31 王妃の栄光
※王妃視点です
(ようやく観念したのね)
リュストア公爵夫人……アメリアが前に出る様子を余裕たっぷりに眺めながら、イザベラはゆったりと扇を揺らした。
一年でずいぶん堂々としたものだが、所詮は没落寸前の侯爵家の娘。
呪われた辺境の地で、さぞ惨めな思いをしてきたのだろう。それにしても、ここで離縁を申し出るとは。まさか公の場で切り出すとは思っていなかったが、むしろ好都合だ。皆の前で、あの女が膝を折るところを見せてやれる。
(さあ、言いなさい。みっともなくすがりついてもいいわよ)
アメリアは懐から何かを取り出した。きっと、離縁状に違いない。
「陛下、こちらをご覧くださいませ」
「ふむ?」
文官を通じて、アメリアの手元から書類が国王の元へと届けられた。
夫となったユリシスが功績を挙げてしまった以上、こうして国王陛下に直談判するしかアメリアには道がないのだと理解する。それにしては随分と分厚い気がするが、どれだけ大変だったかという陳情も込められているのだろう。
(あの方は昔から、このアメリアに甘かったわ。それも腹立たしいことね)
国王がアメリアを評価していたことは知っている。それに反して、クラリッサに対してはそうでもない。どこか冷めている様子を見せる陛下にも、イザベラは苛立ちを感じていた。
「国王陛下に申し上げます」
アメリアの声は穏やかだ。動揺も、怯えも、みじんもない。
「国家予算から、多くの公金が私的に流用されているとの懸念があり、わたくしたちなりに調査をしてまいりました」
(……なんですって?)
予想外の言葉に、優雅に揺れていたイザベラの扇が止まった。
「陛下にお渡ししたそちらが、王妃陛下名義の不正取引の記録でございます。架空発注の証明書、商会への裏金の流れ、文官の方々からの証言書でございます」
「お、お前は何を言っているの!」
イザベラは立ち上がり、アメリアに扇を向ける。
「そのようにでたらめを並べて……! 証拠などあるはずが……!」
「もちろん、全て証拠に基づいていますわ」
アメリアは変わらず穏やかに微笑んでいた。その落ち着きが、イザベラには何より腹立たしい。
(落ち着け。まだ終わっていない)
イザベラは素早く思考を巡らせる。証拠などあるはずがない。あの帳簿は厳重に管理していた。城にも置いてはいないから流出するはずが――。
「王妃陛下の商会への支出に関して、不明瞭な点が多く見られます。王太子殿下の婚礼費用のために、他の予算を私的に流用なさっていたようですし……失礼致しました、第二王子殿下のための予算は以前からずっと削られていましたわね」
アメリアは首をかしげ、腹立たしいほどに柔らかく続ける。
「国家予算は税です。国民の皆様が、そのような使途に果たして納得されるのでしょうか」
広間がざわめき始める。貴族たちが囁き合っていた。その視線が、イザベラへと向かっているのが分かる。
「何をいうの! わたくしがそんなことするはずありませんわ! 暴言にも程がある。誰か、この娘を連れ出しなさい!」
イザベラの命に、兵士たちが動いた。その瞬間、ユリシスがアメリアの横に一歩踏み出す。それだけで、空気が変わる。
兵士たちの足が、恐れをなしたようにぴたりと止まった。
ユリシスは何も言わない。ただ静かに、金の瞳で兵士たちを見ている。その眼光の鋭さだけで、誰も踏み込めない。
「私の妻に触れる者は、許さない」
低く、静かな声。兵士たちが顔を見合わせる。誰も動かない。イザベラは二人を見つめた。
(離縁寸前ではなかったのか?)
頭がぐるぐるする。呪いが続き、公爵夫妻仲が冷え切っていると報告を受けていた。幸せなふりをしている哀れな夫婦だと思っていた。なのに今、ユリシスがアメリアの横に立ち、その目に揺るぎない光を宿している。
(どういうこと。どういうことなの……!)
