侍女ロザリー②
呪われた王子、ユリシス殿下。
その噂は、社交界の末端にいる使用人の耳にまで届いていた。周囲では病や不幸が絶えない。仕えていた侍女や騎士が原因不明の怪我を負った。母君である第二妃も病で亡くなった——それが全て、あの方の呪いなのだと。
ロザリーは呪いを信じていない。信じていないが、警戒はしていた。
呪いが本物かどうかなど、どうでもいい。問題は、その噂の渦中にいる方がどんな人物かということだ。荒んでいるのか、冷え切っているのか。噂に晒され続けた人間が、まともな心根を保てているとは限らない。そんな相手のもとへ、アメリア様は嫁ぐのだ。
(あちらに着いたら、お人柄をこの目で確かめなければなりません)
出立の朝、ロザリーは決意を固めてエントランスに控えていた。
やがて、蹄の音が近づいてきた。玄関の扉が開かれる。
(……っ)
朝の光の中に立っていたのは、迎えの使者ではなかった。
黒髪に、金の瞳。漆黒の軍装をまとった長身が、そこにあった。
「グランディール侯爵令嬢を迎えに来た」
低い声が、屋敷の空気を震わせた。
リュストア公爵ユリシス様ご本人だった。辺境から花嫁を迎えに、公爵自らが王都まで出向いてきたのだ。
(まさか、公爵様がいらっしゃるなんて思いもしませんでした)
呪われた王子は、花嫁を待ちもせずに辺境へ発ったのではなかったのか。憤っていた分だけ、ロザリーの警戒は行き場を失って揺れた。
「おおっ、さすが大貴族のお屋敷っすね! でっけ〜〜!」
そして、その揺れをぶち壊すように場違いな声が響いた。
公爵の後ろから、青年がひょこっと顔を出す。燃えるような赤毛に、屈託のない笑顔。
「カイル、静かにしないか」
「すみません! 本当に立派なお屋敷で、興奮したっす!」
窘められても、青年はまるで悪びれない。それどころか元気いっぱいに胸を張っている。
「アメリア嬢。この者は私の部下で、名をカイル・バートンと言う。……騒がしいが、悪い人間ではない」
「カイル・バートンっす。リュストア領でユリシス様の補佐をしてるっす! 奥様、以後お見知りおきを!」
ロザリーは眉をひそめ、一歩引いた。
(……この方が、公爵様の補佐)
嫌な予感しかしなかった。アメリア様はといえば「面白い人ね」とでも言いたげな顔をしていらっしゃる。主のそういう懐の深さは美徳だが、侍女としては手放しで喜べない。
「お荷物はこちらっすね! 俺が運ぶっす!」
「いいえ、結構です」
咄嗟に遮っていた。荷の中にはアメリア様の貴重な品もある。得体の知れない相手に任せるわけにはいかない。
カイルはきょとんとした。が、すぐに明るく笑って、手際よく荷を抱え上げてしまう。
「いやいや、女の子にこんなの運ばせられない……わ、軽い! 奥様、荷物少ないっすね!」
呆気に取られつつ、ロザリーはその手つきを観察していた。意外にも、箱の扱いは丁寧だ。重さを確かめてから持ち上げ、角をぶつけないよう足元まで確認している。
「ええ。あまり持っていくものがなくて。でも貴重な品もあるから、ロザリーの指示を聞いて、積み込みは丁重にお願いできるかしら」
「は、はいっ! 了解っす!」
アメリア様の笑顔の圧に、カイルが背筋を伸ばす。ロザリーはその様子をじっと見てから、言い添えた。
「よろしくお願いします」
任せると決めたわけではない。頭ごなしに拒む理由が見当たらなかった。それだけだ。
「カイル様! それは後からお積みください」
「え! あっごめんなさいっす!」
——数分後、前言を撤回したくなったことは言うまでもない。
リュストアへの道中、ロザリーはカイルと同じ従者用の馬車に乗ることになった。
「いや〜、奥様って思ってたよりずっと気さくな方っすね!」
「カイル様」
「はいっす?」
「その口調は、直りませんか」
カイルがぱちくりと目を瞬く。
「アメリア様は公爵夫人となられる方です。その補佐であるカイル様の言葉遣いは、公爵家の品位に関わります」
我ながら融通の利かないことを言っている自覚はあった。けれど、これからアメリア様が立つのは、言葉尻ひとつで足をすくわれかねない世界だ。備えはいくらあってもいい。
カイルはしばらく考えて、それから真面目な顔で頷いた。
「たしかにそうっすね! わかりました、直すっす!」
「今、出ました」
「え?」
「『っす』です」
「あー! つい出てしまうっすね……じゃなくて、出てしまいます、っす」
「最後に出ました」
「……手強いっすね。気をつけるっす」
先が思いやられる。ロザリーはため息を押し戻し、窓の外へ目をやった。
だが意外なことに、カイルは諦めなかった。休憩のたびに「今の合ってました?」と確認しに来る。間違いを指摘されても不貞腐れない。直せたと褒めれば、子供のように喜ぶ。
そして、この賑やかな騎士は、聞いてもいないことまでよく喋った。
「ユリシス様って、ほんとすごいんすよ! 剣も強いし、字もきれいだし、俺の名前も一発で覚えてくれたし!」
「そうなのですね」
「呪いとか言うやついますけど、あんなの全部嘘っすからね! ユリシス様は、俺たち騎士団の誰も見捨てたこともないし、この仕事してたら怪我なんて日常茶飯事っすよ」
その言葉に、ロザリーは窓の外から視線を戻した。
カイルの顔から、いつものへらへらした笑いが消えていた。
「……カイル様は、呪いが怖くないのですか」
「怖くないっすよ」
あっさりとした答えだった。あまりにあっさりしていて、拍子抜けした。
「俺、ユリシス様に拾ってもらったようなもんなんで。あの人がどれだけ損な生き方してるか、ずっと見てきたっす。だから奥様が来てくれて、まじで嬉しいんすよね〜」
(……この方は、嘘がつけない類の人ですね)
カイルのユリシス様への忠誠は確かで、それはロザリーがアメリア様を想う気持ちによく似ているように思えた。警戒するだけ無駄だと、認めざるを得ない。
だって、わかるのだ。
主人を取り巻くものに彼が抱く憤りの気持ちは、ロザリーのそれと同じだ。
(部下にこれだけ慕われていらっしゃる方が、悪人なはずもありません)
馬車は辺境へと向かう。
道中、車輪がぬかるみに取られるというハプニングはあったものの、やはりロザリーの主は堂々としたもので、嬉々として待ち時間の探索を楽しんでいた。
ここが、リュストア。
冷涼な空気を吸い込むと、頭の芯まで冷える心地がした。
(この地でアメリア様をお守りし、しっかりとお支えをしなくては)
「ロザリーさーん、甘いものは好きっすか?」
「え? ええ。はい、好きですが」
「良かった! これ、宿場でもらったんすよね〜」
カイルは包みから焼き菓子を取り出して、ロザリーに手渡した。素朴な形の、蜂蜜色の菓子だった。
「城まであとちょっとかかるんで、腹ごしらえっす! あ、ユリシス様と奥様の分はもう渡してあるんで」
「……ありがとうございます」
受け取って、ひとくち齧る。飾り気のない、優しい甘さだった。
「うまいっすよね、それ!」
自分の分を頬張りながら、カイルが得意げに笑う。
(不思議と、前向きな気持ちになれそうです)
甘さがほどけていくのを感じながら、ロザリーは窓の外に広がる緑の高原を眺めた。
新しい暮らしが始まろうとしている。そしてそれは、どこか楽しみでもあった。




