28 おかえりなさい
帰還の知らせが届いたのは、それから半月ほど経ってからだった。
《盗賊団の奇襲を退け、国境を守り抜いた。損害は最小限。騎士団は全員無事である》
(ユリシス様が、お戻りになるわ)
早馬が届けた報告書を読んだ瞬間、アメリアは立ち上がっていた。ロザリーが何か言うより先に廊下へ出て、歩調が知らず知らずのうちに早くなる。
隊列が街道を進んでくるのが見えたのか、城の前にはすでに人が集まっていた。
使用人たちだけでなく、町からも領民が自然と集まってきている。
しばらくしてから、騎士団の姿が見て取れるようになると、どっと声が上がった。
「領主様がお帰りだ!」
「よかった……!」
「ありがとうございます!」
かつて呪われた王子と遠ざけられていた人が、今こうして迎えられている。アメリアはその光景を横目に見ながら、騎士団の方へ向かって歩き出した。
隊列が近づいてくる。先頭に立つユリシスの姿が、だんだんはっきりと見えてくる。鎧に傷はあるが、その体は確かに動いている。馬上で背筋を伸ばし、領民たちの声に静かに目を向けていた。
(よかった)
足が止まらない。距離が縮まるにつれて、何かが喉元まで込み上げてくる。
ずっと待っていた。報告が届くたびに一通一通読み返して、それでもまだ足りなくて、無事に帰ってくるとわかっていても安心できなくて。
「アメリア」
ユリシスと目が合い、低い声が名を呼ぶ。
部隊が止まり、ユリシスが馬から降りた瞬間、アメリアはそのまま彼の胸に飛び込んでいた。
「……っ、ア、アメリア?」
ユリシスが困惑しているのがわかる。どこかうわずった声で、おずおずと身じろぎをする。
「い、いいのか。その……まだ」
アメリアはハッと顔を上げた。目の前に、困惑と戸惑いと、どこか嬉しそうな何かが混じった表情がある。
周囲からじんわりと温かな視線が集まってくるのを感じて、アメリアは一歩引いた。
「……っ、大変失礼いたしました。取り乱してしまいました。長旅お疲れ様です。お怪我はございませんか」
早口にそう言って、アメリアは彼の腕を取る。袖に触れ、肩を確かめ、顔をのぞき込む。特に大きな怪我をしているようには見えない。
「顔色はよさそうですね」
「大丈夫だ、かすり傷しかない」
「かすり傷でも傷は傷です。あとで必ず診ていただきましょう」
「……わかった」
素直に頷くユリシスの顔が、なんとなく緩んでいるように見える。
「お帰りなさいませ、ユリシス様」
あらためて告げると、ユリシスは目を細めた。
「ただいま、アメリア」
騎士たちに見守られながら、ふたりは並んで城へと歩いた。
***
その夜、城では凱旋の祝いが開かれた。食堂には騎士団の面々が集まり、賑やかな笑い声と話し声が満ちている。長い遠征からようやく解放されたことで、皆が思い思いに酒を酌み交わしている。
ひとしきり宴が盛り上がった頃、アメリアはふと気づいた。ユリシスの姿が見当たらない。
近くにいた騎士に声をかけると、随分と飲んだらしく真っ赤な顔をしていた。
「ハイ! 公爵様は酔い覚ましに風に当たると言っておりまして。バルコニーの方へ向かっております!」
「ありがとう。行ってみるわ」
気持ちよく酔っ払っている騎士に礼を言って、アメリアは食堂を出た。
(こちらかしら……)
廊下を抜けてバルコニーへ出ると、夜風が静かに頬を撫でた。そこには欄干にもたれて夜空を見上げているユリシスの背中がある。
「ユリシス様。ここにいらしたのですね」
振り返ったユリシスの顔が、ほんのり赤い。
隣に並んで、アメリアも夜空を見上げる。食堂の喧騒がかすかに聞こえて、それがまた心地いい。
「今夜はみなさま楽しそうでしたね。無事に帰ってきてくださってよかったです」
「ああ。色々と大変だったからな」
ユリシスがぽつりと言う。アメリアは視線を向けずに、続きを待った。
「今回、依頼で向かったが、相手からは待ち構えられていた。盗賊団とは毛色の違う集団も紛れていたように思う」
「……そう、でしたか」
「どうせそうだろうと思っていたから、返り討ちにしたが」
さらりと言うユリシスの横顔を、アメリアは静かに見つめた。
きっと、アメリアには想像もつかないようなことがあったのだろう。そして、ユリシスはそれを見越していた。今回のことだけではないのだと、察してしまう。
(ユリシス様の置かれていた環境は、本当にひどいものだったのだわ)
胸がギュッと痛む。
夜風が吹き、宴の笑い声が遠くに聞こえる。
「……皆で絶対に帰ると決めていた」
ユリシスが、静かに言う。
「どんなことがあっても、必ずここへ戻ると」
アメリアは欄干から手を離し、ユリシスを見上げた。
金色の瞳が、月に照らされている。彼の色は、まるで夜そのものだ。
「おかえりなさいませ、ユリシス様」
その言葉がユリシスに届くように、アメリアはことさら柔らかく微笑んだ。
ここはあなたにとって安心する場所であってほしい、そう願いを込めて。
「……っ」
ユリシスの顔が、苦しげにくしゃっと歪んだ。それから、強くアメリアを引き寄せる。アメリアは目を閉じる。ユリシスの腕は温かく、その体温が確かに生きて戻ってきたことを告げていた。
大きな背中に手を回し、子をあやすようにポンポンと優しく叩く。
その時間が少し続いて、どちらからともなくゆっくりと離れた。目が合って、何か言おうと口を開きかけた時──。
「ユリシス様ーー! もっと飲みましょうーー!」
食堂の方から、陽気な声が飛んでくる。バルコニーの扉が勢いよく開いて、顔を赤くした騎士が数人なだれ込んできた。
「あ」
「……」
気まずそうに固まる騎士たちを前に、ユリシスが小さく息をつく。
「……戻るか」
「ふふ、そうしましょう」
騎士たちにあれよあれよと連れ去られるユリシスの背を見て、アメリアはくすりと笑った。それからその後に続いて、食堂へと戻る。
扉を開けると、賑やかな熱気がどっと押し寄せてきた。騎士たちがユリシスを囲んで酒を注いでいる。使用人たちも顔を見合わせてくすくすと笑っている。
(なんて素敵な光景なのかしら)
アメリアはその光景をゆっくりと眺めて、目を細めたのだった。




