32 婚礼
王太子フレデリックとクラリッサの婚礼式典は、春の陽光の中で予定通り執り行われた。
王宮の大広間は白と金で飾り立てられ、王都中から集まった貴族たちの華やかな装いが彩りを添えている。窓の外では祝砲が上がり、街路では民衆が歓声を上げていた。
だが広間の空気は、どこかよそよそしい。
昨日の式典で何があったか、集まった貴族たちは皆知っていた。横領罪と国家反逆罪の疑いで王妃とラドウィック伯爵が蒼白になっていた——その話を誰もが胸に抱えているからだ。
今日は王太子の婚礼だからと集まってはいるものの、誰もが腹の中で何かを抱えたまま、表面だけ笑顔を貼り付けている。
フレデリックは壇上で花嫁と並んでいたが、その顔に晴れやかさはない。
隣のクラリッサも懸命に笑みを作っているが、視線が定まらない。
王妃の失脚により、その外戚であるベルモント侯爵家の権威もまた地に落ちた。いつも彼女の周りを取り巻いていた貴族たちの姿も、もう見えない。
貴族たちが互いに顔を見合わせ、誰と誰が繋がっているのかを確かめるように視線を泳がせている。
「リュストア公爵、ユリシス・リュストア閣下。並びに公爵夫人、アメリア・リュストア様のご入場でございます」
そんな中、扉の前に立った侍従が声を張り上げた。
「……おお」
「これは……!」
ユリシスは黒を基調とした礼装をまとい、まっすぐに前を向いていた。
その隣に立つアメリアは、薔薇色の絹地に金糸のレースが幾重にも重なったドレスを纏っている。ユリシスから贈られた、あのドレスだ。
ゆるく結い上げられた銀髪が灯りを受けてかすかに輝き、紅の瞳が静かに広間を見渡した。
大輪の薔薇が咲き誇ったようなその出立に、誰もが息を呑む。
「あれが、リュストア公爵夫妻……!」
「呪われた王子と、没落令嬢だったはずでは」
「でも……あのお二人の顔を見て。呪いだなんて、なんだったのかしら?」
「とても晴れやかですわ。反対に……」
かつて「呪われた王子」と「没落令嬢」と蔑まれたはずの二人が並んで歩けば、その美しさに会場はたちまちざわついた。悪魔と恐れられたユリシスが、妻アメリアにだけは微笑みを見せ、その手を決して離さない。誰の言葉も届かぬほど、彼は彼女にだけ、心を開いている。
仲睦まじい二人の姿は、王太子の婚礼さえ霞ませるほどに人々の視線を奪っていた。
ユリシスはアメリアの手を取り、堂々と舞踏会の中央へと歩み出る。人々が自然と道を開けた。広間の中心で、ユリシスはアメリアに向き直る。
「美しい人。私と踊っていただけますか」
低く、静かな声。だが静まり返った広間によく通った。
踊っている最中も、ユリシスはアメリアだけを見ている。周囲の視線も、囁き声も、関係ないとでも言うように。アメリアもまた、ユリシスの目をまっすぐに見返していた。ダンスの回転の中で、金の瞳と紅の瞳が交わる。
壇上ではフレデリックが表情を取り繕おうとしているのがちらりと見える。王太子妃となるはずのクラリッサは笑顔を維持できておらず、あの愛らしい顔が嫉妬に歪んでしまっていた。
(悪意だらけの結婚だったけれど、やはりとても幸運なことでしたわ)
リュストアは二人の治世で治安が回復し、交易も栄え始めていた。冷遇され、蔑まれてきた土地も、今や希望の象徴。反対に、いつも美しく着飾ってフレデリックの傍らに立っていた王妃イザベラはもう表舞台に出てくることはないだろう。これから先、王都はどうなることやら。
「とても注目されていますわ」
「君が美しいから、目を引くのは当然だ」
アメリアが静かに言うと、ユリシスは視線を逸らさずに答えた。
踊っている最中も、ユリシスはアメリアだけを見ている。周囲の視線も、囁き声も、関係ないとでも言うように甘やかだ。
「ユリシス様も素敵ですもの」
アメリアは金の瞳をじっと見つめ返す。
ユリシスがふっと口元を緩めた。普段はあれほど人を近づけない顔が、アメリアの前でだけこうして解ける。そのことが、なんだかたまらなくうれしい。
曲が終わりに近づいても、どちらも目を逸らさなかった。最後の旋律が広間に溶けていく頃、ユリシスはアメリアをゆっくりと引き寄せ、静かに礼をした。アメリアも、優雅にドレスの裾を払う。
顔を上げれば金の瞳がすぐそこにあって、ふたりは静かに微笑み合った。
「姉さんも義兄さんも、目立ちすぎだよ」
踊り終わったふたりのところに、新たにグランディール侯爵となった弟のエドマンドが明るく挨拶をした。
それを皮切りに、二人の周りには縁づきたい貴族たちが集まり始める。かつて「哀れ」と笑ったその口が、今は競うように言葉を尽くし、羨望と称賛を投げかけていた。
(手のひら返しとはこういうものですわね)
アメリアは涼やかに微笑み、隣に立つユリシスを見上げる。その瞬間、彼の金の瞳はただ一人、アメリアだけを映した。それが柔らかく綻ぶのも、アメリアに対してのみだ。
その笑顔を、広間の誰もが見ていた。今日の婚礼の主役が誰だったか、おそらく明日には誰も覚えていないだろう。
ようやく短編のこのシーンまで来ました……!
次回、最終話です。




