13小さな一歩
その後疲れ果ててしまった私は、ベッドに溶けるように眠ってしまった。
ただ昨日の深夜に起きてしまい、何故か張り切って作業に没頭してしまった結果──今。
「……ふぁあ」
体中の疲労と痛み、そして眠気に襲われながら、早朝の学校で悶えていた。
あーもう……命がけの死闘の直後だというのに、どうしてその日のうちに作るだなんて張り切ってしまったんだろう。鞄の中にしまい込んだ『耐火のローブ』の感触を確かめながら、私は教室の席で頬杖をついていた。
「おっ、早いねえニィコ。なんか眠たそうやけど、昨日は眠れんかったん?」
不意に、おっとりとした声が降ってきた。
オレンジ色の短いポニーテールをぶら下げた、友人のムフレだ。私と同じ田舎の出身で、王国西部のなまりのある話し方をする。
「おはようムフレ。ふぁあ……うん。昨日は夜中に作業をしてたんだ」
「へぇ、もしかして魔道具?やっぱりギルドにおるともう実践出来たりするんや?」
そんな彼女の言葉に、私は一瞬だけ言葉に詰まった。
学生でありながらいち早くギルドで働いている私を、ムフレはいつも凄いと褒めてくれる。だから私はいつも、誰にでもできる雑務しかしていないことを隠し、順調にやっていると嘘をついて誤魔化してきた。
「そうだね……」
無意識に視線を落とし、いつものように適当な嘘を並べようとした、その時。
鞄の中にしまっていた『耐火のローブ』が目に入った。
いや……違う……私は何のためにこれを作ったんだ?
『胸を張って、ギルドを辞めればいい』
ビルクさんの言葉が、真っ直ぐに私の背筋を伸ばした。
私はまた、下を向いて誤魔化そうとしていた。もう迷う必要なんて、どこにもないのに。
「────ムフレ。私…ギルド辞めるんだっ」
勢いのまま、言葉にした。
心臓の音を煩わしく感じながら、唖然とするムフレの顔を見た。
ギルドを辞めることは失敗じゃない。自信を持って新しいことを始める為だと、ビルクさんが教えてくれたから。
「えっ、ギルドを辞めたって……?」
「その…やりたいことが出来たんだ。だから」
じわじわと…胸の奥の蟠りが膨らんでいく。
少しだけ目を丸くしたムフレは、次の瞬間、朗らかな笑顔を浮かべた。
「そうなんやなあ。凄いなぁ、ギルドを辞めてまでやりたいことが出来たってことやろ?そんなん、うちも応援してまうわ」
窓から差し込む光に照らされたムフレのその表情は、やけに輝いて見えた。
…私は、何を心配していたんだろう。
ムフレに失望されること?そんなこと、ムフレがする筈無いのに。
「……うん!」
自然と、視線が窓の外に向いた。
「んー?なんだか顔がニヤニヤしとるよ?」
「えっ…?嘘っ、変だった…?」
「ううん、変やないで。むしろ、スッキリって感じ」
いつの間にか、笑っていたのだろうか。
私は意識して口元を噤む。
スッキリ始めるって、こういうことなのかな?
ビルクさんの助言の通りには出来た…かな?
分からないけど、ムフレと真っ直ぐ話すことは出来た気がする。
* * *
私はギルドを辞めた。
学院の授業が終わった後、ギルドへ向かい、耐火のローブをギルド長に納めてきた。
あっさりと退職を認められたことからも、やはり最初からクビにする気だったのだろう。
けれどギルド長は、控えめだけど驚いているように見えた。
「よお」
ギルドを出て少ししたところで、聞き覚えのある声が背後から聞こえた。
同期だったリモウグが、見計らったかのような薄笑いを浮かべて話しかけてくる。
「お前、ギルドをクビになったらしいね?」
「リモウグさん…なんですか?」
威圧的な表情で歩いてきて、リモウグはいつものように私の肩を乱暴に掴んだ。
「ふんっ、感謝しなよ?お前のためにわざわざ時間を割いて来てやってるんだ」
「…どういう、つもりですか」
「お前はどうせ何もできないよね。遠い田舎から来て家族も頼れるヤツもいない。ギルドを辞めたら金も、家もない。学院にも通えない。……お前は俺にお願いすることがある。違う?」
頭に洪水が起こるかのように、今までのギルドでの日常が溢れかえった。
脳内を支配する記憶に、つい眉が下がった。
「だとしたらなんなんですか…?」
私の肩に載せた手に、より一層の力が込められる。
「鈍臭いなあ。いい?態度に気をつけなよ?お前の誠意次第じゃあ、俺が飼ってやるって言ってるんだけど」
ニィ…と口の端を釣り上げて、リモウグは笑った。
少なくとも……リモウグの思惑はハッキリと分かった。
私は心を落ち着かせるように、息をゆっくりと吸い込んで、吐いた。
「その手を…離してください」
全くの予想外だったのだろう。
呆気に取られたリモウグは、数秒ほど半笑いのまま硬直していた。
「お前……自分の置かれている状況が分かっていないの?」
低く沈むような声だった。
その声に怯みそうになって、私は手に力を込める。
後腐れなくギルドを辞める…そう決めたから。
「もう一度だけチャンスをやる。俺の機嫌を損ねるなよ……?」
怒りに身を震わせながら、リモウグは威圧的な視線を飛ばした。
また下に向きかけた視線を戻して───私は意を決した。
「その手を離してください。私は…あなたの、奴隷になるつもりはありませんっ」
「な……何を、お前……!ニィコ……!」
リモウグは歯を噛み締めて、目を大きく開いた。
「何を、言ったんだ?お前は今なんて言った!この俺を侮辱したのか?後悔することになるぞ!?」
後悔?いや…後悔はない。
後悔しようものなら、その自分を恥じたい。
それは───ビルクさんの助言を疑うということだから。
猛獣のような剣幕のリモウグが迫る。
怒りに歪める顔と、飛んでくる拳をやけにゆっくりとした時間の中で眺めながら。
何故か、恐怖は感じなかった。
「っ……!」
リモウグの拳が右頬に直撃した。
重い衝撃が頭を揺らす。
でも…ただ痛いだけだ。数日前の絶望に比べれば、なんともない。
こんな一時の痛みなんて。
「はぁっ……どうだ……!思い知ったか!」
私を殴ったリモウグの表情は、焦燥が浮かんでいた。
笑いながらも、額に汗を滾らせていた。
殴られたのは私なのに、どこか私の目には、彼のほうが哀れに映った。
「…リモウグさん。いままで、ありがとうございました」
私はリモウグの言葉を待たずに背を向けた。
頬の痛みがじわじわと滲んでくるのに、頬を撫でる風はやけに心地よく感じられた。




