書籍化記念番外編 侍女ロザリー①
ロザリー目線のお話です。
全4話ほど…!
ロザリーが初めてグランディール侯爵家の門をくぐったのは、十二の年だった。
王都で手広く商いをする家の三女。上の姉ふたりは器量よしで、商談の席でも重宝されたが、ロザリーは愛想笑いが苦手だった。それに、頭が硬すぎるとも。
「行儀見習いに出そう。侯爵家で堅いのはむしろ美徳だ」
父に言われて奉公に上がった屋敷で、ロザリーは美しい令嬢に出会った。
「あなたが新しく来てくれた方ね。わたくしはアメリア。よろしくね」
年下のはずのその少女は、使用人の子供にまで微笑みかけてくれた。目の覚めるような銀の髪に、紅玉の瞳。人形のようにきれいな子だと思った。
「ロザリーと申します。これからよろしくお願いいたします」
「ロザリーね。覚えたわ。あなたにはわたくしの侍女になってもらおうと思っているの」
「侍女……でございますか?」
「ええ。とても優秀な子だと聞いていたし、わたくしもそう感じたもの」
このちょっとした対面で、アメリア様はロザリーにそう微笑みかける。
くすぐったいような、誇らしいような気持ちが、胸いっぱいに広がる。
「はい! 誠心誠意、努めます」
深々と頭を下げて、それからロザリーなりに精一杯侍女の仕事を学んだ。
このときアメリア様に抱いた印象は、仕えるうちに確信へ変わった。このお嬢様は、誰に対しても態度が変わらない。庭師にも、厨房の下働きにも同じ目の高さで話すのだ。
そして——穏やかなのに、誰よりも強かった。
忘れられない光景がある。
アメリア様が十四の年の、とある茶会でのことだ。給仕を手伝っていたロザリーの足に、令嬢のひとりの足がすっと絡んだ。よろけた拍子に、盆の上の紅茶が——よりによって、アメリア様のドレスの裾に数滴かかった。
血の気が引いた。
主のドレスを汚した。衆目の中で。使用人としてこれ以上の失態はない。
「まあ! なんて粗忽な使用人かしら。主人のドレスを汚すなんて。グランディール家は使用人の躾もできませんのね」
甲高い声が庭に響いた。わざと転ばされた——そう訴えたところで、信じられるのは令嬢の言葉の方だ。ロザリーはその場で深々と頭を下げることしかできなかった。処罰は覚悟した。奉公先での失態は、実家の商いにも障る。
どうなってしまうのだろう。目の前が真っ暗になる。
「あ、アメリア様、申し訳ありません! すぐにお召替えを……! 本当に申し訳ありません」
床に頭をつけて、深く深く謝罪する。あれはアメリア様の、お気に入りのドレスだった。準備を手伝ったから、そのことを誰よりもよく知っている。
「ロザリー、顔を上げなさいな。このくらい、洗えば落ちますわ」
アメリア様はおっとりと首を傾げて、それから件の令嬢に微笑んだ。
「それにしても、ごめんなさいね。お席が窮屈でしたのね。足を伸ばしたくなるのも無理はありませんわ。次の茶会では、もっとゆとりを持ってお席をご用意いたしますわね」
「っ!」
令嬢の顔が、みるみる赤くなった。周囲からは扇の陰で忍び笑いが漏れていた。見ている人は、見ていたのだ。
令嬢は口をぱくぱくさせて、結局何も言い返せなかった。
あとで人のいないところで、ロザリーは主に頭を下げた。
「申し訳ございませんでした。大切なドレスを、私のせいで」
「あら、どうして謝るの?」
アメリア様はきょとんとしていた。
「熱くはなかった? 手は赤くなっていないかしら。足は捻っていない?」
差し出された白い手が、ロザリーの指先を取る。
転ばされたことに気づいてくれていた。そのうえで、汚されたドレスのことよりも先に、ロザリーの心配をされた。
(この方に、一生ついていこう)
ロザリーは、その時に決めた。
***
歳月は流れ、侯爵家は傾いた。
旦那様が投資話に騙されて、屋敷から調度品が消え、使用人が減っていった。給金は五分の一になった。同輩たちが暇乞いをして去っていくのを、ロザリーは責める気になれなかった。皆それぞれの暮らしがある。
