綺麗で洗練されていて───思わず見惚れてしまった。
「何をぼーっとしてんだ」
「あっ、すみません…!並べますっ!」
突然掛かった声に肩をびくっと震わせて、私は作業に戻る。
「別に急かしてるわけじゃない。空中で手が留まってたら、声くらい掛けるだろ」
「え…へへ、ちょっと考え事をしてました…」
それに比べて、空中で固まるって…私はなんて馬鹿らしいんだっ…?!
顔を赤らめつつ、そそくさと作業に戻る。
それでもやっぱりあの光景は頭から離れなかった。
比べる事自体がおこがましいと思うけれど、私は魔法の事を学院で勉強しているのに。
自分の無力感に、恥ずかしさすら沈んでいく。
「あの…ビルクさん、お茶を淹れましょうか?」
しばらくして靴紐を並べ終えたところで、そんな事が口から出た。
少しだけ間があった。
驚いたのかもしれない。
「なら、頼む」
私もまた、自分でもなぜそんなことをしようと思ったのかわからない。
今朝からビルクさんが作業を続けっぱなしで、何も飲んでいないと思ったから?
…でも頼りにされたんだから、深いことは考えなくていいか。
厨房に入って、小鍋に水を張って火をつける。
棚の上の茶葉の瓶を手に取る。
ふと、ギルドにいた頃はこういうことをする気力もなかったな、とぼんやり思う。
湯が沸いて、茶葉を濾して、カップに注ぐ。ビルクさんの分を先に持っていくと、彼は手帳から顔を上げて、それを受け取った。
「まだ、熱いですよ」
「ありがとう」
小さな短い一言に、思いがけずどきりとした。
彼がお礼を言うのを、まだ数えるほどしか聞いたことがなかったから。それもそのはずで、いつも迷惑かけてばかりだからなんだけど。
「......どういたしまして」
我ながら、ずいぶん間の抜けた返し方だった。
厨房に戻って自分のカップを受け取って、ビルクさんのいるカウンターの端の椅子に腰かける。
食卓に続いて気づけば二つになっている、カウンターの椅子に。
私は熱いお茶を一口飲んでほうっと息をついた。
しばらくそのまま、自分でも気づかないうちにカップの縁を指でなぞっていた。
窓の外では、秋の日差しが石畳を温かく照らしていた。
「…ビルクさんって、一年前からこの店をやってたんですよね。じゃあその前は…ギルドで冒険者をしていたんですか?」
意外な答えに目を見開く。
少しだけ間があった。
「ギルドを辞めたのはもっと前だ。それから一年前までは、別に何もなかったな。適当に狩りをして、適当に暮らしていた」
「そうだったんですね」
何故雑貨屋を始めたのかは、また今度聞こうと思った。
しばらく、二人ともお茶を飲みながら黙っていた。
沈黙は苦にならなかった。全く当たり前のことだけど、ここはギルドとは違う。
「......何を笑ってんだ」
「え、笑ってないですよ」
「いや、口元が緩んでるぞ」
「そ…そんなことっ......!?」
慌てて口元を押さえる。
ビルクさんはそれから何も言わずに、ずずっとカップのお茶を飲み干した。
それからただすっと立ち上がって、顔を上げる私に背を向けた。
何かを確認するような素振りをして、でも別に急いでいる様子もない。
ただ息を吐いて、腰に手を当てていた。
窓の外の日差しが、少しずつ傾いていく。
その夕方は、お茶が少し冷めるまでそうしていた。
* * *
恩返しってなんだろう。
ベッドの上、真っ暗な天井を見つめながら妙に思考が冴え渡っていた。
雑貨屋の仕事をこなして、お茶を淹れること?
……わからない。
私はこれから何をしていけばいいんだろう。
ビルクさんは勝手にしろと言ったけど、彼はきっと恩返しのような大層なことを求めていない。
でも私がこんな風に考えるのは、気が済まないから。
なら、恩返しは自分のため?
そこまで考えると、途端に気持ちが悪くなった。
そんなはずはない。
自分の気持のままビルクさんに尽くした結果、ビルクさんを困らせたとしたら、私は悲しくなる。
なら恩返しというのは、ビルクさんを笑顔にすることなのかもしれない。
ふと頭に一言が過った。
───ありがとう。
その一言を思い出して、心臓の鼓動を感じる。
私は胸元に手を当てながら、しばらく頭を真っ白にしていた。
やっぱり…。
不明瞭だったものが、少しだけ固まったような気がした。
でも、ゴールが分かったところで、道筋は見えない。
どう進めばいいか、何を変えていけばいいか、何もわからない。
──あるいは、この幸せな生活を変えるということに、目を背けようとしているのかもしれない。
私は胸元の布団を持ち上げて、口元まで被せた。




