10地獄の入口
ぼんやりとした意識の中に、穏やかな声が響いた。
「……ィコ、起きろ。もう着くぞ」
私はゆっくりと目を開く。意識とともに視界が開かれ、眩しい光に思わず眉をひそめた。
「あぁ……ビルクさん、すみませ……」
と、言葉の途中で私は衝撃的な事実に気がついた。
頭に当たる、硬くて温かい感触。もしかして私は。
「どうした?」
「───っ!?すみませんっ!私、ビルクさんにもたれ掛かって!?」
慌てて一席分ほどの距離を取り、恥ずかしさで身体を縮こまらせる。
そうだ、私はビルクさんと『地獄の番犬』を狩るために、魔導列車に乗って生息地へ向かっている最中だったのだ。
目的地までは結構な距離があり、私は徐々にウトウトしてしまって……今に至るというわけだ。
「本当に良かったのか?」
それは、最後の忠告かもしれない。
当然、ケルベロスの狩りに同行するということは、一生で経験できないほどの危険を伴う。
けれど、私はだからこそ同行したかった。
「覚悟はできています。ケルベロスのことも学びました。足手まといにはならないよう頑張ります…!」
「俺は助けないぞ?」
そう口では言いつつも、きっとこの人は私のことを気にかけてしまうはずだ。
心配をかけないように、大丈夫だと思わせないと!
「着いたぞ。ここだな」
プシュー、という排気音とともに魔導列車が停車した。
駅の看板には『ハルモーム』と書かれている。
「ビルクさん……なんだか屈強な人ばかりじゃないですか?」
「まあな。“ハルモーム”……別名『冒険者の宿』だ。王国全域に広がる大空洞の入口の一つでもあるこの街は冒険者が多いし、温泉街ってこともあって多くの観光客も訪れる」
ここは巨大な火山の麓に作られた街で、その火山から繋がる大空洞こそが私たちの目的地だ。
「温泉街ですか。いいですね、行ってみたいです……!」
「生きて帰れたら、な」
意地悪そうに口元を歪めるビルクさんに、私は慌てて口をつぐむ。
駄目だ駄目だ、気を引き締めないと!
もう前みたいなドジを踏まないために、集中して挑まなければ。
駅から出ると、穏やかな広場に出た。
大きな噴水の横を通って、私達は街の中へと入っていった。
「チェフト、いるか?」
ハルモームの駅を出てすぐの路地。石造りの小屋の前で、ビルクさんが声をかけた。
しばらくして、扉の奥からどすどすと足音が近づいてくる。
「おう、ビルクか」
顔を出したのは、日焼けで赤銅色に焼けた、がっしりとした体格の男だった。
白髪交じりの短い顎髭と、人の好さそうな細い目。年はビルクさんより少し上だろうか。
「久しぶりだな。また頼みに来たのか?」
「ああ。大空洞の入口まで送ってくれ」
チェフトさんの視線が私に向いた。
「連れがいるのか。珍しいな」
「…ちょっとな」
「へえ」
チェフトさんは少し目を丸くしてから、にかっと笑った。
「世話でも焼いてるのか?」
「いいから、準備を頼む」
「ハハハッ!分かってるって」
チェフトさんは笑いながら小屋の中へ消えた。
私はビルクさんの隣に並んで、小声で聞いてみた。
「知り合いなんですか?」
「昔からの馴染みだ。この辺りに来る時はいつもここを使う」
しばらくして、チェフトさんが馬車を引いて戻ってきた。
荷台は簡素だが、幌がついているから日差しを防いで休めそうだ。
私とビルクさんは荷台に乗り込み、幌の下に座り込む。
「お嬢ちゃんは初めてか?大空洞は。何を狩りに行くんだい?」
チェフトさんは私に目を向けながら、御者台に腰を下ろした。
「えっと、ケルベロス…です」
「はぁっ?!」
チェフトさんの驚きに、馬車がぐわんと揺れる。
言った後で、私も変なことを言ってしまったと口を塞ぐ。
「ビルク、お前……大丈夫なんだろうな?」
「こいつが行きたいと言い出したことだ」
「はぁ…まあ、お前さんがいるんだから大事にはならないだろうが…」
「心配するな。もう行くぞ」
チェフトさんは苦笑いを浮かべて、手綱をさばいて馬を促した。
馬車がゆっくりと動き始める。
石畳の上を車輪が転がる音が、規則正しく響く。温泉街の喧騒が少しずつ遠ざかっていく。
「嬢ちゃん。これを持っていくといい、護身用の魔道具だ。誤って自分に向けるなよ?」
「これは…」
チェフトさんが振り向いて、私に何かを手渡した。
短剣大の筒状の道具。
魔石が中心に取り付けられていて、先に発射口、持ち手にトリガーが付いている。
「ヴェスプトードの魔石だ。粘性の濃霧を噴出する。煙幕にも目潰しにも使える護身の鉄板道具さ」