「あ、そうでした」
明るい声が広間に響く。振り返ると、エドマンドがにこにこと笑みを浮かべながら進み出てくる。
「王妃殿下。先日商会でご購入いただいた婚礼用のルミナイトの代金ですが、今日までの期限のところ、まだいただいておりませんでしたね」
広間がしんと静まり返った。
「確か、ラドウィック伯爵家の土地を担保にしていたかと思いますが……そちらを履行していただいてもよろしいですか?」
にこにこしたまま、エドマンドはラドウィック伯爵の方へ視線を向ける。ラドウィック伯爵の顔から、みるみる血の気が引いていった。額には大粒の汗が浮かんでいる。
「そ、それは……その……」
「ご確認いただけますか? 契約書はこちらに。僕がアルジェント商会の会長でして」
エドマンドが書類をすっと差し出した。その笑顔に、一片の迷いもない。
「なんと……若きグランディール侯爵があの彗星のような商会を率いていたのか」
「今じゃどの商品も入手困難と聞くぞ」
「そうだ、そういえばかの商会の取り扱う商品はいずれも北方の……」
謎に包まれたアルジェント商会長の正体に広間がざわつく中で、ラドウィック伯爵の汗はだらだらと流れ続けている。
イザベラは広間を見渡した。貴族たちの視線が、自分とラドウィック伯爵へと向けられている。味方をしてくれる者が、誰もいない。
(こんな……こんなはずでは……)
イザベラはようやく理解した。グランディール侯爵家。アルジェント商会。リュストア公爵家。全てが繋がっていたのだ。自分が嘲っていたその全員が、この日のために動いていた。
「……っ、証拠など捏造できる……! 信じてはなりません、陛下! でたらめですわ!」
イザベラは叫んだ。このままではいけない。だがアメリアは変わらぬ微笑で封筒を掲げる。
「もちろん、すべて証拠に基づいた資料でございます。ただ……陛下がご対応くださらない場合は、このまま新聞社に提出しようかと思っていますわ」
広間が、しんと静まり返る。イザベラは国王を見つめた。国王の目が細くなっている。肘掛けを握る手に、力が入っているのが見えた。
その時、ユリシスが静かに口を開く。
「隠した真実は、いずれ国そのものを蝕むでしょう。あなたには随分と辛酸を舐めさせられましたね」
ユリシスの金の瞳には、もう呪いに怯えていた頃の面影はない。アメリアは、その横顔をただじっと見つめていた。
イザベラは長年、多くの者を追い詰めてきた。だからこそ分かる。今、自分が追い詰められている側だということが。扇を持つ手が、知らぬうちに震えている。
「『呪い』などありません」
アメリアが穏やかに、しかしはっきりと言い切る。
「呪いを騙った者たちは全て、王妃殿下の命令であると認めました。かつてのことも、全て」
最後の一言が、広間に静かに落ちる。誰も口を開かなかった。貴族たちは息を呑んだまま動かず、廷臣たちは視線を彷徨わせている。シャンデリアの光だけが、変わらず広間を照らしていた。
「……っ」
イザベラは唇を動かした。言葉を探す。だが何も出てこない。露見した後のことを、何も考えていなかったのだ。そんなはずはなかった。こうなるのはおかしい。明日は息子の晴れ舞台なのだ。まだなんとかなる道があるかもしれない。呼吸だけが荒くなり、救いの道を探した。
その時、国王がゆっくりと立ち上がる。
「……事実が明らかになるまで、王妃は謹慎とする。ラドウィック伯爵についても、追って沙汰を言い渡す」
「陛下……!」
「連れて行きなさい」
「わたくしを誰だと思っているの⁉︎ 無礼者っ、離しなさい!」
兵士に両腕を取られながら、イザベラは抵抗した。視線だけを前に向けると、アメリアが静かに佇んでいる。穏やかな笑顔。怒りも、嘲りも、哀れみも、その顔にはなかった。ただ、静かに。まるで最初からこうなると分かっていたかのように。
(この女……!)
扉が閉まる。
イザベラのための栄光に満ちた世界は、そこで途切れた。
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