最終話 リュストアの風景
婚礼の儀式が終わり、夜の帳が下りた頃、アメリアとユリシスは王都を後にした。馬車の中は静かだ。ロザリーとカイルは別の馬車。窓の外では王都の灯りが遠ざかっていく。色とりどりの明かりが、ゆっくりと小さくなって、やがて夜の闇に溶けていった。
「……ようやく終わりましたわね」
アメリアは窓の外を眺めながら微笑む。
思い返してみると、あっという間の一年だった。
しばらく黙っていたユリシスは、そっとアメリアの手を取った。
「君がいたから終わらせられた。……いや、始められたんだ」
アメリアはその言葉を、ゆっくりと胸の中に収めた。この一年を思う。婚約が破棄されて、リュストアでの新生活が始まった。全てが、ここへ繋がっている。
「わたくしも同じですわ」
アメリアはユリシスを見て、穏やかに微笑む。
「あなたがいたから、わたくしも始められましたもの」
ユリシスは何も言わない。ただ、手を握る力だけが、静かに強くなった。
馬車は夜の街道を、リュストアへ向かって走り続ける。
***
リュストアに辿り着いたその夜、アメリアとユリシスは庭園を散策することにした。話しておきたいことがあったからだ。
(……どう切り出すか、難しいものですわね)
北部に位置するリュストア城の庭にはまだ雪が残っている。それでも空気のどこかに柔らかいものが混じっていた。もう春が来るのだ。
アメリアが外套を羽織って庭に出ると、ユリシスがすでにそこにいた。何かを考えているような顔をしている。気配に気づいたユリシスが振り返る。
「アメリア」
「ユリシス様」
同時だった。
「あの」
「その」
また重なる。
アメリアは思わず口元に手を当てる。ユリシスが珍しく困ったような顔をしていた。
「……先に、構わない」
「いいえ、ユリシス様からどうぞ」
「君から聞きたい」
「わたくしもユリシス様のお話を聞きたいですわ」
お互いに譲り合ったせいで、しばらく沈黙が続いた。
夜風が庭を渡り、雪の残る地面を撫でていく。ユリシスは深く息をついて、アメリアの前に向き直った。
「……君に、ずっと伝えたいと思っていた」
いつになく、真剣な声が夜に落ちる。アメリアは息を詰めた。
「政略でも、王命でもなく。心から、君に結婚を申し込みたい」
風も、雪の気配も、遠くの鐘の音も、全て遠のいていく気がする。世界の中で、彼の声だけが鮮明に耳に届いた。
「アメリア。君を愛している」
その言葉が落ちた時、夜風が止んだ気がした。
アメリアは目を見開く。こうして真正面から言葉にされると、胸が震えた。そのまま目頭が、じわりと熱くなっていく。
(いけませんわ)
アメリアも、きちんと話をしようと思っていた。いつからか二人の関係に名前をつけたくなった。名ばかりの夫婦ではなく、きちんと心を通じさせたいと伝えようと思っていた、のに。
「お受けいたします、ユリシス様。わたくしが、あなたをこの国で一番幸せにしてさしあげますわ」
アメリアはゆっくりと微笑む。そのせいで涙がひとすじこぼれた。
これが、アメリアの本心だ。
「君には敵わないな」
アメリアの言葉にユリシスが目を見開き、それから子供のような顔でくしゃりと笑う。これまで見た中で、一番柔らかい笑顔だった。気づけば、体が宙に浮いていた。
「ユリシス様⁉︎」
アメリアはユリシスに抱き上げられていた。落ちないようにとアメリアが慌てて彼の首に腕を回すと、額に口づけが落ちた。温かい。視線が絡んで、どちらともなく近づく。ふたりの影が重なり、やがて、世界がふたりだけになる。
「あら……」
ぱらぱらと冷たいものが頬に触れた。雨だ。
「なるほど」
空を見上げたユリシスが、笑顔で頷いている。
「どうかなさいましたか?」
アメリアが不思議そうに首を傾げると、ユリシスはアメリアをさらにしっかりと抱き寄せた。
「以前の私なら、雨に降られるなど不運だと嘆いていただろう。だが、『君に触れる口実ができた』と考えることもできるのかと」
その金の瞳は、輝きに満ちている。アメリアはしばらく、その瞳を見つめていた。呪いに怯え、自分を遠ざけ、笑うことを忘れていたこの人が、今こうして雨を口実にしながら笑っているのだ。