「あっ…ありがとうございますっ!」
「チェフト、良いのか?」
「ああ。ちゃんと戻って返しに来てくれよ。分かったか?」
「はいっ!」
ニコリ、と目を細めるチェフトさんに頭を下げる。
がらがらと揺れながら、馬車は街を抜けていく。
「良かったな」
ビルクさんの言葉に頷いて、貰った魔道具をぎゅっと握りしめた。
幌の隙間から、火山の稜線が見えた。
温泉街特有の湯気の匂いが薄れていくにつれて、代わりに乾いた熱気が頬を撫で始めた。
*
しばらく馬車に揺られながら移動して、目的地の前でチェフトさんと別れた。
「三時間後にここで待ってる」とだけ言い残して、馬車は来た道を戻っていった。
私は手元の魔道具を見る。
最近はよくいい人に出会う。私も、なにか出来る人になれるだろうか。
「ようやく着いたな。俺はもう何回きたか分からないくらいだが──」
振り返るビルクさんに、私は首を振って答える。
「私は初めてです。他の場所から入ったこともありません。なんだか……変わった音がしますね」
入口付近は舗装されており、ちゃんとした通路として空洞の奥へ繋がっている。
しかし、洞窟の奥から吹き抜ける風の音が、妙に神秘的な雰囲気を醸し出していた。
「“洞窟の呼び声”だ。洞窟に魅せられ、そう呼ぶ奴もいる」
「確かにその気持ち……分かるかもしれません」
この先は危険地帯のはずなのに、入口に立っていると不思議と好奇心をくすぐられてしまう。
「つくづく変なやつだな。普通、洞窟を前にしたら足がすくむもんだ」
そう言って笑うビルクさんに、私は少しだけ気恥ずかしくなった。
私が普通じゃない。それは、戦えない身でここに来た時点で確かなことだろう。
「よし、じゃあ入ろうか」
気を取り直し、私は目の前のことに集中する。
私たちは洞窟の中へと足を踏み入れた。
「ちゃんと水は持ってるな?」
「はい!水筒にたっぷり入れておきました!」
念を入れて、三つもの水筒を用意している。
水は飲むためだけでなく、この洞窟の暑さを和らげるためにも使える。出発前にビルクさんから助言を受けていたことだ。
一応程度の水魔法も使えるけど、それは体力を消耗してしまう。
「……この先はとにかく熱い。“大空洞”ハルモームの入口は、この暑さとケルベロスがいることから“地獄の入口”なんて例えられているくらいだ」
その言葉通り、私の髪をはためかせる熱風が洞窟の奥から絶えず吹いてくる。今はまだ大したことはないが、進むにつれてさらに暑くなるのだろうか…。
ケルベロスよりも、この耐え難い暑さのほうに顔が歪んでくる。
「あ、ビルクさん。あれは…」
「ああ……あれは“火山トカゲ”だな」
岩のような肌を持つ、手のひらサイズのトカゲだ。壁に張り付いてじっとしている姿が、なんだか愛らしく見えてくる。
「可愛いですね。初めて見ました」
「そんなことより、早く行かないと蒸し焼きになっちまうぞ」
「はっ……はい!」
興味なしとばかりに先へ進むビルクさんに慌てて続き、私もどんどん奥へと進んでいく。
あ、暑い……というより熱い!
顔に触れる熱気に肌がピリピリとする。
これは本当に蒸し焼きになってしまいそうだ。
「体温が上がってきたら、湿らせた布を首に巻くといい。多少マシになるはずだ」
「わかりました」
大量に持ってきた水はこのために使う。
首周りの血液を冷まして循環させ、体温を下げる。
私は言われた通り、水を含ませた布を首に巻いた。
「ぁあ……ああ……ミイラになっちゃいます……」
「もう少しだ。この先にある縦穴を抜けりゃあ、大空洞に繋がる。熱いのはこの入口付近だけだ」
「は、はぃぃいっ…!」
全身が汗でダラダラになり、顔をドロドロにしながら必死に足を動かす。
そうして数分ほど進んだところで、ビルクさんが立ち止まった。
「あれだ!あのロープから一気に降りれば大空洞に入る」
「あれがっ……!って……こ、ここを……降りるんですか!?」
視線の先は光のない暗黒だった。ただ一本のロープが、先が見えないほど下へと垂れ下がっているだけ。試しに足元の小石を蹴って落としてみても、音は返ってこなかった。
私には、とてもここから下へ降りる勇気はなかった。
「ま、俺に掴まっているだけでいいさ」
「わっ!?」
担ぎ上げられた時のように、ビルクさんは私をひょいっと大きな背中へ乗せた。
そして真っ直ぐ——縦穴へと飛び込んだ。
「きゃああああっ!?」
私の悲鳴が何倍にも反響しながら、ロープを伝って暗黒の中へと落ちていったのだった。