やがて、実家から手紙が来た。
『侯爵家はもう終わりだ、戻っておいで。お前ももう二十をすぎた。縁談も用意してある。相手は堅実な織物商で——』
ロザリーは手紙を最後まで読んで、畳んで、返事を書いた。
『ご心配ありがとうございます。わたしは戻りません。どうぞお元気で』
三行で済んだ。迷いがなかったからだ。
父からはその後も手紙が来た。給金も出ない家に義理立てしてどうする、と。義理ではないのだ、と思った。義理で残っているのなら、とっくに逃げている。
アメリア様は、あの頃と何も変わらなかった。
屋敷が傾いても、ドレスを換金しても、第一王子に婚約破棄を言い渡されても、あの方は背筋を伸ばして微笑んでいた。夜会で公衆の面前で捨てられた夜ですら、翌朝にはいつも通り「おはよう、ロザリー」と笑ったのだ。
あの笑顔の下にどれだけのものを押し込めているのか、近くで見てきたロザリーにはわかる。わかるからこそ、離れられるはずがなかった。
この方の傍らに立つ者が、ひとりもいなくなってはいけない。
そして、あの王命が下った。
呪われた第二王子との婚約。世間はアメリア様を憐れんだ。没落令嬢が厄介払いに差し出されたのだと。
ロザリーは憤っていた。王妃に招かれた茶会へ向かう馬車の中でも、気づけば膝の上の拳に力がこもっていた。
「アメリア様に、このような扱いがあっていいのでしょうか」
「ロザリー、そんなに力を入れたら手に傷がついてしまうわよ」
主はいつもこうだ。自分のことで憤っている侍女に、まず侍女の手の心配をする。あの日から、何ひとつ変わらない。
「一週間前に王命が下ったばかりなのに、第二王子殿下をすぐさまリュストアに送ってしまわれるだなんて」
「仕方ないわ。ユリシス殿下が意図したことではないでしょうし」
「……承知しております」
承知などしていない。けれど、ここでロザリーが憤ってもアメリア様の負担が増えるだけだ。
「ロザリー。リュストアは大切な辺境の地です。ユリシス殿下が新たな領主となったのなら、すぐに向かうのが筋でしょう。わたくしたちは領民のためにあるのだから」
声に迷いはなかった。ロザリーは目を伏せ、背筋を正し、深く頭を下げた。
「申し訳ございません、アメリア様。侍女の分際で差し出がましいことを申しました」
「大丈夫よ、ロザリー。わたくしは呪いなどに怯えませんし、誰かにどう思われようと、気にして立ち止まるような暇もありませんもの」
呪い。世間はその言葉に怯える。けれどロザリーが怖いのは呪いではない。この方がまた傷つけられることだ。傷つけられたことにすら気づかぬ顔で、微笑んでしまうことだ。
「あなたがわたくしのことを考えてくれてとても嬉しいわ。お給金もあまり出せないのに、こうして侯爵家に残ってくれたのもとてもありがたく思っているの」
何をおっしゃっているのだろう、この方は。
給金の額で主を選ぶくらいなら、最初からこの道を選んでいない。断った縁談のことも、実家との手紙のことも、主は知らない。知らせる必要もない。ロザリーの居場所は、十二の年からずっと決まっている。
「このロザリー、どこまでもアメリア様にお仕えいたします」
胸に拳を当てる。
「ロザリーもリュストアに来てくれるの?」
「はい、どこまでも。色々と鍛えておりますし、エドマンド様とこれまでの投資話を調べ尽くして学んでおりますのでご安心くださいませ」
「心強いわ。ありがとう、ロザリー」
アメリア様がふわりと微笑む。
呪われた王子でも、痩せた辺境の地でも、行き先はどこでも構わない。
主人の行くところが、ロザリーの行くところだ。
お読みいただきありがとうございます。
他者目線のお話が好きな方はお楽しみくださいませ〜!
王様の話もいつか描きたいものです。
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9月1日、ビーンズ文庫様から書籍が発売されます。
ストーリーが違う部分もあるので、差分もお楽しみいただけるとうれしいです!