(変わりましたわね)
いいえ、と思い直す。変わったのではない。もともとこういう人だったのが、ようやく顔を出しただけだ。
「そうですわ、ユリシス様。物事は捉え方次第ですもの」
アメリアはいつものようにおっとりと微笑む。雨粒が、ふたりの周りに降り続けていた。春にふさわしい、柔らかい雨だ。
見つめ合い、また自然と唇が重なる。ユリシスの金の瞳の奥に、熱が宿っていた。アメリアも、きっと同じ顔をしているだろう。
「部屋に戻ろう、アメリア」
「はい。風邪を引いてしまいます」
ユリシスはアメリアを抱き上げたまま、迷いなく歩き出す。
「ユリシス様、歩けますわ」
「知っている。こっちの方が早い」
長い足で廊下をずんずんと進み、あっという間に寝室につく。
寝室の扉が閉まると同時に、アメリアはゆっくりと寝台に下ろされた。間近にある金の瞳が、アメリアだけを映している。少し濡れた前髪が額に貼り付いていても、その目はただまっすぐに熱を帯びていた。
「アメリア」
「……はい」
呼ばれただけなのに、声が震えた。ユリシスの手がアメリアの頬に触れ、濡れた髪を耳の後ろへと払う。
「怖いか」
「怖くはありません。でも、心臓がうるさくて困っていますわ」
心臓が痛いくらいに打っている。
アメリアはそっとユリシスの黒髪に触れた。夜のようで美しい。
「俺も同じだ」
その言葉が落ちると同時に唇が触れ、今度は深く重なる。ドレスの背に回った手が、留め具を探り始める。
燭台の炎が揺れた。ふたりの影が、壁に重なる。
このひとに、全部預けてしまおう。心からそう思えるから、何も怖くはなかった。
***
改めて行われることとなったリュストア領主夫妻の結婚式は、領民総出の祭りとなった。
一週間、城下には灯が絶えない。商店は軒先に花を飾り、広場では夜ごと音楽が流れ、子供たちが笑いながら走り回る。
月綿の白い穂が風に揺れる中、人々は口々に祝いの言葉を交わしていた。寂しかったこの土地が、今こうして笑顔と歌声であふれている。
その日、アメリアはロザリーが丁寧に手直ししてくれたドレスを身に纏っていた。ユリシスの母君から受け継がれた品だ。かつて切り裂かれた箇所には、リーナが心を込めて編んだ精緻なレースが施されている。
以前よりも美しく、まるで祝福を受け直したような仕上がりだった。
白いレースのベールをかぶり、アメリアはゆっくりと歩みを進める。人々の間から、感嘆の声が漏れた。視線の先に、エドマンドがいた。
泣いている両親の隣で、珍しく目を赤くしながら笑っている。
念願のリュストアに来た父は、しばらく湖の絵を描くことにしているらしい。
カイルが騎士団の面々と並んで胸を張り、その隣でロザリーが、こっそり目元を拭っている。ずっとアメリアと共に奮闘してくれた侍女の姿に、アメリアはぐっと泣きそうになった。
視線を上げると、ユリシスがいた。彼もアメリアだけを見つめている。
(まさか、こうして改めて結婚式をするなんて思わなかったわ)
あの日、ユリシスは月綿の工房でリーナとアメリアの会話をしっかりと聞いていたらしい。聞けばカイルに相談して、結婚式の算段を立てていたというのだから驚きだ。
かつて呪われた王子と蔑まれ、誰にも必要とされないと信じていた人が、今こうして凛とした領主として立っている。その金の瞳に、迷いはない。アメリアがその隣に並ぶと、広間が一斉に歓声に包まれた。
教会の鐘が、高らかに、温かく鳴り始める。その音は城下へ、街へ、野へと広がっている。
はじまりは呪いと陰謀と悪意に満ちていた。それでも今、アメリアはこうして笑顔で立っている。
この先にどんな日々が待っているとしても、リュストアの地には必ず春が来るだろう。そう信じている。
おわり
ここまでお読みいただきありがとうございました!!!
リュストアはきっとずっと繁栄することでしょう。二人が幸せそうでなによりです。(王都大丈夫?)
一旦ここで完結としますが、また続編や番外編など思いついたら書きに来たいなと思います。
短編からお付き合いいただいた皆様もありがとうございました。楽しかったです。
よければ★評価などモリモリいただけると幸いです。




